第2話 走馬灯
間宮累は夢を見ていた。
「ままー!」
「おかえりなさい、あや」
足に抱き着く少女の頭を撫でる母親は、幸せそうに笑っている。
「今日のおやつは?」
「きょうはプリンよ、ママ特製のとろーりプリン」
「やったー!」
手を繋ぎ、見つめあい、笑いあう二人。
(あぁ、嫌だな。こういうのは、見たくない)
一瞬の暗転の後、場面が切り替わる。
「ぱぱ、どうしたの?」
「パパはちょっと疲れちゃったの。だから今はお休み」
心配そうにするあやを安心させるように抱き上げた母親の声は優しく、表情は少し曇っている。
次はやつれた、しかし穏やかな表情で少女を膝にのせ、母親の肩を抱く父親。
「田舎に、行かないか」
「ぱぱとままは一緒?」
「もちろん」
「ぱぱ、もっと元気になる?」
「あぁ、仕事の伝手をもらったんだ。朗らかな地域だしあやにもママにもきっといい」
立ち並ぶビルを見送り、山をいくつも超え、新居へと辿り着く。
「これからよろしくお願いします」
「いやー都会の人の家は立派だねぇ」
「若い人がいると村が明るくなっていい」
「あたらしいおともだち!いっしょにあそぼ!」
深々と頭を下げて回る父親とそれに付いて回る母親とあやに笑顔で応える人々。
駆け回る子どもたちを眺めている大人の表情は硬い。
「あそこの旦那、困った人だよね」
「あやちゃんのパパ、わるものなの?」
「ちがうよ!やさしいよ!」
「でも、おかーさんがあやちゃんとはもうおはなしないでって」
「この村はやらん」
「あんたとする話はない」
「もうずっと、旦那帰ってきてないみたいだよ」
「まだ小さいのに、可哀そうに…けどどうにもできん」
「かわいそうじゃないよ!きいて、きいてよ!」
背中をむける人々の背にむかって声を張り上げるあや。
「出て行ってくれないか」
『犯罪者』『よそ者は出ていけ』『人殺し』そんな言葉が手紙、張り紙、留守番電話、落書き、最後には家に向かって昼夜を問わず叫ばれる。
「ごめんね、ごめんね、あや…」
「だいじょうぶだよ、まま。あや、ままがいてくれればへーきなの」
「ごめんね…」
明かりのない部屋に座り込んで俯いたまま、ごめんねと繰り返す母親の頭を抱きしめて背をさするあや。
繰り返されるごめんねの声が小さくなるとともに視界が再び黒く染まっていく。
―寒いな、それになんだか凄くお腹が空いた…
しばらくそうしているとぱっと明るくなり、目の前には苺がふんだんにあしらわれたケーキ。その上で揺らめく5色のろうそくの火を見つめながらそれを吹き消す瞬間を今か今かと待つあや。
テーブルの上にはハンバーグ、湯気の立つスープ、色鮮やかなサラダ。
「ケーキはご飯の後だからな」
「もぅ、わかってるよ!はやくうたって!」
誕生日を祝う歌、消える照明。父親と母親の大きなおめでとうの声。
ゆっくりと吹き消されるろうそくの火。
(―あぁ、これ、あの子の走馬灯か…)
再び暗転した視界の中で、累はあやの寂しさを感じながら、幼い自身の泣き声に気が付いた。
(俺のはいいよ…どうせ最期に見せるならるんたんの武道館ライブにしてくれ)
累の想いは叶わず、幼い自分の震えた声が聞こえる。
「…やだ、こわい、みたくない」
影は人の感情・思念。そういうものが視覚化されたものだ。だから人口の多い地域では見える累には少々生きにくかった。
人のほの暗いところばかりが感じられて、恐ろしく、疎ましく、安らげるところがなかったからだ。
それは道行く人でも、同級生でも、家族でも、自分の部屋でも変わらなかった。
自分に怯える累に母は気を病み、父は苛立ちを隠さなかった。
最初は誰もが笑いかけてくれていた。
「るいっていうの?はじめまして!」
えくぼが可愛い同級生。
「これからよろしくな!一緒に頑張ろう!」
溌溂とした先生の力強い声。
「いっしょにあそうぼうよ!」
隣の席のサッカーが上手なゆう君。
上手く笑えない日には心配してくれる人もいた。
「だいじょーぶ?ぐあいわるい?」
「なにが不安なのか教えてくれる?」
「お絵描きしてみようか」
「ここにあるものを好きなように箱のなかにおいていってみて」
けれど、影の存在を理解している人間が近くにおらず、ましてや感情を言葉にする術が未熟な子どもの【見える世界が全て怖い】という漠然とした気持ちは理解されなかった。
「ねぇ、どうして?なんでなの?」
母は累の肩を力なく掴んで声を震わせたのが最後。
「虐待なんてしていませんよ」
玄関から何度も聞こえてくる父親の苛立った声。
日毎に空気だけじゃなく、顔が黒い人が累の世界に増えていった。気が付けば記憶の中の両親の顔さえ黒く塗りつぶされ、人がどんな顔をしているか分からなっていき、覗いた鏡に映るそれが人間なのか分からなくなった。
累は次第に自分自身が影なのではないかと思うようになった。
そうして、累は家から少し離れた8階建てのマンションから身を投げた。
足を踏み出した瞬間から記憶はないが、目を覚ますと病院だった。
日差しを感じて体を起こすと看護師たちが慌ただしくして、やってきた医師に視界や思考についてあれこれ聞かれ、体のあちこちがひどく傷むこと、それ以外に変わりがないことがわかった。
日が暮れてしばらくしてから父親がやってきて横になる累を見下ろしたまま口を開いた。
「お前、何をしたんだ」
ただでも多くの感情が彷徨う病院の中で、自らに向けられた憎悪と怒りと悲しみが体中に巻き付いてきて、息をするのも億劫に感じながら「とびおりた」と口にした。
小さな声だったが静かな病室にはしっかりと響き、累は、何故生きているのかと疑問が浮かべた。
ぼんやりとした表情の累に父親はそうか、と返すと背を向け
「死ぬなら誰もいないところでやってくれ」
と言い残し病室を去った。
―本当はやっぱり、あの時に死んでて、ずっと夢を見てたのかな。
真っ白な病室の扉を眺めながら累はぼんやりとしたまま時間を過ごしていた。
死んでいるのかいないのか。
(もし、これが死という状態ならそれはちょっとしんどいな)
いつから開いていたかわからない瞼をそっと閉じる。
(真っ黒な人生だったな。なんのための時間だったんだろ)
「こらこら!頑張ってって言ったでしょう!」
微睡んでいるような気持ちよさを漂っていた累の腕が勢いよく引っ張られる。
「え…」
「え、じゃないよ。もぅ、本当に死んじゃうとこだったんだよ?」
気が付くと辺りは明るく、目の前には白いワンピースの少女が怒りを隠さずに眉間に皺を寄せながらまったくもーと息巻いている。
「え、俺死んでない、の?」
二度目の問いかけには答えがあった。
「生きてるよ。ちゃんと」
柔らかな笑顔とともに向けられた言葉につられて、腕にひんやりとした感覚。それから少し遅れて、けたたましい蝉の声が耳に響き、累は意識がはっきりとするのを感じた。
「そこの観測員も気を失ってはいるけど今日中には起きるんじゃないかな」
目線で
「でも凄いね、あの影の中でよく自我を保ち続けたよ」
「はぁ、まぁ……」
言葉を成さない返事。相手の言い分は解るが、自分の思考と結び付かない。
(…別に保とうとした訳じゃなかったんだけど)
「そっか、まぁ被害がなくて良かった良かった」
そういって立ち上がる華の背後から、長身の男がタブレット式の端末を片手に近づいてくる。
「華さん、お疲れ様です」
「正三もお疲れ様。どうだった?」
「はい、一帯の影は消失、消滅集落だった為人的被害なし、家屋もまぁ、問題ないですね。一応持ち主は当たってみますが多分放置区域なので」
長い髪を一つに纏め、ブラウンのスーツに身を包む
「うんうん、良かった」
滞りなく行われるやりとりの中、はっとした累が口を開く。
「あ、の」
「はい?」
「報告先は、どこ、ですか?」
「と、いうと?」
「一応俺も視察?って形でここに来て…対A本部に報告義務があるん、です」
おずおずとした様子でそう言う累に正三はあぁ、と相槌を打った後、累をまじまじと見つめ短くため息を吐いた。
「君みたいな子を送るとは、全くいい加減なところですね、あそこは。私たちは全く、とまではいきませんが別の管轄です」
「もし、できたら、そこの観察員は俺に引き取らせてください。俺の役割なんで」
「構いませんよ。面倒が減って助かります。私たちについての報告は簡潔に留めておいてください。そちらとは折り合いがよくないので」
「はい…あ、俺がいたこと2人の秘密にしてくれませんか」
そう言った累の表情から依頼や懇願、というよりは哀愁を感じた正三は少し間をおいてそれを承諾した。端末を手袋に包まれた手でタップする正三の内ポケットが震え着信を告げる。
「はい。…えぇ、問題なく片付きました」
ちら、と視線を向けられた累は居心地が悪そうにして、華はにこにことした表情を崩さず2人を見つめる。
「え?またですか?…は?私が今どこにいるか知ってますか?山梨ですよ、しかも放置区域。四国なんてすぐに行けるわけ…あ、ちょっと喜一さん!?」
先ほどまでの淡々とした雰囲気から変わって苛立ちを隠さずに溜息を吐きながら一方的に切られた通話口を睨む。
「あぁ、もうあの人は…!色々聞きたいことがあったのに…」
それは今しがた通話をしていた相手にではなく、自分もしくは観測員にだ、と理解した累は胸を撫で下ろす。
「ふふ、大変だね。色々、は私が聞いておくから、連続出張頑張って」
にこにこと手を振る華を勢いよく振り返る累を意に介さず2人の会話が続く。
「すみません、お疲れのところ。よろしくお願いします」
「満喜が空いてれば楽だったのにね」
「あの人が今学校を離れるのはまずいですから、仕方ないです」
はぁ、ともう一度溜息を吐いてから正三が累の前に膝を着く。
「あなたがここにいた事実は伏せておきます。しかし私どもとしては今回起きたことを詳細に知りたいのであなたからの情報が欲しいです。できる限り隠さずに事情をお話し頂けると助かります」
自分より年長の人間に膝をつかれ、恭しく向けられた言葉に圧倒され累は思わず頷く。それを見た正三はでは、と立ち上がり華に一礼すると足早に去っていた。
「さて」
呆けたままの累の耳に明るい声が飛び込む。
「とりあえず朝ごはんかな」
「え」
「あ、それとも寝たい?そうだよね、疲れたよね」
心配そうな華の言葉を頭で繰り返し、累は口からいや、とだけ出した。
―空腹は感じていないし、とても眠れるような気分じゃない。一旦引いた汗が再び額に滲んで気持ちが悪い。不快と言えばあいつの声を今から聞くのが一番不快だ…
そう行きついて思い出す。
「とりあえず、電話しないと」
「そっか、どーぞどーぞ」
そう促す華に背を向け端末を耳に当てた累は、すぐに電話口から聞こえてきた男の声に淡々と受け答える。
「…残念ですか?はい…はい、無事です。多分。意識がないのでわかりませんが生きてます。近くに誰かいるんですよね?は?……なら俺の端末のGPSをオンにするんで確認できたら2回鳴らしてください、置いていきます。では」
早口で通話を終わらせ、操作した端末が着信を短く告げると横たわる観察員の胸に置き、華に向き直る。
「色々、がなんなのかわからないんですが…とりあえずシャワーが浴びたいです」
「それはいいね。じゃぁ私はここで待ってる。この人放って置くのも心が痛むし」
「戻ってこないかも、しれませんよ」
困ったように笑う累に、華は笑顔を淀ませること無く「そうだね、少し困るけど、それならそれで仕方ない」と答え、自分より2周りは大きな観測員の男をよいしょ、と担ぎ上げ、昨夜の面影をすっかりと無くした家の中へ消えていく。
その背を見送り、完全に見えなくなってしばらくしてから我に返った累は「力持ちだな」と呟き、立ち上がる。
家に背を向けた時にわずかに覚えた違和感に振り返ったが、疲労困憊の頭が考える事を拒否していたので、ただただ、空の青さだけを認めながら家路についた。
かみさまのなまえ 秋義 @akiyoshi-33
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