002話

『祐希、そこの角を曲がれ』


 リュックの中からボスが突然叫んだ。


『そこって、何処ですか!』


 リュックの中にいるボスには、外の世界は見えていない。

 ボスの言う曲がる場所が、何処の角を言っているのか見当が付かなかった。


『その……いい匂いがするところだ』


 ……いい匂い?

 進行方向に、焼き鳥を店頭で焼いて販売している店を見つける。


『ボス。焼き鳥屋さんのことを言っていますか?』

『焼き鳥? 良く分からんが、多分それだ』


 周囲を警戒しながら、ボスの指示通りに角を曲がる。

 そして、ボスがさらに指示を出すので、言われた通りに進む。


『よし、下ろせ』

『はいはい』


 ボスの命令口調に慣れてしまったいる自分がいることに気付きながら、 背負っていたリュックを下に置き、リュックのジッパーを下げる。


『着いて来い』


 勝手に歩き出すボスを急いで追いかけるように、祐希はジッパーを閉めてリュックを背負った。

 ボスは並んでいるプロパンガスの前で止まると、首を左右に振る。

 私はふと、上を見上げる。

 夜空に浮かぶ月の大きさに驚くも、星が出ているので明日も晴れるかな? と関係の無いことを考えていた。


 ――暫くすると、一匹のサビ猫が姿を現した。

 その姿は、ボスに対して敵意を向けている。


『誰だ、お前‼ 俺のテリトリーを荒らしに来たのか』

『まぁ、落ち着いてくれ、お前と争う気はない。俺の……ということは、お前はこの辺りのことに詳しいか?』

『あぁ、そうだ』

『別にテリトリーを奪いに来たわけじゃない。ちょっと、探している奴がいるんで、見かけていないか聞きたいだけだ。おい、祐希。例の紙を見せてやってくれ』

『ちょっと、待ってね』


 威嚇していたサビ猫は、ボスと祐希の会話を聞いて、目の玉が飛び出るくらい大きく開いた。


『おっ、おい……この人間、俺たちの言葉が分かるのか?』

『あぁ、こいつは特殊な人間だ。俺たちと会話が出来る』

『嘘だろ……』

『あっ、自己紹介が遅れました。私は祐希と言います』


 言葉を失っているサビ猫に、私は人間と同じように挨拶の言葉を口にして一礼する。


『あ、あぁ……名乗るのが遅れたが、俺の名はアインだ』

『アインさんですね。すいませんが、ラテと言う名前のこの子(猫)を見かけませんでしたか?』


 紙を見せる為、アインに近付く。

 アインは条件反射なのか、私との距離を取るように移動する。


『大丈夫ですよ。何もしません……と言っても、信用出来ないですよね。紙を置くので、見て教えて下さい』


 私は地面に紙を置いて、アインから距離を取るように後ろへと下がる。

 私と置いた紙を交互に見ていたアインは暫くして、置かれた紙の前まで歩いて来た。


『……数日前に来た奴だな。テリトリーに無断で入って来て問題を起こしている。こいつがどうかしたのか?』

『そいつの飼い主が探している。出来れば会わせてくれないか?』

『あぁ、やっぱり飼い猫か。どうりで俺たちのルールも知らないわけだ』

『まぁ、飼い猫であれば、世間知らずなのは仕方が無いだろう』

『所詮は、温室育ちの御坊っちゃんってことだろう?』

『まぁ、それは否定出来ないがな』

『お前は、そこの変な人間に飼われているのか?』

『いいや。俺が祐希を飼っている』

『はぁ、何を言っているんですか!』


 黙って会話を聞いていたが、ボスの意味不明は言葉に思わず口を挟んでしまった。


『何か違うか?』

『私がボスの面倒を見ているんじゃないですか! ご飯の用意もトイレの処理も全部、私がやっているんですよ!』

『そうだ。俺が快適に過ごせるように、世話してくれているんだろう』

『そうですよ』

『御主人の世話をするのがメイドだと、祐希は言っていただろう』

『確かに言いましたけど……』

『だから祐希は、俺のメイドってことだろう』

『んっ‼』


 ボスの言葉に反論出来なかった。

 確かに、私がボスの世話をしているので、立場的にはメイドと同じだ。

 つまり、ボスが御主人様ということになる。

 そもそも、ボスがメイドという言葉を知っているのも、私が教えたからだ……。


『……お前たちのことは、どうでもいい。話を元に戻すぞ』


 アインは呆れた口調だった。


『ちょっと此処で、待っていろ』

『悪いな』


 ボスとアインの交渉は無事まとまったようで、安心する。


『……ねぇ、ボス』

『ん、なんだ?』

『やっぱり、飼い猫は野良猫の世界では厳しいの?』

『まぁな。人間にもルールってのがあるように、俺たち猫の世界にもルールは存在する。生まれてから外に出たことのない猫たちは、そのルールを知らないから嫌われることが多いな』

『そうなんだ』


 自然界にルールがあることは承知している。

 弱肉強食がまさにそれだ。

 私たちだってローカルルールを知らずに、トラブルに巻き込まれることもある。


『待たせたな』


 アインとその仲間と思われる猫に囲まれるかのように、みすぼらしい猫が中央で怯えながら歩いて来た。

 毛並みも悪く、かなり痩せているが、首輪や特徴からも探していたラテだと分かった。


『お前たちが探していたのは、こいつだろう?』


 アインがラテを睨むと、ラテは身をすくめる。


『あぁ、間違いない。手間をかけさせたな』


 ボスがアインに答える。


『ぼ、僕に何か用ですか‼』


 怯えながら小声で話すラテだったが、アインが再び睨むつけると黙ってしまった。


『何もしないよ。私たちは、あなたの飼い主さんから、あなたを探して欲しいと頼まれているの』


 私がラテに話掛けると、ラテやアインの仲間も驚き、背中を丸めて毛を逆立てて、警戒態勢を取る。


『お前ら、この人間は特別だ。俺たちに危害を加えることは無い……そうなんだろう?』

『はい、約束します』


 私の言葉なのか、アインの言葉なのかは分からないが、アインの仲間たちは私を信用してくれたのか、警戒態勢を解いてくれた。


『ほ、本当に僕は帰れるんですか?』


 ラテが半信半疑で質問をしてきたので、『はい』と私は答える。


『まぁ、こいつが居なくなってくれれば、俺たちも安泰だしな』


 私は怯えるラテに近付き、抱き上げようとするが、まだ警戒されているのかラテは後退りした。


『大丈夫。私が必ず帰してあげるから……信じて』


 アインの仲間の目もあり、逃げることが出来ない状況下なのもあり、ラテは私に近付き、無事に保護することが出来た。

 抱き上げたとき、思っていた以上に軽く、皮膚越しにラテの肋骨に触れる。

 きちんと食事を取れていなかったのだろう。

 まぁ、ボスと比べたら殆どの猫が軽く感じてしまうだろうが……。


『狭いけど、この中で大人しくしてくれるかな』


 私はボス専用リュックにラテを入れる。


『祐希、ちょっと待て‼』

『何?』

『そこは俺専用の場所だろう。そいつを入れたら、俺が入れないだろう』


 ボスは自分の場所を奪られたことで、かなり怒っている。


『ボスは、これで我慢して』


 私は常に持ち歩いているエコバッグをリュックから出して広げた。


『俺がそこで、そいつがそっちだろう』

『いいんです。ラテちゃんは御客様なので、居心地がいいリュックに決まっているでしょう』

『何を言っている!』


 私とボスの押し問答が続く。

 関係のないアインたちは人間と猫の会話を不思議そうに見ていた。


『分かった。ウェット缶でどう?』

『……ウェット缶二つだ‼』


 最近、ボスは駆け引きを覚えたらしく、私の提案に代案を出してくる。

 ドラマの解説なんかするんじゃなかったと、今となっては猛烈に後悔する。


『ウェット缶に……おやつ二つでどう? これ以上は譲れないわよ』

『分かった。そいつに俺の場所は譲ってやろう』


 ボスの勝ち誇った顔に苛立つ。

 私はラテをリュックに入れようとすると、アインが近づいてきた。


『おい。もう外の世界に出て来るなよ。俺たちは優しいから良かったが、お前みたいなのはすぐに殺されるぞ』

『……はい』

『じゃあ、飼い主の元で元気に暮らせよ』


 アインは体を反転させて、仲間の元へと戻ろうとする。


『あっ、ちょっと待って』


 私はアインを引き止めると、周りを見渡して皿になりそうな物がないかと探す。

 飲食店の裏になるので、食材に使用したであろうレタスの葉が一枚落ちていたので拾う。

 そして、リュックのポケットから”ちゅ~る”を二本取り出す。

 ちゅ~るを目にしたボスの目の色が変わる。


『祐希‼ お前さっき、おやつは無いと言っていただろう!』

『ボスのおやつは無いですよ。これは他の猫さん用ですから』


 私はさっきの復讐でもするかのように、嫌味っぽくボスに返すと、ボスは悔しそうな表情をしていた。


『これ、少ないけどお礼です。皆で食べて下さい』


 私はレタスの葉の上にちゅ~るを絞り、アインたちに差し出した。

 見たことのない食べ物に警戒するアインたちだったが、徐々に距離を詰める。

 アインが最初に舐めると、無害だと分かったアインの仲間たちも続々と、ちゅ~るを舐めに来た。


『な、なんだこれは‼』

『美味すぎる!』


 今まで食べたことのない味に感動しているようだった。

 その様子をボスは恨めしそうに見ていた。

 私は心の中で勝ち誇った気分だった。

 ボスと出会ってから性格が悪くなった気がする……と、少し反省する。


『本当にありがとうございました』


 私はアインに再度、お礼を言う。

 アインは何も言わずに、そのまま自分たちの場所戻って行くのか、暗闇に姿を消した。



 再び、大通りへと戻ったはいいが、猫に二匹を連れての移動はかなりの重労働だと気付かされた。

 この状態で電車やバスに乗って移動することは出来ない。

 かといって、歩いて移動したら家に着くまで体力が持たない。


(……タクシーか)


 ここから家までは大体、二千円前後だ。

 来るときはボスに大人しくしてもらい、バスで移動してきた。

 ボスも私の言葉に従ってくれていたし、バスの乗客も少なかったので問題になることはなかった。

 タクシーを使うことに思わぬ出費に頭を抱えるが、そもそも帰りを想定していなかった自分が悪い。


(やっぱり、自転車……いや、原付バイクでも買おうかな)


 自転車があれば、歩くのに比べれば行動範囲が広がる。

 なにより駐輪出来れる場所さえ確保できれば、自分の思い通りの行動が出来る。

 ただ体力的なことを考えれば、自動の方が断然楽だ。

 電動アシスト付き自転車だと、かなり高額になる。

 一応、自動車免許は習得しているので車に乗ることも出来るが、購入するお金が無い。

 原付バイクであれば、バイト先のマスターが譲ってくれると言ってくれていたのだが、維持費なども考えると本当に必要なのかと思い、少し考えさせて貰っていた。

 大学への通学も無いので、使用頻度が低いと考えていた。

 今週末には回答をする予定だったので、購入する方向で話を進めようかと気持ちが揺らいでいた。

 考えている間も、エコバッグの中のボスは不平不満を言っている。

 やはり、リュックに比べて居心地が悪いようだ。


 私はタクシーを止めて、家に帰ることにした。

 もちろん、エコバックのボスには大人しくするように頼む。

 不貞腐れたボスは取引もあるので、渋々納得してくれた。

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