007話
「……一美さん」
「なに?」
「その……閉店後で構いませんので、マスターと一緒に私の家に来てもらえませんでしょうか?」
「えっ、どうして?」
「……今日は両親や姉の月命日ですので、姉と一美さんが親友だったことを知ったのも、今日という何かの縁かと思いまして……駄目でしょうか?」
気持ちを落ち着かせた私は一美さんに無理なお願いをする。
妊娠中の一美さんに無理なことはさせられないと分かっていたが、分かったうえでのお願いだ。
もちろん、マスターには私からも話をしてお願いするつもりでいる。
「えぇ、いいわよ」
「ありがとうございます」
私と一美さんが店に戻ると、お客さんは麻衣ちゃんと飯尾さん、藍木さんの三人だけだった。
「御迷惑おかけしました」
私は皆に謝るが三人とも、優しい言葉を掛けてくれた。
「本当に大丈夫なの?」
「うん、心配させてゴメン」
「ううん、別にいいのよ」
麻衣ちゃんが私を気遣ってくれる。
ボスも何事かと私のほうを見ているが、何も話し掛けて来ない。
猫ながら場の空気を読んでいるのかとも感じた。
私はマスターに閉店後、一美さんと私の家まで来て欲しいことを伝えると、マスターは理由は聞かずに了承してくれた。
一美さんのことを気遣い、車を出すので一度、家に戻って車を取ってくるそうだ。
「それなら、私が出してあげるわ」
「いや、白井。それは悪いだろう」
「気にすることは無いわよ。今日、私も祐希の家に行くつもりだったしね」
麻衣ちゃんは月命日には家に来て、遺骨の前で手を合わせてくれている。
まだ納骨していないことについても、何も言わない。
それに月命日に一美さんたちを家に呼ぶのも、なにか姉に呼ばれている気もした。
「私が一度帰ってから、車を取ってくるわよ」
私が会話に参加することなく、話が進んでいく。
やはり、マスターと麻衣ちゃんは同級生だったようだ。
ということは、姉も知っていることになる。
結局、麻衣ちゃんの車で皆、私の家に来ることになる。
献花は私と麻衣ちゃんで買い、麻衣ちゃんが自宅まで持ち帰ってくれることになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
閉店後、麻衣ちゃんの車で私の家に到着する。
一美さんは玄関前で懐かしさに浸っているように見えた。
姉を思い出しているのか、暫く立ち止まったままだった。
私は皆を家の中に招く。
家に人を招くことが最近無かったので、スリッパなどの用意に手間取ってしまった。
「どうぞ」
私は遺骨が置いてある部屋に案内する。
「お花の水、替えて来るわね」
「ありがとう、麻衣ちゃん。マスターに一美さん、ボスをリュックから出すので、少しだけ待っていてもらえますか?」
「えぇ、いいわよ」
写真の中で楽しそうに笑う姉。
久しぶりに姉の顔を見たからか、一美さんの笑顔がぎこちなかった。
『はい、ボス』
『……大変なことになのか?』
『うーん、そういうわけじゃないけど、私的には心残りが一つ解消されるかな』
『よく分からんが、なんでマスターや一美が家に来るんだ?』
『それはお姉ちゃんと一美さんが親友だったんだ』
『親友ってなんだ?』
『親友って言うのはね、親しい友人と言う意味よ。だけど、お姉ちゃんと一美さんは心友かな』
『ん? お前は何を言っているんだ。同じ言葉だろう』
『確かにそうだけど――。』
ボスに親友と心友の違いを説明する。
『良く分からんが、終わったら飯の用意をしろよ』
『はいはい』
ボスはゆっくりと歩いて、お気に入りの場所で寝る体勢になっていた。
気遣ってくれるボスに感謝しながら、私は二階にある姉の部屋へと静かに移動をする。
姉の部屋は昔のままだ。
昔……大学に進学する前、高校時代のままになっている。
遺品整理をしようとも考えたが、手を付けることが出来なかった。
それは、この部屋だけでなく家全体に言える。
この家には家族四人の思い出が詰まっているので、私個人の判断で捨てたりすることが出来なかったからだ。
部屋のドアを開放してエアコンを暖房にして設定温度を高めにした。
少しでも匂いが気にならないようにと、出来る限りのことをする。
普段は閉め切っているのだで、空気の流れが無いから少しだけカビ臭い。
「お待たせしました」
私が一階に戻ると、麻衣ちゃんの花の入れ替えも終わっていた。
皆で私の家族に祈りを捧げた。
「お姉ちゃんの部屋を見て行ってくれませんか?」
私は一美さんにお願いをする。
一瞬、戸惑う一美さんだったが、マスターや麻衣ちゃんが頷くのを見ると「ありがとう」と言ってくれた。
妊娠中の一美さんに注意しながら、二階へと移動するが一美さんが笑いながら「妊婦は病人じゃないのよ」と言う。
姉の部屋の前に立つと、一美さんは家に来た時と同じ表情を見せた。
「どうぞ」
私は部屋へ入るように促す。
ゆっくりと足を進める一美さんが寂しそうに呟いた。
「何も変わっていないね、あの頃のままだ……なーちゃんが居ないこと以外は」
高校時代を思い出すかのように部屋を見渡していた。
私にとって、何気ない部屋の一部と化した物も、一美さんにとっては思い出の品なのだろう。
「祐希。飲み物でも用意するから、キッチン借りるね」
「えっ、私がやるから――」
「祐希は此処にいるべきでしょ」
麻衣ちゃんが不甲斐ない私を、さりげなくフォローしてくれた。
「一美さん。座ってもらっても構いませんので、楽にして下さい」
「うん、ありがとうね」
一美さんはベッドに背をあずけるようにして座る。
ベッド中央には一人分のスペースがある。
この位置が一美さんの定位置だったのだと、すぐに分かった。
「本当に懐かしいな……」
懐かしむ一美さんを複雑な表情を見つめるマスター。
「マスターも座ってください」
「ありがとう、祐希ちゃん。でも、僕はこのままでいいよ。あっ、ボス」
マスターも姉と一美さんの空間に入ってはいけないと、マスターなりに気を使ったのだと思うが、ボスときたら――。
一階で寝ていたボスが何故か、二階に上がってきたのだろう。
ボスが二階に上がってきたのか分からなかったが、我関せずという感じで一美さんの横に移動すると、姉の場所だったであろう所で寝転がった。
ボスの行動も気になるが、今は……。
「実は一美さんに渡したい物があって、わざわざ自宅まで来てもらいました」
「渡したい物?」
一美さんは月命日だから家に来たのだと思ったに違いない。
実際、私もそういう御願いの仕方をしている。
しかし、私はどうしても姉の思いを一美さんに届ける義務があった。
私は姉の引き出しから一冊のノートを取り出す。
このノートは事故当時、机の上に置いてあったものだ。
「これです」
私は黙って、一美さんにノートを差し出した。
なんのことか分からない一美さんはノートを開き、頁をめくる。
「これって……」
一美さんがノートの内容に驚く。
上からマスターもノートを覗き込んだ。
「……もしかして」
マスターもノートの中身に気付く。
「はい、姉が一美さんとマスターの結婚式で、友人代表としてスピーチする内容を考えていたノートです」
私も最初、このノートが何か分からなかった。
日記にしては日付もないし、箇条書きのように文字が書かれている感じだったからだ。
その内容も訂正線で消した跡があったり、番号や記号などもある。
しかし、読み進めていくと、このノート本当の意味が理解出来た。
家族旅行の為、家に戻って来た時も必死で考えていたのだと思う。
だからこそ、一美さんに読んでもらう必要があった。
ノートには一美さんとの出会いから、印象に残っている思い出などが幾頁にも渡り書かれていた。
読み進める一美さんは当時のことを思い出したりして、笑ったりする。
そして、徐々にスピーチの内容がまとまり最後の頁に書かれた文字。
「かずみん、あなたに出会えて良かった。私と出会ってくれたこと、本当にありがとう。そして、大吾郎さんと末永くお幸せに」
この文字で締めくくられていた。
一美さんが流した大粒の涙がノートに零れる。
マスターは心配しているが、どうしていいのか分からずに戸惑っていた。
一美さんの泣く姿を見て「お姉ちゃんは一美さんにとって掛け替えのない一人だったんだ」と、父親の言葉を思い出した。
この先、私にも同じように「出会ってくれてありがとう」と言いてもらえるような人に出会えるのだろうか――。
姉がマスターと一美さんの結婚式に出席することは叶わなかった。
楽しみにしていただろうし、親友の新しい門出を誰よりも喜んで祝ってあげたかったに違いない。
そして、このスピーチも一美さんの前で読まれることもなかった――。
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「ごめんね、祐希ちゃん」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございます」
「ボスもありがとうね」
一美さんが落ち着くのを待っていた。
泣き止まない一美さんに狼狽える私とマスターだったが、ボスは一美さんの膝に乗り、一美さんを下から見続けていた。
言葉を発しないボスの意図が私には分からなかったが、一美さんがボスを見て落ち着いたのは間違いない。
いや、『これでいいのか?』と一言だけ言った気がするが、小さい声だったので正確には聞き取れなかったので、気のせいだったのかも知れない。
随分前に、麻衣ちゃんが階段を上がってくる音が聞こえたが、部屋の中から一美さんの泣く声を聞き、廊下で待っていたようだが再度、階段を下りる音がしたので、お茶を入れ直しに戻ったのだと思う。
さりげなく気を使える大人の対応だ。
流石は麻衣ちゃんだと感心をする。
「このノートを貰って頂けますか?」
「えっ! でも、これは……」
「姉が一美さんに贈るために考えた言葉です。一美さんの手元に置いて頂く方が姉も喜ぶと思います」
「うん、ありがとう。大事にするね」
一美さんはノートを胸で抱き、本当に大事にしてくれるのだと誰が見ても分かる仕草をする。
「お茶が入ったわよ」
麻衣ちゃんが声を掛けて部屋に入ってきた。
とてもいいタイミングだ。
「一美は烏龍茶だけど良かった?」
「うん、ありがとう」
一美さんは妊婦なのでカフェインを控えていることは知っていたが、飲みものに入っているカフェインの量まで私は知らない。
私だったら一美さんに何を出していただろう……自分の無知を恥じる。
一美さんと麻衣ちゃん、マスターの三人は昔のことを懐かしそうに話していた。
私は私の知らない姉の話を聞けるのが嬉しく、ただただ聞いていた――。
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