003話

 家に戻ると浴室に直行して、リュックからラテを出すと有無を言わさずシャンプーの用意に取り掛かる。

 ダニなどがいる可能性もあるし、飼い主に渡す際に綺麗な方が安心すると思ったからだ。

 抵抗するかと思ったラテだったが、嫌がらなかった。


『嫌じゃないの?』

『うん、大丈夫だよ』


 ボスを洗った時に抵抗されたことを思い出す。

 あの時は、かなり抵抗されてお互いに喧嘩腰だった。

 そのことを考えると、ラテは大人しい部類の猫で育ちもいいのかも知れない。

 あらゆるところに、擦り傷や引っ掻き傷などがある。

 傷口にしみないかをラテに確認をする。

 ラテなりに私に気を使っているのか、傷口にしみたりしても『大丈夫です』と言ってくれる。

 優しい仔だと思いながら、ここ数日間は大変だっただろうと、汚れたラテの体を洗っていた。



 そもそも、私がラテを捜したのには理由があった。

 私のバイト先に、小学生の子供が母親と一緒にチラシを持って現れたことが、今回の事件の発端だった。

 私のバイト先は商店街にある喫茶店だが、店に迷い猫のチラシを貼って欲しいという御願いだった。

 マスターも快く承諾して店内の目立つ場所に、その場で貼った。


「ありがとうございます」


 母親はマスターにお礼を言う。


「その……あの猫ちゃんは脱走しないんですか?」


 心配そうな表情の母親は、偉そうに寝ているボスが気になったのか、マスターにボスのことを尋ねた。

 陽の当たる店の扉近くで寝ているし、自分の猫が脱走したから、他の猫のことも気になっているのだろう。

 

「あぁ、あの猫なら大丈夫ですよ。バイトの子が飼っている猫なんですが、飼い主公認です」

「そうですか……」


 この世界に絶対はない。

 母親からしたらマスターが”いい加減な人”と、映っただろう。


「それに、うちのバイトは猫と会話が出来るんですよ。ねっ、祐希ちゃん」


 マスターが私に話を振ってきた。

 常連客も煽るように私を揶揄う。


「お姉ちゃん。本当に猫ちゃんとお話が出来るの?」


 小学校低学年だろう女の子が、私に話し掛けてきた。

 ここで無下に否定するのも大人げないし、肯定したところで変人扱いされるので、回答に困っていた。


「うーん。お話は出来ないけど、猫ちゃんの気持ちは少しだけなら分かるかな?」

「本当! どうしたら、猫ちゃんの気持ちが分かるの?」


 思っていた以上に、女の子のテンションが上がっていた。


「そうだね。毎日、猫ちゃんと接していれば、猫ちゃんの気持ちが分かるかな」


 私は話し終えてから気付く。

 今、この子は猫を探しているのだから、もしかしたら猫が自分たちを嫌になって出て行ったと考えているかも知れない。

 ……時既に遅し、後悔先に立たず。


「ラテちゃんが嫌がることをしたから、お家からいなくなっちゃったのかな」


 泣きそうな顔になる女の子。


「そ、そんなことないよ……お姉ちゃんが必ず見つけてあげるから」

「本当‼」


 咄嗟に出た言葉だったが、女の子の期待に満ちた瞳を見た瞬間に、罪悪感で押しつぶされそうになった。


「祐希ちゃんなら、見つけられるから大丈夫だよ」

「そうそう、猫と会話が出来る人間だからね」


 私は揶揄う常連客の二人を睨む。

 もちろんだが母親は信じていなく、子供との些細な会話だと思ったに違いない。

 しかし、女の子は去り際に「約束だよ‼」と満面の笑みを浮かべて、喫茶店の扉を開けて消えていった。


「はぁ~」


 私は思わずため息をつく。


「祐希ちゃんも責任重大だね」

「そうそう」


 無責任な発言をする常連客二人を再度睨みつける。

 この場にいた誰かは味方になってくれるだろうと思っていたが、私の幻想だった。

 まぁ、マスターは厨房から出て来ないので、常連客に期待した私が馬鹿だったのだが――。

 正直、猫探しのことは無視してもいいと思うが、去り際の私に期待してくれたあの表情を思い出すと、胸が苦しくなる。


(仕方ないかな)


 こうして、私はラテの捜索を開始することとあったのだった。




『なんで、あんなに遠くの場所にいたの?』

『それが――』


 タオルで全身を拭きながら、私はラテに話し掛ける。

 ラテは咄嗟に家から出てパニックになり、詳細な内容までは覚えていないそうだが、美味しそうな匂いのする所に入ったら突然、暗闇になり揺られたそうだ。

 再び、光が差したので急いで、その場から立ち去ったそうだ。

 話を聞く限り、トラックにでも乗って駅前まで移動したのだろう。

 ……本当にボスの協力が無ければ、見つけることは出来なかった。

 ボスの人脈……いや、猫だから猫脈か。

 とりあえず、ボスの猫脈のおかげだと、つくづく思う。

 猫とのコミュニケーションの高さは、人間の私よりボスの方が高い。

 まぁ、当たり前のことだけど。


 ラテの捜索をするにあたり、まずは近所から野良猫たちからの情報収集を始めた。

 近所の野良猫たちは私のことを知っているので、情報収集は簡単に進んだが、ラテらしき猫を見かけた情報は皆無だった。

 唯一の情報は、餌場をうろついていた新参猫がいたことくらいだった。

 その情報も数日前の古い情報だったので、私はボスの協力を得て、捜索範囲を広げることにする。

 数日の捜索の結果、駅前辺りでテリトリーを荒らす新参猫が現れたという情報を手に入れる。

 新参猫にも種類がある。

 別の場所を追い出されて新たな場所で活動する猫の場合、要注意猫として名前と顔も知られている。

 そのためか、噂が広まるのも早いし詳細な情報が入手できる。

 一方、ラテのように室内猫の脱走の場合、ルール無視でテリトリーを荒らしまくる無法者が多い。

 そのテリトリーで行動する猫たちから攻撃をされるので、追い詰められて移動を繰り返すことが多い。

 足取りを追いやすいし、情報も多く入手できる。

 しかし、ラテの場合は突如、駅前での情報しかなかったので半信半疑ながらボスと私は、駅前まで繰り出してラテの捜索をしていた。

 まぁ、焼き鳥の匂いに釣られて、ラテを発見できたのは、たまたまだろうが……。




『はい、終わり』


 ドライヤーの大きな音も嫌がらずに、最後まで大人しいラテを見習ってほしいと、近くで見ていたボスに視線を向けると、気付いているはずなのに視線を合わせようとしない。

 ボスなりのささやかな抵抗なのだろう。

 しかし、私が猫用御飯の入っている棚を開けると、先程まで寝ていたボスが凄い勢いで駆け寄ってきた。

 ……食い意地だけは凄い。


『早く用意しろ』

『今、やっています‼』


 パウチを開けると同時に、ほのかに周囲に匂いが漂う。

 その匂いで食欲が更に増したのか、ボスが私の足にしがき、催促してくる。

 その間、ラテは静かに待っていた。

 皿を二つ用意する。

 猫用の皿は幾つかある。

 たまに、近所の野良猫が庭に入ってくることがあるので、その時用に用意している。

 まぁ、ボスの皿はペットショップで自分で選んだので気に入っているので、他の猫には使用させてないようにしている。


『はい、どうぞ』


 私はボスとラテの前に用意した御飯を置く。

 ラテは戸惑っていたので、もしかしたら口に合わないのかと思い尋ねてみる。


『もしかして……嫌いだった?』

『ううん。いつも御飯は固いのだったから』


 ラテは普段、ドライフードを食べていたのだろう。

 もちろん、ボスも基本はドライフードにしている。

 ウェットタイプに比べて、御財布に優しいからだ。


 ボスの卑しい食べ方を見ていると、食べても大丈夫な物だとは認識しているようだったが、見慣れぬ食べ物に困惑しているようでもあった。

 ウェットタイプで困惑しているくらいだから、迷っていた時は一体、何を食べていたのか不思議に思ってしまった。


『お前も、早く食べろ。食べないなら、俺が貰うぞ』


 ボスが冗談とも本気とも取れるような言葉を、ラテに向かって話す。

 ボスの言葉で決心がついたのか、御飯を食べ始めた。

 私は棚の所まで戻り、ドライフードを少しだけ用意する。


『こっちの方がいいかな?』


 ドライフードを乗せた別の皿をラテの前に置く。


『おい、祐希。俺の分は‼』

『ボスの分はありません』

『不公平だろう。俺だって、そいつを探すので疲れているんだぞ』

『だから、ボスの好きな御飯を用意したじゃないですか』

『それとこれとは別だ』


 本当に食い意地が張っている。

 ラテはウェットが口に合わないのか、ドライフードを美味しそうに食べていた。

 残された皿をボスは狙っていた。

 どうせ、このままだと捨てることになるので、恩を売るようにボスに上げることに決める。


『はい、ボス。どうぞ』

『さすが祐希だ』


 ボスは美味しそうに、二杯目の御飯を食べ始めた。


 ボスたちが御飯を食べている間、私はリュックの中身を出して裏返す。

 そして、洗濯機の中に放り込み”手洗いコース”のボタンを押して洗濯をする。

 何度もやっていることなので慣れた作業だ。

 ボスが来るまで、リュックなど洗ったことが無かった。

 何故か分からないが、リュックを一度洗ったところ、ボスは洗い立てのリュックが気に入っているか時折、洗濯の要求をしてくるようになったのだ。

 洗剤にマタタビ成分は入っていないのだが……。


 私はラテの飼い主に電話をすることにした。

 電話番号は迷い猫のチラシに書いてある。


「はい、林田です」


 電話口の声は男性だった。

 てっきり、チラシを配りに来た母親が出るものだと思い込み、少し驚いた。

 チラシを配りに来た女性の旦那様だろう。


「あっ、あの夜分遅くに申し訳御座いません。私、西田と申します。お探しの猫……ラテちゃんを保護したのですが――」

「本当ですか‼」


 話し終える前に、電話越しに叫ばれて耳が痛くなる。

 それだけ心配していたのだろう。


「はい。首輪も同じですし、他の特徴も一致しているので間違いないと思います」

「ありがとうございます。それで、ラテは元気でしょうか?」

「はい。今、うちの猫と一緒に御飯を食べています。汚れていたので、シャンプーをしましたが、大きな怪我などはしていないようです」

「そうですか……ありがとうございます」


 感極まったのだろうか、涙声になっていた。

 電話口から、家族の声も聞こえてきた。

 ラテが見つかったことを家族にも報告すると、大きな声が電話越しにも聞こえる。

 家族で心配していたのが伝わる。


「それで、御引渡しですが時間も時間ですし、どうしましょうか?」

「すぐに伺いますので、御住所を御教え願えますか?」

「あっ、いえ。こちらから伺わさせていただきます」


 第三者に自宅を知られたくないという防衛本能からか、咄嗟に言葉が出てしまった。

 もしも、遠い場所だった……出費がかさむと、少しだけ後悔していた。


「そうですか、では――」


 林田さん宅の住所を聞くと、歩いて十分ほどの場所だった。

 余計な出費がなくなり、ホッとする。


「今から用意しますので、遅くても二十分後くらいには伺うことが出来るかと思います」

「分かりました。御待ちしております。本当にありがとうございます」

「では、失礼致します」


 私は電話を切ると、すぐに用意を始める。


『ラテちゃん。このケースに入ってくれる』

『はい』


 なんて聞き分けのいい子なのだ。

 ボスは満腹で眠いのか、我関せずと言った表情をしながら、お気に入りの場所で寝ていた。


『ボス。ラテちゃんを飼い主さんの所に届けるから留守番お願いね』

『おう』


 素っ気ない返事をすると、すぐに寝てしまった。

 御飯を二皿も食べたので満腹なのだろう。

 

『じゃあ、行こうか』

『はい』


 私はラテを連れて、ラテの飼い主である林田さん宅へと向かった。

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