013話
私は普段通りにフロアでオーダーを取っている時、注文するお客さんが見ているメニューブックのメニューに目にいく。
今まで大盛りチャレンジが載っていた箇所に付箋が貼られて「現在中止」の文字が書かれていた。
メニューブックを運ぶことはあっても、中身を見ることは滅多にない。
しかし、昨日は間違いなく大盛りチャレンジをしていたので、メニューに載っていたはずだ。
「マスター、オーダーです」
「はい、ありがとうね」
マスターの目の前にオーダーを置く。
オーダーを一目見たマスターは、調理の準備に掛かる。
「マスター」
「ん?」
「その……大盛りチャレンジをメニューから外したんですか?」
「あっ、ゴメン、ゴメン。祐希ちゃんに言うの忘れてたね」
「どうしてですか?」
「あ~、いろいろ考えるところがあってね。あとで説明するね」
「はい」
お客さんがいなくなると、マスターが大盛りチャレンジをメニューから消した理由を教えてくれた。
もともと、大盛りメニューは商店街を活性化させるために考え出されたらしい。
最初こそ賛同していた店も、採算度外視の大盛りメニューを徐々にメニューから消していったそうだ。
費用対効果が薄かったのも、要因の一つだろうとマスターは話してくれた。
マスターは、この店を父親から引き継いだと言っていた。
既にマスターが引き継いだ時には大盛メニューがあった。
常連の飯尾さんや、藍木さんはマスターの父親時代からの常連客になる。
基本のメニューは変えずに、マスターの考案したメニューを追加していき、今の
マスターも商店街が盛り上がればと、村田中華飯店と協力して大盛りメニューの研究に勤しんできた。
もともと、マスターは高校卒業と同時に、東京で料理修行をしていた。
小さいころから、父親が料理を作るところを見ていたので、料理人になったのは必然だと嬉しそうに話をする。
いずれは自分の店を出したと思っているマスターだった。
帰省した時、父親の高齢もあり喫茶店を閉める話をされた。
思い出の場所が無くなると知ったマスターは、「自分が継ぐ」と父親に伝えたそうだ。
遅くても二年以内の戻るから、店を続けてくれと父親を説得した。
マスターの店に、バイトとして入ってきた一美さんと偶然の再会をする。
その後、一美さんが地下アイドルを辞めて、正式に交際を始めた。
一美さんには最初から地元に戻り、父親の喫茶店を継ぐと話をしていたそうだ。
マスターの話を聞いた一美さんは快く、マスターの意思を受け入れた。
そして、約一年前に”
父親から店を任された責任感から、開店当初は上手くいかなかったと笑いながら話す。
一美さんがいなければ既に店は潰れていたと、自虐的にジョークを交えながらも嬉しそうに話していた。
あくまで予想だと付け加えたうえで、大盛りメニューをメニューから消した核心について教えてくれた。
先日の大食い番組を見た人が、大量に来ることに嫌悪感があるらしい。
これは一時的な人気が原因で、常連の人たちやが店から足が遠のくのを懸念していた。
父親が考案した大盛りメニューを、マスターが改良を加えた。
大食い番組が放送されるたびにマスターは考えていたらしい。
そして今回、大盛メニューをメニューから無くすのは、マスターとしても断腸の思いだったようだ。
自分の思いよりも、今まで足を運んで下さったお客さんのことを第一に考えるマスターの考えには共感が持てたし、素晴らしいことだと感心する。
そして、大盛りメニューを無くすことは昨夜、村田中華飯店の村田さんには報告したそうだ。
「寂しそうだったけど、こっちの事情も分かっているし……ね」
「村田中華飯店も……大盛りメニュー止めるんですか?」
「村田さんは続けるって言っていたよ」
マスターが申し訳なさそうに話した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夕方と言っていたので、そろそろ楓と葉月が来る時間が近づく。
「あっ!」
私は自分がメイド姿だったことに気付く。
二人に見られると思うと、恥ずかしい気持ちになる。
(どうしよう……)
そう思うと、私の気持ちに反応したかのように、店の扉が開く。
「いらっしゃいませ」
仕事モードに戻り、振り返る。
そこには呆然と立っている楓と葉月が立っていた。
「ゆ……祐希よね」
久しぶりに会った友人が、メイド服で立っていたら驚くのも無理はないだろう。
「ひ、久しぶりだね」
私は引きつった顔で挨拶をする。
「一体、どうしたのよ」
「これは、ここの制服なんだよ……ね」
「普通の喫茶店よね?」
「普通の喫茶店だよ」
怪訝な表情の楓は、私が騙されて働かされているのではないかと勘繰っていた。
葉月は目の前の光景が受け入れられないのか、無表情のまま私でなく、奥を見ているようにも思えた。
「あれ? もしかして、祐希ちゃんの友達?」
カウンター越しにマスターがフロアをのぞき込むように話しかけた。
「好きな席に座ってね」
「ありがとうございます」
マスターは笑顔だったが、その笑顔が楓には不気味に映ったようで、私を引き寄せて小声で話す。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって」
友人が悪の道に進むのを防ぐかのようだった。
とりあえず、楓と葉月を席に案内してオーダーを取る。
二人とも
私は二人を残して、仕事に戻る。
あと少しで上がる時間……というよりも
「祐希ちゃん」
「はい」
マスターが楓と葉月の飲み物をカウンターに置いていた。
オーダーは二つだったが、飲み物は三つ置かれていた。
「時間は気にせずに、ゆっくりしていいから。祐希ちゃんも上がっていいよ。友達と座って話をしていいからね」
「ありがとうございます」
マスターの気遣いに感謝をする。
「おまたせ」
二人の目の前に飲み物を置いて、私は入り口が見える葉月の隣に自分の飲み物を置いて座った。
マスターの計らいで、仕事を終えたことを伝える。
楓や葉月からは体のことを何度も聞かれた。
他に困っていることは無いかなど、親身になってくれた。
当然、私の家族のことも知っているが、二人とも触れずにいてくれる。
入り口に人影が見えた。
マスターが裏口から出て、扉に掛かっている札を”CLOSE”へと引っ繰り返した。
優しいマスターに感謝する。
私の視線の気付いた楓は扉の方を振り返るが、既にマスターの姿は無かった。
「もう、閉店の時間なのね」
こちらから”OPEN”の文字が見えることに、楓は気づいた。
「長居しすぎるのも、お店に申し訳ないわね。そろそろ出ましょうか。祐希は……着替えるわよね?」
楓は私がメイド服で、
「うん。着替えるから少し待っていて」
「分かった」
着替えをしようと奥の部屋に行くと、マスターが座ってスマホを触っていた。
「あれ、もういいの?」
「はい。遅くなって、すみませんでした」
「いいよ、別に。友達と一緒ならモンキーは店に置いて行ってもいいからね」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
マスターは立ち上がって部屋を出ていく。
何も言わなくても、私が着替えるのだと分かっていたようだ。
どこかに寄りたいが、ボスがいるので飲食店などには入店するのは難しい。
商店街にボスを連れて入れる店は、数件だけならあるのだが……。
『ボス、帰るわよ』
着替えを終えた私はボスを呼ぶ。
声に反応して、ボスはゆっくりと部屋に入ってきた。
『腹減った』
『寝てただけなのに、お腹がすくの?』
『寝るにもカロリーを消費するんだろう』
『カロリーって――』
この間、教えた言葉を使っている。
使い方は間違っていないが、ボスの口からカロリーという言葉を聞くとは思っていなかったし、体型からしてもカロリーを気にしているようには感じられない。
ボスを一美さんに貰ったリュックに入れてフロアへと戻る。
マスターと楓に葉月の三人で話をしていた。
「お待たせ」
もしかしたら、楽しい会話を切ってしまったのかも……変な考えが頭を過る。
楓と葉月は笑顔を返してくれた。
「あとはやっておくから、祐希ちゃんは帰っていいよ」
「ありがとうございます。あっ、鍵は渡した方がいいですか?」
「大丈夫だよ。入り口から見えない所まで、モンキーは運んでおくからね」
「すみません」
「いいよ別に。明日は少し遅くなってもいいからね」
「大丈夫です」
久しぶりに友人と会った私に配慮してくれたのだろが、公私混同をするつもりはない。
「良ければ、ボスも明日まで預かろうか?」
「えっ!」
マスターからの思わぬ提案に驚く。
私はボスに小声で聞いてみることにした。
『ボス。マスターがボスを一日預かりたいって、言っているんだけど』
『別に構わないが、飯は食わせてくれるんだろうな?』
『それは大丈夫だと思うよ』
『トイレもあるんだろうな?』
『それは聞いてみないと分からないけど……必要だよね?』
『当たり前だ‼』
私はボスが渋ると思っていたので、あまりにもあっさりとした前向きな回答に驚き、自分とボスとの間に温度差を感じて少しだけ寂しかった。
「マスターの家って、猫のトイレありますか?」
「あっ、そういえばないね。……帰りに買ってくるよ」
「えっ! そんな勿体ないですよ」
「全然、構わないよ。ボスは店の看板猫として有名だし、ボス目当てで来る御客様も多くなっているからね」
ボス同様にマスターも預かることに躊躇なかった。
「じゃぁ、マスター。ボスのこと御願いできますか?」
「うん、任せておいて」
私は小分けにして持っている一食分のボスの御飯を出す。
ただ、一食では足りないので先程、林田さんに頂いた御飯を上げてくれるようにと、マスターに伝えた。
「銘柄を教えてくれれば、買ってくるよ」
「そんな悪いですよ」
「ボスも、この
「そんなボスなんて、ただ寝ているだけですし――」
「でも、ボス目当てで来てくれる御客さんも結構いるしね」
確かに、ここ最近のボス人気は高くなっている。
太っているから触り心地が良いのと、ボスが無抵抗なのが人気のようだ。
私はトイレや御飯の代金などを渡そうとするが、マスターに断られてしまう。
押し切られる形で代金を渡すことは出来なかった。
「宜しく御願い致します」
「うん、任せておいてよ」
ボスが入っているリュックをマスターに渡す。
リュックの中のボスは私との別れを寂しがることなく、
私たちはマスターに挨拶をして、
「マスター、優しい人で良かったね」
「うん。今日は居なかったけど、マスターの奥さんも優しいし、恵まれた環境で働けているかな」
「そうみたいね」
どうやら、マスターから楓と葉月に話し掛けたようだ。
マスターに良い印象を抱いていなかった楓だったが、マスターと話をしたことで誤解をしていたことに気付いたようだ。
マスターや、楓に葉月も私のことを心配しているからこその行動なのだろう。
「……ところで、店の入り口にあったバイクって、祐希のなの?」
「うん。マスターから格安で譲ってもらったんだ」
「危なくない?」
「大丈夫……かな?」
「なによ、その答え方は」
葉月と笑いながら話す。
多分、楓は私がバイクに乗ることをよく思っていないのだとも思う。
事故から回復したばかりなのに、バイクで事故でも――と考えているのだろう。
「それよりも何食べる?」
空腹が我慢できなくなった葉月が商店街を見ながら、私と楓に意見を求めてきた。
「祐希は何食べたい?」
「……特にないから、二人の食べたいのでいいよ」
「じゃあ、焼き肉で‼」
最初から決まっていたかのように葉月の意見に楓が頷く。
私は二人らしいと懐かしさを感じながら、自然と笑顔になる。
「やっと笑ったね」
「えっ⁈ 私って、笑っていなかった?」
「作り笑いはしていたよ」
「そうそう。本心からの笑顔じゃないことくらい、私たちにはお見通しよ」
葉月の言葉で、私は二人の前で笑っていなかったのだと気付かされた。
たしかに楓や葉月の言う通りなのかもしれない。
心から笑ったのは何時だったか――私自身でも思い出せなかったからだ。
「それで、おすすめの焼肉屋さんはある?」
葉月に聞かれて私は回答に困った。
私は、あまり外食をしない。
「あれ、祐希ちゃん!」
「飯尾さん。こんばんは」
「メイド服じゃない祐希ちゃんも可愛いね」
飯尾さんと偶然出会う。
私は簡単に飯尾さんを、楓と葉月の紹介する。
人見知りを知らない飯尾さんは、楓と葉月と普通に会話を始めていた。
飯尾さんは
むしろ、知らない人が大勢いる中での方が、飯尾さんの能力が発揮できているのでは感じてしまう。
いい意味で人畜無害なのだろう。
「あ~、焼き肉なら、そこの焼肉俱楽部がおいしいよ。値段もリーズナブルだしね」
「ありがとうございます」
楓と葉月は飯尾さんにお礼を言うと、飯尾さんは嬉しそうに去っていった。
「早く、行こ!」
飯尾さんの話を聞いて一刻も早く食べたくなったのか、葉月が私の手を引っ張る。
楓も私の背中を押していた。
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