盗賊団と嘘つき師匠(2)
リコルはいつも疑問に思う。どうしてこの人はすぐバレる嘘をつくのだろうと。
その度に、胸のあたりから目玉の裏へ、群青色した蛇のようなものが這っていって、ジワジワと外に滲みだしてくる。
嘘をつかれること自体ではなく、その程度で騙せるだろうと思われているのが、子供扱いされているようで堪らなく悔しいのだ。
こんなときリコルは師匠を困らしてやることに決めている。
手足を放り出しながらごろんと寝転び、じたばたと暴れてやる。涙を噴き出すにまかせて叫びまくる。
「嘘だぁーーー! シショーの嘘つき! バカっ! ろくでなし! ごくつぶしぃーーー!」
「ごくつぶして……」
先程の優しげな表情はどこへやら。師匠は苦々しげに口元を歪めて舌打ちをした。
――ガラガラガラ。
玄関の引き戸が開かれた。
「失礼しますよ」
見れば老人が一人、特に躊躇する様子もなく入ってくる。
真っ白けでモサモサの眉毛と髭。少し光沢のあるブラウスに黄色い鉱石の嵌ったループタイ。片腕を少し曲がった腰に添え。もう一方には杖。
訪問者がこの道場の貸主だと気づくと、リコルは意趣返しを一旦中断して固まった。
何の用事でやってきたのかがまだわからない。師匠と幾度となく支払い遅延で揉めてきた経緯を見てきているだけに、むやみに暴れて師匠の心証悪くしては、下手をしたら住処を失うことになるかもしれないと考えたのだ。
「お、大家さーん!」
師匠はすぐさま笑顔を作り、猫なで声を出しながら、体を『く』の字に、揉み手をふりふり、跳ねるように老人の元へ。
「どど、どうされましたー? なにか御用でしたら私の方からお伺いいたしましたのにー」
「いやなに。ちょっと近くを通ったもんだから、おすそ分けでもと思って」
後ろ手に回していた腕を掲げてみせる。手からぶら下げた紐には干した果物がいくつも括られ鈴生りになっていた。
どうやら家賃を払えだとか立ち退けだとかという話ではなさそうだ。
リコルの目が光る。果物目当てではない。
すぐさま腕で両目を覆った。
「わーん! シショーの馬鹿ぁ―! おヨメに行けないー!」
「いいっ!?」
師匠は思わず後ろを振り返る。すぐさま弁解すべく老人に向き直るが、そこには既に、鬼の形相があった。目を覆い隠すような白眉の奥に鈍い光り。怒りに打ち震えるようにしながら杖を振りかぶっている。
「アル! 貴様というやつは――」
「いや、誤解ですって、誤解!」
「かぁーーーつっ!」
「ひぃぎゃーーー!!」
腕の隙間から覗き見ていたリコルは、わずかにほくそ笑んだ。
「そうかいそうかい。リコルちゃんはなんにも悪くないからね」
そう言って大家は、ぐすんぐすんとべそをかくリコルの頭を撫でる。
先程、一撃をくらった師匠はくずおれて四つん這いになり、苦悶の表情とともに尻を押さえた。その姿を見てひとまず気が済んだリコルは、口喧嘩で負けたくなかったからでまかせを言ったのだと大家に説明をして誤解を解いてやったのだった。
師匠が憎々しげにリコルを睨んでいるが、いっさい受け合わず半べそのフリを続ける。
「ほら、リコルちゃんにこれをあげよう」
干された果実の房が目の前に差し出された。
琥珀色の大きな粒。しわしわの表面には少し粉を吹いて。十個ほどだろうか、紐からぶら下がってわずかに揺れる。
ほのかに甘い、すこし粉っぽい匂いが、リコルの鼻孔をくすぐった。
「も、もらっていいのか?」
目をキラキラさせながら、リコルは改めて確かめる。
染み付いた貧乏生活がそうさせるのだろう。
「もちろんだよ。これはぜーんぶリコルちゃんのものだ」
柔らかい表情でふさふさの眉毛を上下させると、握っていた紐をリコルに手渡した。
「おーやさん、ありがとう!」
「あそこのごくつぶしには一つもあげなくていいからねぇ」
リコルの頭にぽんぽんと手を置く。
その優しい口調には師匠への底知れない敵意が込められているようだった。
当の師匠は「はは」と苦笑い。痛みもあって作り笑いが引きつっている。
「それじゃ帰るよ。いいかアル。リコルちゃんを泣かすんじゃないぞ」
リコルと師匠の目が合う。
少女はわざとらしく顎を上げて勝ち誇った表情に。
「へ、へぇ。善処します……」
口元をピクピク痙攣させながら答えた。
玄関に向かっていた大家が手前で振り向く。
「それから家賃なんだけど。今月は大丈夫だろうね?」静かな、殺気に満ちたような声。「もしなんだったら、リコルちゃん置いて出てってもらって構わないからね」
すぐさま師匠は立ち上がり鼻息を荒くした。
「だ、大丈夫! お任せください。心配有りませんとも!」
どんと胸を叩く。
しかしそんな仕草はこれっぽちも気に留めることなく、大家はリコルにだけ手を振って出ていった。
ぴしゃんと引き戸が閉まる。
師匠は詰めていた息を吐くようにしながら突っ伏した。
「あーーー、しんど……」
事切れたように動かない師の背中。
お金はない。門下生もいない。世間からみればまだ子供の自分ではまとまった稼ぎも得られない。大家が自分たちを簡単に見捨てるような悪い人物とは思っていないが、いつか本当に師匠と離れ離れになってしまう日がきてしまうのではないか。不安でたまらなかった。
リコルは房から粒を一つもぐと、師匠に差し出す。せめて元気を出してもらいたかった。
「はい。師匠」
「あ? それはお前んだ。いらねぇよ」
「はい!」
「腹減ってねぇ。ぜんぶお前が食え」
グルグルグルと師匠の腹が鳴る。
二人の目が合う。
どちらからともなく笑みが溢れた。
「はい」
小さな手が差し出した粒を、師匠は観念したように起き上がって受け取る。
リコルも、もう一粒もいで口元に。
二人で同時に齧りついた。
爽やかな香りと、じんわりとした甘み。口から一気に拡がって全身のすみずみにまで運ばれていくようだった。
師弟ともに、きらきらと瞳を輝かせる。あんまり美味しすぎて、互いに無言で「うんうんうん」と頷き合ってしまう。
一粒を食べ終わって、すぐさま次へ。
声も発さずに三粒ずつ食べ終えたところで、リコルが口を開いた。
「師匠。お家賃、ほんとに大丈夫なのか?」
「ん? んー……」
じっと真顔でリコルを見つめる。灰色の瞳が川面のように透き通っていく。
またあの目だ。リコルは思った。
師匠は時々、なにか自分の向こう側を見ているような目をするときがある。
その静かで優しげな視線が嫌いというわけではない。ただいつも、なぜか妙に悲しいような気持ちにさせられてしまう。
「シショー?」
師匠はぐっと目をつぶると、「よしっ」と勢いよく立ち上がった。
「リコル!」
「は、はひっ!」
「大丈夫。何の心配もいらん!」
師匠は両手を腰にして威張るような格好で、ふてぶてしい笑顔をみせる。
から元気なのはリコルにもわかっていた。それでも、世界一強いと信じている人が、世界一のから元気を見せてくれている。この人はどんな困難にだって、きっとこうやって嘘をついて立ち向かっていくんだ。そう思うと、すごく誇らしい気持ちになってくる。
リコルは満面の笑みを浮かべていた。
「師匠!」
「よし。まずは商品の準備だ!」
「しょ……」
リコルの表情がこわばる。
これまでにも何度か、そこらの雑草を煎じたり、得体のしれない木の実をジャムにしたりして、万病に効くとかよく眠れるなどと謳って高値で売りさばいたことがある。
さすがに師匠も気が咎めるのか、あまり頻繁なことではない。
「またインチキアイテム売るのか!?」
「こらリコル。インチキではないと言ってるだろう。心の栄養を売っているだけだ」
「むぅー」
「いいのか、俺がここを追い出されても?」
師匠は、まるで悪魔のように耳元で囁いた。
しばしほっぺたを膨らまして不満げにしていたリコルは、床に転がしていた残りの干し果実を拾い上げ抱きかかえる。ふんっと不機嫌そうにそっぽ向いて一人で食べ始めてしまう。
やれやれと師匠が肩をすくめた。
そうして二人はインチキアイテムの準備にとりかかるのだった。
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