下書き
三浦航
下書き
まっさらな状態から始めても、それはきっとまっさらではない。
真っ白な原稿に書いた文字の下には、ほかの人が書いた文字があるし、絵を描いたキャンバスの下には他の人の絵がある。まっさらなものや思考なんてあり得ない。
人間の下には人間があるのだろうか。
命を授かった。天使のような命を。
再婚し、本当に愛する人との生活は、愛する人が一人増えた幸せなものとなった。
数年前のことが嘘のようだ。
私はDVを受けていた。初めて結婚した相手は、一緒に生活するにつれ暴力的になった。子どもが生まれても暴力は変わらなかった。子どもに危害を加えられぬよう守るのが精いっぱいだった。
そんな生活が続いた日、私の中の糸が切れた。もう死んだ方が楽だ、と思った。
春の海に飛び込んだ。だが生きてしまった。
意識不明の状態で浜辺に打ち上げられていた私は、通りがかりの人に呼んでもらった救急車で病院に運ばれ一命をとりとめた。しかし抱えていた我が子は行方不明だった。生後6ヵ月、生きているとは思えなかった。
私は心神喪失状態にあったとして、罪に問われなかった。そして夫と別れて私はまっさらになった、つもりだった。
新しい夫と暮らし始め、日々の生活は幸せそのものだったが、ふとしたときにDVのトラウマが顔をのぞかせる。心中しようとしたトラウマも、私の記憶の中に刻み込まれている。
数年後、少し落ち着いてきたため子どもを作った。子どもの顔を見て、以前の意奥から不安は覚えたものの、幸せの方が勝った。私はまっさらになれていたのかもしれない。
子供が生まれて2年後、いつものようにお風呂に入った。浴槽に入るときは私が丁寧に両手で抱えている。がその日に限って手を滑らせてしまった。浴槽に落ちた子どもの顔が水に浸かる。慌てて体勢を戻す。
「ごめんね、怖かったね。」
私が慌てることで子どもは不安を覚えると思い、いつも通りを心がけて、怖がらせないようにする。はっきりとした返事をされた。
「また殺されるのかと思った。今度はしっかり抱えていてよ。」
下書き 三浦航 @loy267
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