011話

「一美さんって、さゆりんと同じグループだったんですよね」


 美緒ちゃんの元気な声が店内に響く。

 今、美緒ちゃんが発した”さゆりん”という人物こそが、大盛りチャレンジを唯一完食した強者だった。

 私はその時、一美さんの友人としか聞かされていなかった。


「うん、今でも連絡とったりしているよ」

「そうなんですか‼ あれだけ可愛いのに大食いなんて凄いですよね」

「えぇ、そうね」

「私たちと同じ空気を吸っているのに、どうしてあんなに可愛いんですかね?」


 独特な表現をする美緒ちゃんに、一美さんは笑う。


「さゆりんは、昔から大食いだったからね」

「そうなんですか」


 さゆりんと言うのは”松居 沙友里まつい さゆり”という大食いアイドルだ。

 昔は一美さんと一緒の”OVERTUREオーバーチュア”というグループで活動していた。

 OVERTUREオーバーチュアはメイドをコンセプトにした地下アイドルで、地下アイドル群雄割拠の時代の中でも人気があり、いずれメジャーデビューするだろう言われていたと、美緒ちゃんから聞いたことがある。

 美緒ちゃんは正直に、OVERTUREオーバーチュアでは”さゆりん押し”だと報告していた。

 以前、美緒ちゃんがアイドル時代の写真を見せて欲しいとせがまれて、スマホに保存してある写真を一緒に見せてもらったことがあった。

 興奮する美緒ちゃんは一人一人を説明していたが、私は覚えていない。

 ただ写真には五人のアイドルが写っていたことは覚えていた。


 先日、テレビ番組で大食い選手権が放送された。

 常連の大食いが順調に勝ち進むなか、さゆりんは新人として注目されていた。

 惜しくも準々決勝で敗退はしてしまったが、アイドルの容姿で大食いということで、知名度も一気に上がった。

 アイドル好きの美緒ちゃんは、さゆりんを以前から知っていた。

 そのさゆりんが全国区の人気者になったことが、とても嬉しかったようだ。

 一美さんもマスターも、さゆりんが店に来て大食いチャレンジしたことを一切言う素振りが無い。

 隠すつもりのようなので、私も何も言わないことにした。


「でも、どうしてOVERTUREオーバーチュア解散しちゃったんですか?」

「うーん、いろいろあったのよ。でも喧嘩別れとかじゃないわよ」


 一美さんは、その話題に触れたくないようだった。


「アイドルってのも大変なんですね」

「どんな仕事でも大変なのは変わりないわよ」

「そんなものですかね?」

「美緒ちゃんもバイト大変じゃない?」

「私、バイトしたことないんです。あっ、別に家が裕福とかじゃないですよ。ずっと、勉強だけだったので特に欲しい物もなかったし、たまにテレビで見るアイドルに憧れて、いろいろと調べるだけで実際にライブとかも行ったことがないんです」

「そうなんだ」

「だから、祐希ちゃんのようなメイド服を着られるようなバイトは羨ましいと思いますよ」

「あれ? うちのバイト狙っている?」

「いやー、私では無理ですよ。それに大学の往復だけで、バイトする余裕が今のところ無いですしね」

「そうなの。でも、メイド服に興味があるなら着てみる?」

「えっ、いいんですか」

「背は祐希ちゃんと同じくらいよね?」

「百五十三センチです」


 メイド服が着られると美緒ちゃんは興奮していた。

 奥の部屋に幾つかのメイド服がある。

 私の気分で、その日に着るメイド服を選ぶ。

 サイズは私に合わせて一美さんが調整し直してくれた。


「祐希ちゃん。美緒ちゃんが着てもいいかしら?」

「はい、全然構いませんよ」

「祐希ちゃん。こっちは大丈夫だから、美緒ちゃんを奥に案内してあげてよ」

「はい、マスター。美緒ちゃん、こっちだよ」


 私は美緒ちゃんを奥の部屋に案内する。


「凄いですね!」


 五着ほど掛かっているメイド服を見て、興奮している美緒ちゃん。


「あれ、これって?」


 美緒ちゃんは一着のメイド服を手に取る。


「これって、一美さんがOVERTUREオーバーチュア時代に来ていた衣装ですよ‼」


 目を輝かせている。


「うん。一美さんが昔の衣装などをリメイクして、ここの作業服にしているからね」

「そ、そんなもったいない」


 美緒ちゃんは卒倒しそうなポーズを取る。

 天真爛漫という言葉は、美緒ちゃんのためにあるのかも知れない。


「私、この服を着てみます」

「うん、分かった。外で待っているから、着方が分からなかったら声を掛けてね」

「はーい」


 嬉しそうに着替えを始める美緒ちゃん。

 何事もポジティブな思考の美緒ちゃんと、自他ともに認めるネガティブ思考の自分を比べてしまう。

 好きなことをあんなに熱心に語れることは羨ましいが、自分にあれだけの熱量で話が出来ることがあるのかと聞かれたら無い。

 最近、会っていない大学の数少ない同級生が頭を過ぎる。

 彼女らも頑張っているのだろう。

 ……そういえば、退院したことも伝えていない。

 いずれ連絡しようと思っていたが、バタバタしていたので忘れていた。

 と、いうのは口実で連絡するのが怖かったというのが本音だった。

 しかし、これ以上の先延ばしは出来ないと思い、後で連絡しようと思った。


「じゃーん」


 着替え終わった美緒ちゃんが、嬉しそうに立っていた。


「ねぇねぇ、似合っている?」

「うん、似合っているよ」

「えへへへ」


 本当に嬉しそうな表情をする。

 それだけ嬉しいということなのだろう。


「どうですか、一美さん」

「似合っているわよ」

「えへへへ」


 とろけそうな笑顔の美緒ちゃん。


「おぉ、ここはメイド喫茶にでもなったのかい?」

「いやいや、猫メイドカフェだろう」

「たしかにそうだな」


 飯尾さんと藍木さんが、嬉しそうにはしゃぐ。


「猫メイドカフェ……たしかに面白そうですね」


 絢音さんも興味を持ったのか、何度も頷いていた。

 小説の題材になったりしないか心配だった。

 

「いらっしゃませ」


 騒がしい店内にお客さんが入ってきた。


「あれ?」


 いつもと違う店内に戸惑っている。


「どうしたんだ?」

「あっ、飯尾さんに藍木さん。雰囲気が違っていたから――」

「今日は、猫メイドカフェだからな」

「……猫メイドカフェ?」


 戸惑っているのは商店街にある”村田中華飯店”の三代目主人の村田さんだった。

 村田さんはマスターと大食い仲間である。

 大食い仲間と言っても食べるほうでなく作るほうだ。

 いかに美味しい大盛りメニューを作れるかを研究している。


「仕込みは終わったのかい?」

「今、買い出しを終えたから休憩がてら寄っただけですよ」


 マスターの目の前のカウンターに村田さんは座るが、いつもと雰囲気が違い店内に、まだ慣れないようだ。


「それよりも、マスター。今日はモンキーで来たのかい?」

「いいや、それは祐希ちゃんに譲ったんだよ」

「えぇーーー。言ってくれれば、俺が買ったのに‼」


 村田さんは悲鳴に似た叫び声を上げる。

 そういえば、村田さんもマスターに劣らずバイク好きだったことを思い出す。


「村田さんは既に、SR持っているじゃない」

「いやいや、それとこれは別でしょう」

「奥さんが二台目を許すと思っている?」

「そ、それは――」

「でしょう。僕が原因で夫婦喧嘩にでもなったら嫌だしね。だから、祐希ちゃんに譲ったの」


 マスターは厨房から調理をしながら会話をしていた。


「祐希ちゃん。もし、売る気になったら最初に声を掛けてね」

「は、はい」


 ただでさえ大きい目をしているのに、血走るような目で見つめてくる村田さんに恐怖を感じた。


「それよりも……猫メイドカフェってのは本当なの?」

「飯尾さんたちの冗談だよ。まぁ、猫もメイドもいるけど、うちは普通の喫茶店だからね」


 マスターと村田さんの会話を聞きながら、普通の喫茶店に猫もメイドも居ないと、心の中で突っ込んでいた。


「はい、どうぞ」


 マスターはカウンタ越しに、村田さんへ珈琲を差し出す。

 村田さんはモーニングセットは食べないので、珈琲だけだ。

 なんでも仕事前に食事はしないそうだ。


「いらっしゃませ」


 私より先に美緒ちゃんが、入店したお客さんに声を掛ける。

 バイト料が出ないのにバイトのようなことをしている。

 本人が納得していれば良いのだが、労働基準監督署的にはどうなのだろうか?


 遅れて入店したお客さんを見ると、林田さん家族だった。

 私は御主人と目が合うと、軽く頭を下げる。

 林田さんたちは、家族全員が私に向かって頭を下げた。


「どうぞ、空いている席にお座りください」


 私は林田さんたちが座るのを確認して、メニューブックを持っていく。


「ラテのことは本当にありがとうございました」

「いえいえ。ラテちゃんの具合はどうですか?」

「はい、おかげさまで大きな怪我もなく元気で過ごしています」

「それは良かったですね。あっ、御注文決まりましたら、お呼び下さい」

「はい。それと店の御主人にお礼を言いたいのですが」

「それでしたら、少々お待ちください」


 私は林田さんたちのテーブルから去る。

 美緒ちゃんは一美さんと、アイドルトークに戻っていた。

 知らない人が見れば、美緒ちゃんは仕事をサボっていると思われるだろう。


「マスター。ラテちゃん……迷い猫のチラシをお願いされた御家族がマスターにお話があるそうですが、手離せますか?」

「僕は何もしていないけど――うん、ちょっと待ってね」


 マスターは手を止めて、一美さんに珈琲を見てくれるように頼むと、手を洗って厨房から出る。


「私が当店のマスターです。お話があると伺いましたが」


 マスターが現れると御主人はマスターに礼を述べる。


「いやいや、私は何もしていませんから。猫ちゃんを見つけたのは、ここにいる祐希ちゃんですし……ね」


 マスターが私のほうを見る。

 話を繋げて欲しいようだ。


「たしかにそうですが、このお店のおかげで猫が見つかったのも事実です」

「まぁ、そうですが……」

「これ、つまらない物ですが――」


 奥様が御主人に菓子折りを渡す。


「いえいえ、こんなたいそうな物を貰うわけにはいきません」 


 マスターは返そうとするが、御主人も受け取ってもらおうと必死だ。

 最後はマスターが折れる形で受け取った。


「それと、これは西田さんに」

「えっ‼」


 私は既にお礼を頂いている。


「で、でも」

「これはラテと仲良くしてもらった猫ちゃんにです」

「仲良くも何も、一緒にご飯を食べたくらいですよ」

「いえいえ、普通は知らない猫が家に来たら警戒するものです。それを受け入れてくれたことに感謝しているのです」


 林田さんのいうことも分かる。

 まぁ、ボスの場合は猫としての威圧が凄いし、私が仲裁に入るから喧嘩になることもないだろうが……。


『ボス』


 私はボスを呼ぶ。


『なんだ?』

『ちょっと、こっちに来て。ラテちゃんの御家族がボスにお礼を持ってきてくれたのよ』

『面倒臭いな……』

『中身は美味しいおやつかも知れないわよ』


 美味しいおやつという言葉を聞いたと同時に、ボスは寝ていたカウンターから飛び降りて私の足元にやって来たので、私はボスを抱き抱える。


「……本当に猫と会話が出来るようですね」

「あっ! たまたまですよ」


 つい、いつもの癖でボスを呼んでしまった。

 習慣と言うのは怖いものだと後悔する。


「お姉ちゃん、凄いね」


 姉妹から尊敬の目を向けられる。


「祐希ちゃん、凄い‼」


 違う方向からも尊敬の目を向けられていた。

 それは美緒ちゃんだった。


「あれ、久保田さんところの美緒ちゃん?」


 奥様が美緒ちゃんに気付く。

 どうやら面識があるようだ。


「あっ、林田さん。こんにちは」

「美緒ちゃんも、ここでバイトしているの?」

「違いますよ。私は御客として、こちらに何度も通わせて頂いています。メイド服に興味があったので、マスターの奥様にお願いして着させていただいただけです」

「そうなんですか。西田さんとは、御学友ですか?」

「いいえ、私のほうから懇意にさせていただいている友人です」


 気のせいか美緒ちゃんの話す口調が違って聞こえた。

 林田さんと知り合いということは美緒ちゃんも、あの高級住宅街に住んでいるのだろうか?


「私は仕事に戻りますので、どうぞゆっくりして行って下さい」

「こちらこそ、お仕事中に申し訳御座いませんでした」


 マスターが会話の間に上手く言葉を滑り込ませて、テーブルを離れた。

 私は林田さん家族のオーダーを取ってから、テーブルを離れる。

 オーダーを取っている最中もボスは『早く開けろ!』と五月蠅いが、本人がいる目の前で開ける訳に行かない。

 なにより前回もお礼として、三万円も貰っている。

 もちろん、ボスには内緒だ。

 バイクを購入する時に払おうかとも思ったが、貯蓄に回すことにした。

 両親と姉の保険金が入っては来たが、使う気になれない。

 幸いにも親戚たちも親身になってくれていた。

 相続などで揉めることもなく、金の無心もなかった。

 親戚の多くが遠方ということもあるのかも知れない。

 唯一、入院の手続きや、役所への書類提出などをしてくれた伯父夫婦には、私が退院した時に、身元引受人として病院から連絡がいった。

 子供のいない叔父たちは、自分の養子にならなかとも提案をしてくれた。

 しかし、私は気持ちの整理も出来ておらず、伯父夫婦に感謝はしたが養子の申し出は断った。

 叔父夫婦も私の気持ちを第一に考えてくれたので、承知してくれた。

 少なかったがお礼として、両親の口座にあったお金を引き出し渡す。

 叔父夫婦からは、酷く叱られた。

 困っている身内に手を貸すのは当たり前のことだ‼

 大事な弟が稼いだお金だからこそ、大事に使うように諭された。

 私は叔父夫婦の言葉が有難かったし、簡単に手を付けていいお金では無いことを改めて思い知る。

 だからこそ、自分の生活費は自分で稼ごうと思っている。


「祐希ちゃん。猫探しを本業にしたらどう?」

「それ、いいね。猫探偵なんてどう?」

「いやいや、それを言うなら猫メイド探偵だろう」

「おぉ、たしかに‼ 上手いこと言うな」


 飯尾さんと藍木さんが、勝手に盛り上がっていた。

 相手にするのも疲れるので放っておくことにする。


 しかし、予想外だったのは一美さんも話に交じり盛り上がっていた。


「一席だけ、祐希ちゃん専用にしてもいいわよ」

「私が抜けたら、フロアは大変なことになりますよ」

「そうだよ。一美さん、変な誘惑しないでよね」

「冗談よ」


 一美さんは笑っていたが、本気にしか思えなかった。


「それも……いいですね」


 無言でキーボードを叩いていた絢音さんが、小さく呟いているのが聞こえた。

 その口元は少し笑っているようにも思えた。

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