有体

 常陸乃ひたちの家の三名は、足の踏み場がなくなった居間で、言葉を失っていた。

 とかく、母のカズも祖母のヨシも怪我はなく、まずは安堵した。寝起きだった私は、大騒動の間に鋭利な物を踏んだらしく、足の裏からわずかに出血が見られた。また、飼っているデブ猫――もとい黒猫の姿が見えず、安否が不明だった。おおよそ、音と振動に驚いて外へ逃げ出したのだろう。

 私はおもむろに居間の蛍光灯のヒモを引っ張った。当然、うんともすんとも言わない。その視界の隅で、地震発生時刻で止まった時計が、『メディアの映像』を思い出させる。過去に、何度もメディアで見てきた光景が、そっくりそのまま私たちの前に現れるなんて――


 悲惨に変わり果てた実家が、これ以上の変貌を遂げる前に、まずは居間から庭に出ようとした。が、古屋ふるやゆえかガラスがはめ込まれた重い木製引戸はレールから外れており、力をかけてもうんともすんとも言わなかった。

 逆側の引戸は辛うじて外れておらず、普段の倍以上の力を込めてると、ガタガタと騒音を立てながら、ようやく外気を取りこめた。

 縁側のサンダルをひっかけ、家に面するメインストリート――コンクリートの坂へ移動すると、すでに何名かの爺さん婆さんが呆然として、目をきょろきょろさせていた。己を保つために、近隣同士で生存確認をしているのが印象的である。


「びっくりしたあ」「嘘でしょ」「長かったー」

「いやあ、怖かった」「どうしよう……」「家がメチャクチャ……!」

「電気が止まった」「すぐに水道も止まるぞ」「また揺れてる! 揺れてる!」


 人々のありきたりな感想が、かえって現実味を増す。

 不意にふたたび大地が揺れ、人声が悲鳴に変わった。野外でも、両足から全身へ上がってくる振動である。

 ――このままではだろう。私は是が非でも、こののを拒んだ。パニックになった者勝ちの現状で、逃避や慰撫いぶに逃げるのではなく、あえて現実を見ようとしていた。

 私は家の中へ戻ると、掌サイズのデジタルカメラを持ち、靴を履いた。今、この世界をデータとして収めなくてはいけない衝動に駆られてしまったのだ。


 こんな非常時である、家に居るのが正解だ。出歩くのは自殺行為だ。

 ――そんなこと、ことおろかである。


 けれど私は、「ちょっと出てくる」と言い残し、その場を離れた。

 両足を動かして一分ちょっと、みたび――いや、もう何度目かわからない大きな余震で体が左右に揺れ、平衡感覚を奪われた。

 すぐ近くのアパートの窓ガラスが音を立てて歪んでは元に戻り、今にも割れてしまいそうな悲鳴を上げている。二次災害で大怪我をしてもおかしくなかった。


 不思議だったのは、浮世の無音さだった。

 鳥のさえずり、風の音、人の声、なにも聞こえない。

 ただひとつ、被災に囚われた鼓膜を頻繁に刺激したのは――

「うわ、また揺れた……」

 恐怖の振動だった。


 私には、余震の音しか聞こえていなかったのだ。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


・被災時のポイント1

 無駄に出歩くな


・被災時のポイント2

 命の保証をされている場面では パニックになった方がある意味幸せ

 

・被災時のポイント3

 逆に生死を分ける場面では 正気の方が助かる確率は上がる

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