012話

 モーニングタイムの忙しさが終わる。

 朝一から来ていた常連客も皆、帰って行った。


「祐希ちゃん。少し休憩しようか」

「はい」

「一美さんは、どうする?」

「私は、そろそろ帰ろうかな」

「気を付けてね」

「大丈夫よ。これくらい歩くのは逆に体にいいんだから」

「本当だよ。辛くなったら、すぐに電話頂戴ね」

「分かったわよ。祐希ちゃん、後よろしくね」

「はい。一美さんも気をつけて」

「じゃあね」


 一美さんは手を振りながら帰って行った。


「なにか、飲みたいものある?」

「牛乳が入っていなければ、なんでもいいです」

「あいかわらず、牛乳嫌いだね」

「なんでか、苦手なんですよね。だから、身長も伸びなかったんですよ」


 牛乳嫌いと言うと、絶対に「だから小さいんだ」と言われる。

 だから最近は、自分から自虐的に言うことにしている。


「あっ!」


 私はポケットからスマホを取り出して、大学時代の数少ない友人に連絡をするためにメッセージアプリを開く。

 と言っても二人だがグループチャットが残っていたので、メッセージを入力するしようとすると日付は私が事故に遭う前、焼肉に行く連絡のやり取りで終わっていた。

 二人とも私が事故になったことは知っていると思う。

 麻衣ちゃんがニュースで実名が出ていたと言っていたからだ。

 事故の時にスマホが壊れたので、新機種に変えた。

 その時に出来る限り移行はしたが、完全復旧は出来なかった。


(なんて打とうかな……久しぶり? かな)


 私は緊張しながら、「御無沙汰してます」という言葉に謝るスタンプを追加して送信ボタンを押す。

 スマホをポケットに仕舞おうとすると、着信音が鳴る。

 画面に表示されていいたのは”楓”。

 先程、メッセージを送った”佐甲 楓さこう かえで”だ。

 何故か震える手で通話の表示を押す。


「祐希、無事なの‼」


 私が話す前に楓が大きな声が耳に飛び込んできた。


「う、うん。一応、二か月前に退院したんだけど、連絡遅れてゴメン」

「そんなことはどうでもいいから、体は大丈夫なの?」

「一応、日常生活に支障は無いかな?」


 猫と話が出来るのは、日常生活に支障が出ているが――。


「そう、それなら良かったわ――隣に葉月も居るから変わるわね」

「うん」


 葉月とは、もう一人の相手”小向井 葉月こむかい はづき”だ。


「祐希~」


 電話口の葉月の声は既に泣いているのが分かった。


「葉月、ごめんね」

「いいよ。祐希が無事なら、ぐすっ……」


 泣いて話にならない葉月に変わって再度、楓が電話口に出る。


「本当に大丈夫なの?」

「うん、なんとかね」

「それで、大学にはいつ戻れるの?」


 楓の言葉が心に突き刺さる。

 私が二人に連絡するのを躊躇っていた理由。

 大学を辞めることを伝えるの嫌だったからだと、気付いた。


「うーん、まだ未定かな」


 私は卑怯だと思いながら、言葉を濁した。


「そう……明日、時間ある?」

「バイトがあるから、夕方以降なら大丈夫かな」

「バイトって……そんな病み上がりで大丈夫なの?」

「うん。商店街にある喫茶店だから、そこまで重労働じゃないし、マスターたちも優しいから――」

「祐希の地元って、N市だったわよね? 最寄りの駅はN駅でいいの?」

「うん、N駅から少し離れているけどね」

「あとで、地図送ってよ。明日、葉月と二人でバイト先まで行くから」

「えっ、う……うん」


 電話を切ってから、私はバイト先であるma couleurマ・クルールの住所を送ると、楓と葉月の二人からメッセージが届く。

 性格も趣味も全然違う私たち三人だったが、なぜか気が合い大学では一緒にいることが多かった。

 高校まで陸上部だった楓は、いまでも体を動かすためにジムに通ったりしている。

 葉月は軽音サークルに入っている。

 頭に中に”心友”という言葉が過ぎる。

 私は楓と葉月に心を許しているだろうか?

 そして、二人も私に心を許してくれているのだろうか?

 姉と一美さんのような関係になれるだろうか?

 今まで気にしたことが無かったが、姉と一美さんとのことを思い出してしまう。

 裏切られたりすることを考えると、前以上に臆病になっている自分になっていることに気付く。


『おい、おやつはどうなった』


 感傷に浸る時間も無く、ボスに林田さんから貰ったおやつの催促がはいる。


『はいはい、ちょっと待っててください』


 私は奥の部屋に仕舞った林田さんから貰った箱の包装を、丁寧に剥がす。


「こ、これは……」


 世の中にこのような物があるのか知らなかったが、時期的に猫版御歳暮というのか豪華な仕様になっていた。

 猫缶におやつが多数入っている。


『なんだ、早く俺にも見せろ』


 ボスは気になって仕方がないようだ。


『はいはい、どうぞ』


 私はボスに箱に中身を見せる。


『……ちっ、期待させやがって』


 ボスは不満そうに一目見ただけで去って行った。


(あれ?)


 予想と違うボスの行動を疑問に思った。

 そして、ボスの行動を理解することが出来た。

 いつも食べている物とパッケージが違うからだ。

 もちろん、こっちの方がお値段は高いし、高級品になる。

 一度だけだが、このシリーズの商品を購入したことがある。

 その時のボスは『美味い‼』と言って食べていた。

 パッケージをボスは見たことのないから、美味しい食べ物やおやつだと分からなかったのだろう。

 私は誤解したままのボスに訂正をすることなく、箱を綺麗に包装し直した。


 私が戻ると、ボスはカウンターで不貞寝をしていた。


「はい、祐希ちゃん」

「ありがとうございます」


 ボスがオレンジジュースと、小さな包装に入った御菓子を用意してくれた。


「これは林田さんから貰った御菓子ね」

「私が頂いてもいいんですか?」

「うん。帰っても僕と一美さんだけじゃ食べきれないしね」

「そんなに量が多いんですか?」

「違うよ。僕はもともと甘い物をそんなに食べないし、一美さんも妊娠太りを気にしているからね。腐らせちゃうのは林田さんにも申し訳ないし、あとで祐希ちゃんにも分けてあげるからね」

「ありがとうございます」


 次のお客さんが入って来るまでの三十分程、ゆっくりと休憩した。


 昼時になり、家族連れやカップルの入店が多くなる。

 厨房のマスターは大忙しだ。

 フロアの私も忙しく動き回った。

 マスターの作るパスタは美味いと評判なので、お客さんの多くがパスタ系を注文する。

 特にゴルゴンゾーラチーズを使ったバスタは、日替わりメニューはバスタの中でも特に人気が高い。

 ほとんどのお客さんはリピートで訪れてくれているが、噂を聞いた初めてのお客さんは私の格好を見て驚く。

 今となっては私も慣れたもので、動じることなく平常心で案内をする。

 気付いたのは男性よりも女性のほうが、メイド服に興味があるのか質問されることが多い。

 男性は恥ずかしくて聞けないだけかも知れない。


 人見知りの私だったが、声を掛けられることで少しずつ改善出来ていると感じていた。

 もしかして、一美さんは私の性格を見越して……人見知りを直させるために敢えて、メイド服を着させているのだろうか?


「じゃあね、ボス」


 店に来てボスを知っているお客さんは、帰り際にボスに触って挨拶をする。

 ボスの太った感じが人気らしい。

 マスターの料理に私のメイド姿、それにボスを目当てに来ているのが相乗効果になっている。

 多分、人気では私よりもボスのほうがあると思う。

 悔しいが私は受け入れている。


「すみません」

「はい、今伺います」


 食事を終えた会社員風の男性がレジの前に立っていた。


「美味しかったです」

「ありがとうございます。又の御越しをお待ちしております」


 笑顔で帰られるお客さんを見送るのが、私は好きになっていた。

 なにより、「美味しかった」と言われると嬉しい気持ちになる。

 以前にマスターが、美味しそうに食べてくれる顔が見たいから厨房に立っていると言っていた。


 レジから戻ろうとすると、体格のいい三人組が入ってきた。

 以前に大盛りチャレンジに挑戦した大学生だ。


「今日もメイドだね」


 案内をする前に話し掛けられた。


「今日も大盛りチャレンジですか?」

「おっ、良く分かったね。この間の大食い番組を見て、どうしても完食したくてトレーニングしてきたんだ。今日は、絶対に完食するからな」

「……いやいや、無理だって」

「そうそう、そんな金払うなら俺に焼肉奢れよ」


 付き添いの二人は、挑戦する大学生の成功を期待していないようだ。


「俺は大食い番組に出て、さゆりんと共演するんだ! そして……」


 挑戦する大学生の顔はにやけていた。


「ごめんね。こいつ、この間の大食い番組に出ていたさゆりんに一目惚れして、自分も同じ土俵に立つんだって、馬鹿なこと言っているんだよ」

「なんだよ、馬鹿なことって。やってみないと分からないだろう」

「やる前から結果は分かっているって、やるだけ無駄だって」

「ほう、そこまで言うなら完食したら俺に焼肉でも奢れよ」

「おう、いいね。その代わり、お前が食べきれなかったら、俺たちに焼肉を奢れよ」

「あぁ、約束だからな」

「こっちこそ、約束を守れよ」


 私と歳も変わらない大学生たちの会話を聞きながら、挑戦する大学生が可哀そうに思えた。

 それよりも、テレビの影響力の凄さに驚いた。


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 店内にアラーム音が響き渡る。


「はい、時間です」


 他のお客さんも見守るなか、彼の挑戦は失敗した。

 以前よりも食べてはいたが、完食まではいかなかった。


「はい、残りはこれに詰めて持って帰ってね」


 マスターがタッパーを持って来た。

 既に限界を超えているのか食べていた大学生は顔面蒼白だった。

 ここの代金に加えて、仲間の大学生に焼肉を奢ることを考えて、金銭的なことからなのかも知れない。

 やはり、さゆりんは私たちとは胃の構造が違うのだと大学生を見て思う。

 マスターは次こそは! と意気込んでいるので、この大学生が次に挑戦する時は、今日とは違う大盛りメニューになっているだろう。

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