005話

「あれ、祐希?」

「あっ、麻衣ちゃん。おはよう」


 私がバイトに行こうと家を出ると、隣に住む麻衣ちゃんが同じタイミングで、家から出て来た。

 まだ時間は朝の六時三十分過ぎだったので、麻衣ちゃんと顔を合わせることになるとは思っていなかった。

 麻衣ちゃんは、姉と同級生で幼馴染だ。

 職業は医師なので勤務形態も不定期のようだ。

 たしか、整形外科だと言っていた気がする。


「何、祐希は今から学校?」

「違うよ。バイトだよ。麻衣ちゃんは?」

「ふーん、朝早くから大変ね。私はちょっと、そこまでね」

「そうなんだ」


 麻衣ちゃんは、私が退院して家に戻って来てからも、たまに様子を見に来てくれる。

 昔から姉と一緒に居たので、私の中では第二の姉と言っても過言ではない。

 一人っ子の麻衣ちゃんも私を本当の妹のように可愛がってくれている。

 ボスのことは麻衣ちゃんも知っているが、まさかリュックの中にボスがいるとは思っていないだろう。

 勿論、私が猫と会話が出来ることも話していないので知らない。

 麻衣ちゃんと向かう方向が同じなので、歩きながら話をする。


「体調は大丈夫なの?」

「うん。もう、大丈夫だよ」

「そう、それなら安心ね。それで、大学は何時から復学するの?」

「……実は、大学を辞めようと思っているの」

「そう」


 麻衣ちゃんは、それ以上何も言わなかった。

 私が出した答えに何も言わない。それは、私が考え抜いたうえで言った言葉だと分かっているからだろう。

 それから、他愛もない話をしながら足を進める。


 一級河川に掛かった橋を渡っていると風が吹き、あまりの寒さに身を縮める。

 麻衣ちゃんは風上に移動して、私を風から守ってくれた。


「そんなに弱くないよ」

「まだ、病み上がりでしょう」


 私が強気な発言をするが、麻衣ちゃんは笑って流す。

 妹のように気遣ってくれる麻衣ちゃんに感謝しながら、寒風から身を守るため足早に橋を渡り切った。



「えっ⁉」

「えっ⁉」


 二人して店の前で顔を見合わせる。


「祐希はバイトだって言っていたわよね?」

「うん。このお店でバイトをしているよ」

「……そう」

「麻衣ちゃんは、珈琲を飲みに来たの?」

「そうよ。休みの日は、たまにだけど来るわ」


 マスターや一美さんは、姉と同い年だった。

 もしかしたら、麻衣ちゃんとも顔見知りだったのかも知れない。


「開店前だけど、麻衣ちゃんも入る?」

「うーん。迷惑になるから、私はもう少し歩いて時間を潰そうかな。開店時間になったら又来るね」

「うん、じゃあね。また後でね」


 私は麻衣ちゃんと別れて、開店前の店へと入る。


「おはようございます」

「おはよう」

「おはよう、祐希ちゃん」


 店内で開店準備をするマスターと一美さんが居た。

 マスターは坊主頭で少し太っている。

 マスター曰く、新商品の研究をしているので痩せる暇がないとのことらしい。

 一美さんはマスターの奥様で現在妊娠中のため、私が一美さんの代わりにバイトをしていた。

 バイトを始めた時は、いろいろと仕事を教えてくれた。

 一応、一通りの作業が出来るようになってからも、たまに店に顔を出してくれる。

 もちろん、従業員でなくお客としてだ。

 ただ、最近は体調が悪いのか、来店する回数が減っていた。


「あれ? 一美さん、出歩いて大丈夫ですか?」

「家にいてばっかりだと気が滅入っちゃうから、気分転換にね。それに妊娠は病気じゃないから、少しくらいは運動しないとね」

「そうなんですね。無理しないで下さいね」

「ありがとう。祐希ちゃんは優しいね」


 私は制服に着替える為、奥の部屋に少し駆け足で移動した。


「あっ、マスター。今日の昼休憩ですが、少し外出して来てもいいですか?」

「うん、いいよ」

「ありがとうございます」


 今日は家族の月命日になる。

 突然のことだったので、お墓などは無い。

 遺骨はまだ、家に置いたままだ。

 生前、お父さんは私たちの負担になるから、お墓は用意せずに共同墓地でいいと、言っているのを何度か聞いた覚えがある。

 私はお父さんの意見を尊重したいと思っている。

 でも、一周忌までは手元に置いておきたかった。

 月命日は、かならず献花を飾っている。

 花は購入するが、バイトが終わるまで取り置きをしてもらっている。

 ここに持ってくるのも気が引けるし、バイト終わりで花が売り切れて購入できないリスクを回避するためだ。

 これは商店街ならではの対応だが、私にとってはとても有難いことだ。


「あっ、マスター。その猫ちゃん、見つかりましたのでチラシ剝がしても大丈夫ですよ」

「えっ、そうなの? もしかして、祐希ちゃんが見つけたの?」

「はい、偶然ですが……」

「へぇ、さすがだね。飼い主さんも喜んでいただろう」

「はい」


 マスターは自分のことのよう喜んでいた。


「マスター。原付バイクのことですが……御幾らくらいで譲って頂けるのでしょうか?」

「おっ、祐希ちゃん! 乗ってくれる気になったの!」


 マスターは先程以上、前傾姿勢で話をしてきた。

 バイク好きのお客さんと話し夢中になり、一美さんに叱られたのを見たこともある。


「はい、予算次第ですが――」

「私的には無料タダでも、いいんだけどね」

「そんなわけにはいきません」


 バイク好きのマスターは三台バイクを所有している。

 生まれてくる子供のことを考えて、そのうちの二台を処分してのことらしい。

 一美さんは普段から、マスターのバイク好きには頭を悩ませてるので、処分には大賛成らしい。

 マスターは売却金額より、大事に乗ってくれる人に譲りたいと思っているらしい。

 それが知り合いであれば、なおのこと嬉しいと私にバイク購入の話を持ってきたと言っていた。


「あのバイクなら、祐希ちゃんにピッタリだと思うわ」

「僕もそう思うよ。あのバイクも祐希ちゃんに乗ってもらえるなら、とても喜ぶと思うよ」


 一美さんとマスターは、私が見たことのないマスターの原付バイクに私が乗った姿を想像しているようだった。


 店の扉が開く音がする。


「いらっしゃいませ!」


 開店したと同時に入って来たのは、麻衣ちゃんだった。


「……何、その恰好⁉」


 麻衣ちゃんの第一声は、私の制服姿。

 メイド服を着た私に対する驚きの声だった。

 普段の私からは想像できない服装なので、驚くのも無理はない。

 私も最初は着るのに抵抗があったし、出来れば着たくないと思っていた。

 しかし、一美さんがメイド服を着用して勤務してくれれば、時給をプラス百円してくれると提案してくれたので、即答で着ることにした。

 たかが百円かも知れないが、私にとってはメイド服を着るよりも断然、魅力的だったからだ。

 ボスにメイドのことを教えることになったのも、似たような制服を着たメイドがテレビに映った際に、私がボスに説明をしたからだ。


「ここの制服だよ」


 麻衣ちゃんの視線は、私の奥に向けられていた。


「さぁ、どぉぞ」


 私は麻衣ちゃんと店の中へと誘導するが、麻衣ちゃんはカウンター端で、ボスの前に居た一美さんの横に座った。


「一美。あんたの趣味でしょう」

「さぁ?」


 一美さんは笑いながら、惚ける振りをしていた。

 それから、何か話しているようだったが、入って来たお客さんの対応をしていたので、何を話していたのか聞く事が出来なかった。


 水曜日だが、お客さんが多い。

 麻衣ちゃんと一美さんが、何を話しているのかも気になった。

 雰囲気的に麻衣ちゃんと一美さんが、知り合いなのは間違いない。

 一度、一美さんが店内に響くほどの大きな声を出したので、いつもよりも集中して仕事ができていないので、仕事に集中する。

 テーブル席のお客さんが帰られたので、後片付けをする。

 サービストレーにカップやら皿を乗せる。

 少し重かったが「問題無い」と思い、カウンターまで運ぼうと歩こうとした時、バランスを崩して躓いてしまう。


「あっ!」


 そう思った時には遅く、私は床にカップや皿は宙を舞い、床に落ちると同時に激しい破壊音が響く。


「祐希、大丈夫!」


 麻衣ちゃんが心配して、声を掛けてくれた。


「はっ、はい。すみません」


 私は思わず麻衣ちゃんに敬語を使ってしまった。

 それだけ気が動転していたのだ。

 すぐに立ち上がり、お客さんに頭を下げて謝罪をする。

 当然、マスターや一美さんにも謝罪する。


 割れたカップや皿を掃除する為、急ごうと走る。

 カウンターに座っていた一美さんの横を通ろうとした時、一美さんが肩に軽く手を乗せる。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 一美さんが優しく笑顔で、私に話し掛けてくれた。

 昔、姉が落ち込む私に掛けてくれた言葉だ。

 必ず効く“おまじないの言葉”で、姉は親友の言葉だと教えてくれた。

 姉自身、「何度も、この言葉に助けられた」と、嬉しそうに話していた記憶がある。


 私は、姉に声を掛けられた時の懐かしい感覚を覚える。

 自分の意思とは反して、涙が頬をつたっていた。


「どっ、どうしたの⁉」


 突然、泣き出した私に一美さんが慌てる。


「ごっ、ごめんなさい。なんでもありません」


 必死で一美さんに謝る。

 手で涙を拭うが、涙は止まること無く溢れ続けていた。


「ほ、本当になんでもありません。あれ? おかしいな、なんでだろう」


 涙を止めようと意識すればするほど、涙は量を増すように流れる。

 目の前にいる一美さんや麻衣ちゃん。それに、お客さんたちも何事かと私の方を見ていた。


「祐希ちゃん。大丈夫、大丈夫だから」


 一美さんのこの言葉が決め手となり、私は感情のコントロールが出来なくなった。

 自分なりに頑張って来たが、張り続けていた緊張の糸が途切れた。

 目が覚めて家族が死んでいた事実。

 泣いては駄目だと思い、いままで必死で泣くのを我慢していた。

 一美さんの懐かしくも優しい言葉が、私の溜めこんでいた悲しみのダムを決壊させた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「本当にすみませんでした」


 何とか泣き止んだ私は、一美さんに謝罪する。


「……いいのよ」


 優しく一美さんは微笑む。

 涙が止まらない私は、一美さんに連れられて奥にある部屋に移動していた。

 割れたカップなどは、麻衣ちゃんが片付けてくれた。

 お客さんも常連さんばかりだったので、マスターが対応をしてくれたそうだ。


「すみませんでした……」


 何度謝っても、謝りきれない。

 どれだけ、お店に迷惑を掛けたか分かっている。


「祐希ちゃん、ゴメンね」

「えっ⁉ 一美さんが、どうして謝るんですか?」


 謝るのは私のほうだ。

 一美さんが私に謝ることなど、何一つない。

 数秒の沈黙の後、少し悲しそうな顔で一美さんが口を開いた。


「祐希ちゃん……なーちゃん、七瀬さんの妹だったんだね」

「えっ⁉ お姉ちゃんを知っているんですか?」

「うん……」


 一美さんは姉を“なーちゃん”と呼んだ。

 その瞬間、バラバラだったパズルのピースが組み合わさる感じがした。


「一美さんって、旧姓は高浜ですか?」

「うん、そうよ」

「中学時代、お姉ちゃんとバッテリーを組んでいた高浜さんです……か?」

「うん……」


 姉が親友と呼び、自分の弱さを見せられる数少ない友人。

 字は違うが読みは同じ”心友”のほうが合っていると言っていた。

 あの“おまじない”も、一美さんが姉に掛けたものだと知る。

 私は姿勢を正す。


「生前、姉と親しくして頂きありがとうございました」


 一美さんに深く頭を下げて、遺族としての務めを果たす。

 亡くなった姉に対しての感謝の言葉を伝えた。


「そんな、いいのよ……」


 一美さんは照れくさそうに笑う。

 しかし、目が潤んでいた。

 必死で元気に取り繕うとしているようだった。

 親戚から葬儀の時に、姉の友人が誰よりも号泣していたと聞かされていた。

 それが一美さんなのだろう。


 以前に父親が「誰でもいい。たった一人でもいいから、必要とされる人になれ」と言われた事を思い出した。


 人一倍頑張り屋で人前では、いつも笑顔でいる。

 人に気を使ってばかりで、決して前に出ようとしない損な性格だと聞いた覚えがある。

 無理しているその親友が心配だと、帰省した姉が悲しい顔で話したことを思い出す。


 姉が一美さんに気を許せていた理由が、なんとなくだが分かる気がした。

 その場にいるだけで、周りの人を幸せに出来るオーラを一美さんは持っている。

 そして、姉は一美さんと一緒に居るのが心地好かったのだろう――。

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