第2話

 上品によそわれた銀皿が真っ白になる。朝食を食べ終えるとお嬢様は寝具から一変、深紅のドレスを身にまとう。鏡を見て、写った自分をにっこりと見る彼女は満足そうだ。

「なんだそんなおめかしして。勘弁してくださいよ出かけるとか。」

 怖釣璃ふつりはそんな様子を心底めんどうそうに見る。そこに込められたのは、彼のゲーム生活が遮られることを嫌う気持ちだろう。執事である彼はネクタイをゆるめてだらしない恰好だが、それでも仕事はしなければならない。洗濯一つとて時間はかかる。

「いいのよ、着替えるのが大事なんだから。」

 ふんっと鼻息を鳴らすように自信満々に彼女は告げる。それに対して彼は家にいるなら服装なんてどうでもいい、監視がないと分かっていたら寝巻で一日中過ごしていたのにといった感じだ。予測も何も、彼は仕事という建前がなければ何もしない自堕落な人間だ。一応起床時間だけは揃えているようだが、起きて顔を合わせれば昨日の夜に何をしていたかなんて一目でわかる。




「パパがまたいつ来るか分かんないんだから、あんたこそ身なりをしっかりしなさいよ。」

「あいつがそんな毎日来るわけがないだろ。巻き込まれ怖くて自室の豪邸で引きこもってるよ。」

 令嬢の父上に対してとは思えないような乱暴な言葉遣い、それどころか心から嫌っている相手への発言だ。花咲は特に怒ることもなく、伸びをすると自室へと戻っていった。

「危ない!」

 昨日の精神的な疲れ、主に彼女の父が拝見に顔を出したことが理由なのだが決して見逃さなかった。花咲の細い腕を掴んで自分の胸元に引っ張り寄せる。乱暴だが考える余裕もなく体を動かしたんだ、この際手段は選んでいられない。

「なっ!なにすうぐっ」

 口元を即座に抑え、扉から目を離さない。念のため背中に隠れるように促す。その真剣さに彼女は自分で口を押えた。


 ドン!


 それは一瞬だ。扉に穴が開いたと同時に、彼の腰に直撃する。

「今だ!」

 重い声をした男の声に応じるように、三人の男が扉を勢いよく蹴り飛ばす。その瞬間、頑丈なヘルメットをかぶった男たちが呻きを上げてその場に倒れこんだ。

「まったく、面倒な奴らだ。」

 手袋をパッパと鳴らし、倒れた男たちを見下ろす。彼は、怖釣璃は平然とした表情を崩すこともない。

「あんた、大丈夫なんでしょうね。」

 見慣れた彼女も、さすがに銃相手では心配する。

「こんなもので今更死ぬかよ。」

 彼は目線をずらすこともなく、衣服に引っかかるようにしてついた銃弾を抜き取ってテーブルにひょいと投げた。

「ほんと、防弾チョッキでも来ているんじゃないかと思ったわ。」

「あんなむさくるしいもの着てられるか。ほおれ、これが証拠だ。」

 怖釣璃は中に着込んだ白のシャツを引っ張りだすと、傷一つない肌をさらした。

「セクハラよ。しまいなさい。」

 安全であることを理解すると花咲は普段通りに戻り視線を外す。人が銃を撃たれて生きていられるはずがない、その常識さが第一にある以上当然の判断であると言えるが、怖釣璃にとってはそろそろ学べよといったところか。何しろ彼は、今日という日まで系何百回、いや何千回と死ぬはずであった人間である。



 最初に死んだはずだった日、その出来事の重大さから秘密裏に研究施設に預けられ、戸籍上は死亡として扱われた。研究の結果明かされたのは、「刺傷等によっても、体の抗生物質を最低限生かせることができれば生きることが可能である。」という非常にあいまいなものであった。仕方がない、本当に死んでしまえば大問題でさらに言えば研究不可となってしまう。そのため必要以上の実験に踏み込むことができずに、彼は怖釣璃という名を得てこの世に生まれ変わることとなった。別れ際に研究者から要求されたことは二点。一つは半年に一度実験に付き合うこと。これは怖釣璃にとってさした問題ではなかった。痛覚を感じるわけでもなく、死を伴うこともない実験は欠伸をしながらでもゲームをしながらでも受けることができる。


 だがもう一つ、それは外出時間を週に十時間以内にすることであった。つまり彼は学校に行くこともままならないことを意味し、半ば引きこもりの人生を歩まなければならなくなる。しかしもし怖釣璃が社会に出て事故にあってしまえば、生死を問わず世間を揺るがす大事件になってしまう。仕方がない、ことだったのである。

       


「そいつらは牢屋にでもぶち込んでおけばいいからさっさと自室に戻れよ。」

 ケガはなかったとはいえ、銃跡が残ってしまった服を脱ぐと花咲は目をぱっと逸らす。彼女にとっては今まで何度も見続けたその体だが、日に日に変化していく肉体に見慣れない。それは先ほどの彼の俊敏な動きにあるように、常人離れした体は日々の鍛錬によるものだからである。成長期後半ということもあってその変化はすさまじく、細顔から外見では判断がつかないほどに隠されている。

「早く着替えてきなさいよ。」

 花咲は真っ赤な顔を怒っていることにして強く言う。怖瑠璃ははいはいと返すがこの男、どうせ着替えるなら寝巻でよくねとか考えるような人物である。

「まったく、執事としての自覚が足りないんだから。」

 ため息をつく花咲、その口角はどうしてか上がっていた。




 その日の晩である。彼が死亡したのは、







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今宵×にますが邪魔しないでください 黒猫夏目 @kuronekonatume

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