第4話 4月10日――『収穫作業』
『温室』には二種類ある。”ひどい”地獄と、”とてつもなくひどい”地獄だ。
どこかの温室で生まれた有名なジョークだが、どこに笑える要素があるんだろう。もし言ったやつに会ったら、ぜひとも細部まで懇切丁寧に解説してもらいたいものだ。
俺はいつものように『温室』への通路を進めば、まるで金庫のような頑丈な鉄扉が見えてくる。その扉を挟むようにして二人の係員が立っていおる。
俺はその片方、いつものように顔なじみの方へと声をかけた。
「よう、おっちゃん。調子はどうだい?」
片手を上げて挨拶すれば、”おっちゃん”はいつものように鼻を鳴らす。
「…日比谷か。相変わらず礼儀のなってないやつだ」
「こんな世の中で礼儀もなにもないだろうよ――ほい。…随分派手にやられたみたいだな?」
「さっきまで大騒ぎだった」
この歩哨の名前はみんな名前は知らない。ただ”おっちゃん”と呼ばれている。俺が例のカードを出せば、”おっちゃん”はそれを受け取ってため息をつく。
「また収穫効率が落ちる。最近の学校は何をやってるんだ」
「怪我人への感想がそれじゃ、世も末だな」
「もともと消耗品みたいなもんだ。…ほらよ」
手元の紙に俺の名前を書きつけるとおっちゃんはカードに足元の箱から出した『交換証』を添えて渡してくる。
見た目はただの木片だ。前に知り合いに聞いたら割符だよと言っていたが、これが割符だなんて絶対ないと思う。
それを受け取り、制服のポケットに仕舞う。しかし、何度聞いてもグサリとくる。
「人が消耗品かよ?」
「昔からそんなもんだ。馬鹿なやつが言うにはな」
無表情な声でおっちゃんは言いもうひとりを顎でしゃくる。もうひとりの、たまに見かける方が鉄扉の鍵を開け、バルブを使って作ったノブを回す。扉の向こうで、ぎぎぎと嫌な音が響いた。
「ほら行って来い。死ぬなよ?」
そう言っておっちゃんはドアに手をかけ、もうひとりとともに引っ張った。鉄扉が音を立てて開けば、そこは拘置所のように檻の扉が並んだ廊下だった。しかし、とても拘置所のような静寂とは程遠い。中からは音が溢れてくる。
硬いものがぶつかり合う音。悲鳴。銃声。一番多いのは、なにか獣のようなわめき声。
ここからは『地獄』だ。
俺は小さく息をつき。その奥へと進む。
さあ、仕事の時間だ。
昔、小学生くらいのときだったか、絵本を読んだことがあった。近所の友だちの女の子が持ってきたものだ。
ストーリーはかんたん。主人公と、しゃべる花の物語だ。ある日、主人公は自分の育てていた花とおしゃべりできることに気づく。その交流を描いた、今思えばなんてことのないような内容だった。
そのときは面白かったんだ。子供の頃特有の好奇心とか、そんなものだったんだろうが、自分が植物の言葉を理解できたらどう感じるんだろう? なんて言ってるんだろう? そんな子供の疑問。
今考えると、何をそんな面白がったのかわからない。
音の洪水の中をかき分けて歩く。廊下の横の鉄格子にはそれぞれ番号が振ってある。大体百歩くらい行った先の右側、56が俺の扉だ。
いつもベルトにつけっぱなしにしてある自分の鍵を取り出して、鉄格子の鍵を開ける。入って扉を閉めれば、鉄格子の鍵は勝手に閉まる。もう逃げ場はない。
中は全面コンクリ製の四角い部屋だ。10メートル四方。少々狭いが、いつの間にか慣れてしまった。そして、奥にはもう一つの扉。いつ見ても殺風景な部屋だ。そんな殺風景な部屋。中心部の天井から一本のロープが垂れている。俺はその部屋の中心まで進み、準備に入る。
足を開く。少し腰を落とし、深呼吸を一つ。そして、腰から右手でナイフを引き抜く。
空いている方の手で、ロープを引っ張れば、仕事開始。
目の照準を扉に定めながら、いつもどおりの、慣れた感触でロープを引っ張れば、連動するように扉が開く。奥からは、ふらりと影が入ってくる。その影は聞き慣れたうめき声を上げていた。
花がしゃべる。植物が動く。昔だったら、おとぎ話のような光景だろう。しかし、ちょっと考えればわかるはずだ。人間にも獣のような性格だか習性だかのやつがいるように、植物にだっていろいろなやつがいるはずだ。
『グリーンフィアー』とは、つまりそういうことだったのだ。
ズルリと、その影が部屋の中に入ってくる。それはパッと見、できの悪い棒人間だ。棒のような四肢があって、胴があり、頭がある。
そんなものが、俺に向かって歩いてくる。
ヨタヨタとした動きは、まるでゾンビのようだ。まあ、姿は似ても似つかないが。
棒のように見えた手足や胴は、指のような太さの蔦だ。そして頭の部分には、それこそ人間の頭のような、真っ赤な『トマト』がついている。
そう、『トマト』だ。真っ赤なボーリング玉のようなそれは、首の部分に襟巻のようにヘタがついていた。
そしてその真っ赤な『実』には、目や、口のような裂け目がついている。口の部分には、まるでノコギリのような歯のおまけ付きだ。
よたよたと、しかし、確実に俺に迫ってくる『トマト』。
絵本の中ならメルヘンだが、現実で見れば気味悪さしかない。そして、こいつは、俺に悪意を向けている。
蔦でできた手足の先端は、獣の爪のような鋭さだ。俺に向かってそれを向け、引っ掛けてやろうとでも言うようにゆらゆら揺らす。その切れ味は、さっきのストレッチャーが証明していた。いつものことだが、腹の底が冷えるような気分になる。
だが仕方ない。これが仕事だ。
俺はナイフを構えて、目の前の『トマト』に向ける。
さあ、『収穫』の時間だ。
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