009話

『また、お前か……』

『こんばんは、ボス』


 時折、姿を見せるメス。

 いや、人間だから女という言葉が適切なのだろうが、他の人間と違い突然、目の前に現れたり消えたりすることが出来る。

 祐希の姉で “七瀬”という名前らしい。

 最初は怪しい人間だと警戒していた。

 しかし、俺に危害を加えることはなく、なにより七瀬に触れることさえ出来なかった。

 俺は知らない人間の新しい能力かとも思った。

 七瀬は既に自分は死んでいるのだと言って、今の自分は”幽霊”という存在だと教えてくれた。

 同じように、たまに見かける奴が幽霊ということを七瀬からの説明で知った。

 幽霊とは死んだ奴だと知ったが、今まで見た幽霊と話をする事は無かった。

 俺たち猫の中にも幽霊が見える猫と、見えない猫がいる。

 数時間だけ家にいたラテがいた時も七瀬は姿を見せたが、ラテは七瀬を見ることが出来なかった。

 理由は俺にも分からない。


 七瀬は祐希のことが心配なのか、成仏出来る時期のギリギリまで祐希を見守るそうだ。

 もっとも、祐希には見えていない。

 両親は七瀬の説得で先に成仏というものをして、新しい世界に旅立ったそうだ。


『なにか、面白い事あった?』


 七瀬は会う度に、祐希にあった出来事を俺に聞いてくる。

 俺はラテという迷い猫を捜索した話や、バイト先のマスターという男からバイクという乗り物を譲ってもらったことを伝える。


『祐希がバイクね。玄関に置いてあったモンキーね』

『なんだ、お前も知っているのか?』

『えぇ、一美から彼氏が……って、今は旦那ね。その旦那が、バイクばかり弄っているって愚痴を聞かされていたからね』

『そうか。しかし、乗り心地は悪いぞ』

『ボスにしたら、そうかも知れないわね』


 七瀬は笑う。

 笑った顔は、どことなく祐希と似ている気がするのは、やはり姉妹だからだろう。


『あっ、ボス。一美のこと、ありがとうね』

『あぁ、別に大したことはしていない。お前に言われた通り、傍にいただけだしな』

『それで十分よ。親友の泣き顔は見たくないからね』


 俺はマスターと一美が家に来た時に関係ないと思い、飯が出来るまで寝ているつもりだった。

 しかし、七瀬が突然現れて頼みごとをしてきた。


『ボス。寝ている所、悪いんだけど二階で一美の横に居てくれる』

『……なんでだ?』

『多分、祐希は私が書いたノートを渡すつもりだと思うの。一美は絶対に泣くと思う……私では力になれないから』


 寂しそうな表情で話す七瀬。


『分かったが、近くにいるだけでいいのか?』

『うん、それだけでいいの』

『良く分からんが、お前にはいろいろと教えてもらっているしな。俺がお前の代わりに一美を慰めてやるよ』

『ありがとう、ボス』


 俺は七瀬に言われた通り二階に上がると七瀬の部屋に直行して、一美の横で寝転がった。

 暫くすると七瀬の予感が的中して、一美の泣き声が聞こえる。

 目を開けると七瀬が一美を後ろから抱くようにして、一美と同じくらい泣いていた。

 一美は七瀬の存在には気付いていないだ。

 七瀬に一美を抱くことが出来ないので、抱いているように見えるだけだ。

 触れることが出来ないのは……いや、想いが伝えられないのは辛いことなのだろうか? と、二人を見ていた。

 俺は一美の膝へと移動して、一美を見る。

 一美越しに、向こうにいる七瀬と目が合う。


『これでいいのか?』

『……ありがとう』


 俺はそのまま二人を見続けた。

 何故、二人が泣いているのか俺には理由が分からない。

 人間と猫では感性も違うので、聞いたところで理解は出来ない。


 ・

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 ・


『落ち着いたのか?』

『えぇ、ありがとう』


 一美たちも居なくなり、祐希も寝静まった頃に俺は七瀬と会話をする。


『死んだ後も一美を泣かせるなんて、親友失格ね』

『親友ってのは、そんなものなのか? 俺は祐希に親友ってのは、親しい友人でなくて心が通じ合っている心友でもあって、お前と一美は心友だと聞いたぞ』

『そうね――まさか、猫に御説教を貰うとは思わなかったわ』


 七瀬の顔に笑顔が戻る。

 なぜか、七瀬や祐希が元気のない顔になると嫌な気分になる。


『その……これからも祐希や一美のことお願いしていいかな』

『俺で出来ることがあればな』

『そう思ってくれるだけ十分よ。あと、まいやんも気に掛けてあげてね』

『まいやん……って誰だ?』


 俺は七瀬の言った”まいやん”が誰を差す言葉なのか分からなかった。


『毎月、家に顔を出してくれるし、今日も居たじゃない』


 不思議そうな顔をする七瀬。


『あ~、祐希が麻衣ちゃんと言っているメスのことか』

『そうそう、その麻衣ちゃんのこと』


 俺は祐希の言葉でしか、祐希の人間関係が分からない。

 それ以外の呼び名を言われても分からないのだ。


『まいやんは人に弱みを見せないからね。正確には唯一見せられていた人もいたけど、今は遠い所にいる筈だから』

『遠い所って、お前のような所にか?』

『違うわよ。私は会うことは出来ないけど、会える場所だけど遠い所って意味よ』

『ふーん、良く分からんな』


 人間の言う”遠い場所”という意味が理解出来ない。

 俺からすれば、祐希のバイト先であるma couleurマ・クルールでも遠い場所だ。

 ラテを見つけた場所も祐希たちからすれば、遠い場所にはならないのだと思った。

 祐希の言っていた”行動範囲”というのが違うのだろう。


『じゃあ、始めましょうか』

『そうだな』


 七瀬は祐希との会話に困らないように、人間の言葉を教えてくれる。

 それが今、姉として祐希にしてあげられる唯一の事らしい。

 俺は夜な夜な勉強をしていることを、祐希は知らないから寝てばかりだと文句を言われる。

 まぁ、努力というのは見えないところでするものだと七瀬は言っていたし、努力していることを人に話すことのは格好悪いことだと教えてくれた。

 俺は格好いい猫なので、七瀬の言葉を守っている。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『……お前、少し薄くなっていないか?』

『そうね。成仏する日が近くなると、薄くなるのかもね』


 七瀬も成仏する日が近いことを分かっている。

 つまり、残された時間が少ないことを意味する。


『それよりも、追われていた理由は分かっているの?』


 七瀬は俺と祐希が、ラテを捜索していた時に追われていたことを心配していた。


『いいや。俺もどうして、あいつらが追ってきたのか分からないしな』

『危険な事件に巻き込まれていないわよね』

『分からん』

『ボスしか頼る人……猫がいないんだから頼むわよ』

『頼まれてもな』


 俺が出来ることなど知れている。


『ボスなら祐希を助けてくれると信じているから』


 勝手な期待を押し付けられたことや、俺を過剰評価している七瀬は俺の何を知っているのだろうか?


『七瀬。お前は、たまにしか顔出さないけど、なにか理由があるのか?』

『本当は毎日、顔出したいのだけど、姿を出してもボスに気付かれないことがあるよ』

『そうなのか?』

『えぇ、だからボスに気付かれないと分かった時点で戻っているわよ』

『それは悪かったな』

『別にいいわよ。多分、ボスのせいではないと思うし』


 寝ぼけているとはいえ、俺が気配を感じないということは考えられない。

 それだけ、七瀬の気配が消えているということだ。

 考えても俺に分かるはずがないので、考えるのを止める。

 祐希も言っていた「時には諦めも肝心だ」と。

 なんでも祐希曰く”諦めの美学”らしい。

 その諦めの美学とやらを詳しく聞こうとしたが、祐希は教えてくれなかった。


『遅くなったけど始める?』

『そうだな、よろしく頼む』


 俺と七瀬の勉強会が始まった――。

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