006話

「久しぶりに一美の所にでも顔を出すか!」


 休日なのに、これといった用事が無い。

 私は友人の一美に、「今日、店に行く!」とメッセージを送る。

 大きく背伸びをしてベッドから下りて、外出の準備を始めると、スマホからメッセージの着信を知らせる音がなる。

 スマホを手に取り確認すると、「待っている」と一美からの返信だった。

 まだ、朝の六時過ぎなのに返信が早いと感心する。


「……」


 スマホの日付を見て、幼馴染とその家族の月命日だということを改めて実感する。

 仕事のある時は仕事終わってから、幼馴染の家へと足を運んでいた。

 今日は休みなので、一美の店に顔を出した後に幼馴染の家へと行く事を決めた。

 一美の店というが、実際は結婚した旦那で同級生の“岡部 大吾郎おかべ だいごろう”の店“喫茶ma couleurマ・クルール ”になる。

 皮肉にも一美と再会したのは、幼馴染の七瀬の葬儀だった。

 これをきっかけに、何年振りかの時間を取り戻すかのように頻繁に会っている。

 一美が地元に戻って来たことも大きい。

 七瀬がなくなる前は幼馴染の私よりも、七瀬と一緒に居る時間が多かった一美。

 その七瀬が亡くなったと知った時、一美のショックは大きかった。

 葬儀の時、咽るように号泣して立っていられないほどだった。

 多分、参列者の中で誰よりも泣いていたと思う。


 今、一美はお腹の中に大吾郎との子供を宿している。

 なにか出来るわけでは無いが、顔を出す事で気持ちの負担が減ればと考えている。

 用意を終えたので、少し早いが店を出る事にした。

 家を出ると、隣の家から七瀬の妹の祐希の姿が目に入る。


「あれ、祐希⁉」

「あっ、麻衣ちゃん。おはよう」

「何、祐希は今から学校?」

「違うよ。バイトだよ。麻衣ちゃんは?」

「私はちょっと、そこまでね」

「そうなんだ」


 向かう方向が一緒だったので、私は祐希と話しながら歩くことにする。



「えっ⁉」

「えっ⁉」


 私と祐希が足を止めた場所が、偶然にも同じ場所だった。

 そう、”喫茶ma couleurマ・クルール”だ。


「祐希はバイトだって言っていたわよね?」

「うん。このお店でバイトをしているよ」

「……そう」

「麻衣ちゃんは、珈琲を飲みに来たの?」

「そうよ。休みの日は、たまにだけど来るわ」

「開店前だけど、麻衣ちゃんも入る?」

「うーん。迷惑になるから、私はもう少し歩いて時間を潰そうかな。開店時間になったら又来るね」

「うん、じゃあね。また後でね」

 

 私は祐希と別れて、商店街を歩いて時間を潰すことにした。

 と言っても、この時間に多くの店は開いていない。

 時間に合わせて商店街を歩くだけだ。


 祐希がma couleurマ・クルールでバイトをしている。

 ここ最近は、一美の調子が悪いことや、私が休日の度に用事があったこともあり、二月ほどは顔を合わせていない。

 その代わり、電話などでの連絡は頻繁にしていた。


 しかし、祐希のバイト先がma couleurマ・クルールであれば、間違いなく一美とも面識があるはずだ。

 祐希も一美も、お互いの素性を知っているのか疑問に感じていた。

 もし、二人とも知らないのであれば……私が教える必要がある。

 祐希と一美の二人にとっても、とても重要なことだからだ。

 しかし、どうやって切り出すべきか……私は悩みながら商店街を歩き続けていた。


「そろそろかな」


 腕時計で時間を確認して、ma couleurマ・クルールへと向かう。

 ma couleurマ・クルールの扉を開ける同時に、「いらっしゃいませ!」と元気な声が返ってきた。



「……何、その恰好⁉」


 店内で一番最初に目に入ったのは祐希だった。

 祐希のメイド服に驚いた私は、思わず声を上げた。


「ここの制服だよ」


 私の言葉に冷静に答える祐希だったが、奥で笑っている一美を発見する。


(一美の奴……)


私は一美を睨むが、一美は笑顔を崩さなかった。


「さぁ、どぉぞ」


 祐希に案内されるが、私は一直線に一美の横に座る。


「一美。あんたの趣味でしょう」

「さぁ?」


 一美は笑いながら、惚ける振りをする。


「何飲んでるの?」

「珈琲は控えているから、ルイボスティーよ」

「そう。それで、体調はどうなの?」

「うん、順調だよ。つわりは今でも辛いけどね」

「そう、それなら安心ね……って、一美の所も猫飼いだしたの?」


 目の前に居るデブ猫。

 祐希の家にいる猫にそっくりだが、猫だけに見た目で判断は出来ないので、見分けるのが難しい。


「違う違う。ボスは祐希ちゃんの所の猫よ」

「……やっぱり、そうなんだ」

「それよりもさっき、祐希ちゃんと話していたけど、祐希ちゃんと知り合いなの?」


 やはり、一美は祐希が七瀬の妹だと知らないようだ。

 と言うことは逆もしかり。

 祐希も姉の七瀬と一美が親友だったことを知らない。

 一応、祐希に聞かれないように気を使い、少し小声で一美に話す。


「……本当に何も知らないの?」


 一美にも一応、確認する。


「何が?」


 ふざけた様子で一美は答える。


「祐希は……七瀬の妹よ」

「えっ⁉」


 一美の驚きの声が、店内に響き渡る。

 何事かと驚く旦那の大吾郎や、お客さん。

 それに、祐希が一斉に一美の方を見た。


「あっ、すみません。何でも無いので」


 一美の代わりに私が対応をする。

 突然のことで、一美の顔から笑顔が消える。


「祐希の名字で気付かなかったの?」

「西田って別に珍しい名字でも無いし……なーちゃんに妹がいたのは知っていたけど……」


 一美は、七瀬のことを“なーちゃん”と呼んでいた。

 七瀬も一美のことを“かずみん”と呼んでいた。

 二人は私のことを“麻衣”と呼ぶ。

 一美と七瀬の呼び名は二人だけの絆だと思い、他の子たちが呼んでも私は呼んではいけない気がして、同じ呼び名で呼ばなかった。

 いや、正確には呼べなかったというのが正しいだろう。

 七瀬とは幼馴染という関係からか、周りから親友同士に見られていたと思う。

 たしかに幼馴染以上親友未満というのが、私と七瀬の関係を説明するのに相応しい言葉だろう。

 本当の親友というのは、七瀬と一美のような関係のことを言うのだと思う。

 七瀬と一美の関係に私が入り込む余地など無かったから、余計にそう感じる。

 昔、笑いながら七瀬が一美に「親友というより心友だね」と言っていたことを思い出す。

 嫉妬とかでなく、純粋にお互いに心を許せる人に出会えた二人が羨ましかった。

 だからと言って、私に心が通じ合う心友がいなかったわけではない。

 彼女も遠い地で元気にやっているのだろうかと、ふと思い出す。



「麻衣の幼馴染として、隣にいて恥ずかしくないようにしなくちゃ」


 まだ小さかった頃、七瀬が私に向かって言った言葉だ。

 小学校の低学年の時に男子たちが、悪気無く言った言葉を気にしていたのだろう。


「家が隣なのに、西田と白井は全然違うよな」


 勉強も運動も、それなりに出来て目立っていた私とは対照的に、クラス内で大人しく控えめで目立たない存在だった七瀬を比較した些細な言葉だ。

 私は七瀬を侮辱されたと思い、その発言をした男子たちと喧嘩をした。

 それを泣きながら止めたのは、当事者の七瀬だった。

 女子一人に男子が三人。

 私のあまりの暴れ振りに保護者の呼び出しにまで発展した。

 原因は男子生徒側にあるので、男子生徒の親たちは自分の子供を叱っていた。

 私の両親に叱られる覚悟をしていた。


「よくやった」


 両親の口から出たのは、私の思いとは反対の言葉だった。


「七瀬ちゃんの――友達の悪口に怒ることは悪いことじゃない。むしろ、立派なことだ」


 父親は笑顔で私の頭を撫でてくれた。

 七瀬の両親も私に感謝の言葉を何度も言ってくれた。

 この件は私の性格形成でも重大なことの一つだった。


 そんなことを七瀬は時折、昨日のことのように笑顔で話す。

 その笑顔を私は忘れていない。


 今考えても所詮は子供の戯言、全く根拠の無い虐めの言葉だ。

 しかし、七瀬は努力した。

 それは近くで見てきた私が一番知っている。

 当たり前だが私は天才では無いし、努力をしていない訳ではない。

 しかし、七瀬の前では努力と言う言葉を使うことさえ、恥ずかしいと思えた。

 そして、そんな七瀬を見ていたからこそ、私も七瀬の幼馴染として恥ずかしくないようにと……。


 祐希に七瀬の存在を意識したせいか、一美は明らかに動揺していた。

 大吾郎も妻である一美の様子を気にしているようだったが、話の内容まで聞こえていない。


「七瀬の家に行ったことだって、あるでしょう?」

「あるわよ。だけど、なーちゃんの家族とは会ったことは無いし……」

「まぁ、姉妹とはいえ、七瀬と祐希は似ていないからね。気付かないのも仕方がないけど」

「……」

「それに何度か、試合も見に来ていたわよ」

「そう、なんだ……」


 私と七瀬に一美は、中高と同じ学校で、中学校時代は三人共ソフトボール部だった。

 七瀬はピッチャーで、一美はキャッチャー。そう、二人はバッテリーを組んでいた。

 一見、完璧に見える七瀬を精神的に支えていたのは、間違いなく一美だ。

 私は、そんな二人を羨ましく思う事もあった。

 七瀬は東京にある大学へ進学する為、卒業と同時に地元を離れた。

 一美も東京にある短大に行くと、地元を離れた。

 私は実家から通える隣県の大学へと進学したので、一美とは疎遠になった。

 七瀬とも帰省した時に会って、話をするくらいだった。

 その時に一美の話をすることもあったので、二人は東京でも会っているのだと分かっていた。

 それに一美が短大を辞めて、地下アイドルをしていると知った時は驚いた。

 アイドル好きだった一美が自ら、アイドルになるとは信じられなかったからだ。

 酔った七瀬が「充実した毎日を過ごしている! と言った一美が羨ましい」と呟いた一言が、今でも私の記憶の中に残っている。


「そう……祐希ちゃんが、なーちゃんの妹なんだ」


 感慨深いのか、一美が黙ったままだった。

 私も口を開くことなく、大吾郎の入れた珈琲を口にする。


 突然、店内に大きな音が響いた。

 振り返ると、祐希が倒れていた。

 祐希の周囲には割れたカップや、皿が散乱している。


「祐希、大丈夫!」

「はっ、はい。すみません」


 祐希はすぐに立ち上がり、私たちに頭を下げると、すぐに清掃するため私たちの方へ走ってきた。

 一美の横を通ろうとした時、一美が祐希の肩に軽く手を乗せる。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 一美が優しい笑顔で、祐希に話し掛ける。

 私は一美の言葉を聞いて、懐かしい気持ちになる。

 七瀬が落ち込むたびに、一美が七瀬に掛けていた言葉だ。

 以前に、七瀬が祐希に同じ言葉を掛けていたのを見たことがある。

 それだけ、七瀬にとって大事な言葉だったのだろう。

 もしかしたら、祐希が七瀬の妹だと知って、無意識に口にしているのかも知れない。


「どっ、どうしたの⁉」


 一美が慌てていた。

 祐希を見ると、涙を流している。


「ごっ、ごめんなさい。なんでもありません」


 祐希は一美に謝りながら涙を拭っていたが涙は止まるどころか、より一層溢れていた。


「ほ、本当になんでもありません。あれ? おかしいな、なんでだろう」

「祐希ちゃん。大丈夫、大丈夫だから」


 一美が慰めようと声を掛けた瞬間、祐希は咽るように泣き始める。

 小さい頃から祐希のことを知っている幼馴染の私でも、ここまで祐希が泣いているのを見たことが無い。


「一美。ここは私が片付けておくから、奥で祐希のこと見ていてくれる?」

「うん。御願いね」


 私は常連客に頭を下げながら、片付けを始める。


「祐希ちゃん。一体、どうしちまったんだい?」


 常連客の飯尾さんに声を掛けられる。

 何度も通っているうちに、常連客の人たちとは顔見知りになっていた。


「うーん。どうしたんでしょうね?」


 私は回答を濁す。


「もしかして、怪我でもしたのかな?」


 飯尾さんと同じテーブルにいる藍木さんも、祐希のことを心配しての発言なのだろう。


「祐希ちゃんも、この間家族を事故で亡くして、苦労しているからね」


 会話に入ってきたのは、別のテーブルで珈琲を啜りながらパンケーキを二皿食べている中年男性で、私たちと同じ町内に住む肥村さんだった。


「えっ、祐希ちゃんって――」


 肥村さんの言葉で、飯尾さんと藍木さんは祐希の事情を察したようだ。

 事故相手のトラック運転手からはアルコール反応があった。

 一時期、祐希の家には取材をする人が多く集まっていた。

 私や家族も何度かインタビューを迫られたが、私たち家族は一貫して無言を貫いていた。

 しかし、噂が広まるのは早かった。

 人が集まる商店街で飲酒運転についてのインタビューがされたこともあり、祐希の家族の事故はこの地域では有名になっていた。


「肥村さん。そんなに食べていると奥さんに告げ口しますよ」


 私は話題を変える。


「えぇー! 麻衣ちゃん、それは秘密にしておいてよ。ウォーキングしていることになっているんだから」


 毎日、ウォーキングしているのに痩せないと、肥村さんの奥さんから愚痴を聞いたことがある。

 たしかに毎日、これだけ食べていたら消費カロリーよりも摂取カロリーのほうが多いと思うので、痩せるのは難しいだろう。


「白井、ありがとうな」

「いえいえ、どういたしまして」

「これは礼だ」


 片付けを終えると大吾郎から礼の言葉と共に、パンケーキを出された。


「有り難いけど今、ダイエット中なんだ。気持ちだけ貰っておくわ」

「そうなのか……こっちこそ悪かったな」


 バツが悪そうな大吾郎を見て、私も申し訳ない気持ちになった。


「なになに、そのパンケーキ食べないの? 俺が貰ってもいい?」

「いいですけど、奥さんにバレても知りませんよ」

「大丈夫だって」


 肥村さんは私の前からパンケーキを奪うと、自分の席で嬉しそうに食べ始めた。

 私は奥にいる祐希と一美のことが気になっていた。

 そして、厨房にいる大吾郎も同じだろう。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 証言一

 証言者:常連客の飯尾さん


「いや~、ビックリしましたよ。祐希ちゃんがいきなり泣くんだもの」


 ゆっくりとした口調で話す。


「でもね。一美ちゃんが優しく祐希ちゃんを慰めている姿に、見ている俺まで涙が出てきちゃってね」


 眼鏡を外して、目じりを指で軽く拭う。


「あの後、知ったんだけど祐希ちゃんも苦労しているんだね。おじさん、応援したくなっちゃったよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 証言二

 証言者:常連客の藍木さん


「うん、うん。祐希ちゃんは頑張っているね。それにしても祐希ちゃんが、あの事故の被害者だったとは……御近所だったから、俺たちの間でも噂にはなっていたんだよ」


 必要以上に頭を上下運動させている。


「うん、うん。俺も出来るだけ、この店に通って祐希ちゃんの心の隙間を埋めてあげたいね」


 一人で納得するように話していた。

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