第8話 最終兵器の交渉
悪しき空気を浄化するスプレー。
このものすごく胡散臭い説明文の商品の生まれた経緯は、東の遠い遠い国の魔術を研究しているギルドがフースイ? とかいうなんだかよく分からない術を持ち込んだことがきっかけだった。
その時聞いた説明では、東の遠い遠い国ではこの世の全てには目には見えないエネルギーが流れており、その流れが悪くなると災いを引き起こすという考え方が普及しているらしい(今思い出したが、感覚的には魔力の流れが見えるとかいうあのちんちくりん捜査官の能力みたいなものだろうか)。
逆に言えばその流れを変える事が出来れば、もっと言えばコントロールすることが出来ればある程度の災いを防ぐことも可能らしく、しかも知識さえあれば魔術師の血統でなくても誰でも使えるという。
記憶自体がかなり前だし、そもそも思い出したくもない話なのでざっくりだが、まあそんなこんなで町中にある数々の薬品工場の一つと共同開発してできたのがその薬剤であった。
正直おれとしてはこんなの本当に売れるのか? と思ったのだが、そんな薬品を問屋に売り込むのもうちのギルドの仕事である。
死んだギルマスは人間的にはああだがその手腕は確かで、フースイをこの街に持ってきたギルドと結託してフースイを宣伝し、やがてちょっとしたブームを作り出すことに成功。つまり商品が売れる土台を用意したのだ。
あとは流行に乗せて売っていくだけ。放っておいてもうまくいきそうと判断したギルマスは、このタイミングでおれにその担当責任者に任命した。
この商品は特別枠として各問屋の受発注を管理する。そしてあわよくば売り込む問屋をどんどん増やしていく。それが主な仕事の内容だった。
売れ行きが約束された商品だ。頭下げて営業するわけでもないので仕事としては簡単なものだ。
そのはずだった。
結論から言うと、その商品は市場に流れることもなく、フースイブームは去った。
理由は、この街に輸入物の術が入ってくるのを快く思っていない数々の魔術系ギルドからの妨害。
さすがにこの街古参のギルドたちを敵に回すわけにもいかず、一気に旗色が悪くなったところで、ギルマスは俺に商品の取引中止を命じた。
もうすでに大量生産して、いざ売り出すタイミングなのだが。
それでも購入したい問屋もいるのだが。
なのに、ギルマスはおれの言い分を一切聞かなかった。それどころかもっと悪い事に、取引中止の責任を全て俺に擦り付けて、後の処理も丸投げた。
普通なら信じがたい話だ。普通なら。
何故決定権も何も与えない、言い分も聞かないくせに責任者なんて役割を押し付けたのか。
何故もともと自分が始めた取引なのに、失敗した後始末だけ何のフォローもせずひとにやらせるのか。
その後、おれは各問屋と工場に謝罪に回った。
大抵のところは嫌な顔をされた。
罵詈雑言も飛ばされた。
でも、一番胸が痛んだ相手は生産工場で、元々小さい規模なのにかなり無理させて大量生産した結果、不良在庫を抱えたまま倒産秒読みまで追い込まれてしまったという事。
ものすごい罵倒された。
ものすごく泣かれもした。
「残念で済むか! こっちはお前のところを信じていたのに!」
おれは彼らに頭を下げて謝罪することしかできなかった。
それと同時に無責任で身勝手なギルマスに怒りを、殺意を覚えた。
あんな奴、一回死んでしまえ、と。
そうだった。そうだったんだ。
その後から今まで続く激務で埋もれるように忘れてしまった殺意。
全部、あの占い師の言った通りだった。
その殺意が、おれの知らないところでギルマスを殺した。
だけど、抱いた殺意を否定できない。
言葉にできない感情がぐるぐる回る。
なんで散々な結末の事件に巻き込まれて終わった仕事場でこんな嫌な思いをしなきゃならないのか。
ばからしい。本当にばからしい話だ。
現実から目をそらすかのようにチラシを元の位置に戻そうとして、手を止めた。
……これ、「悪しき空気を浄化するスプレー」だよな?
そして部屋に漂う黒いモヤを見る。
このモヤは呪いの力が発動して生まれたものだと犯人の占い師は言った。
もしこのモヤが、呪いという悪いエネルギーが集まって災いを起こしているのならば。
おれは思い立って自分の机に戻り、引き出しを開ける。……あった。サンプルが。使いどころがなさ過ぎて未開封のままだった。
だがこれがもし、効果があるんだったら。
意を決してキャップを開け、モヤに向かってスプレーする。
「おわっ!」
ジュゴォッと音がして、スプレー剤に触れた黒いモヤが泡状になってボトボトと床に落ちた。そのままシューシューと細い煙を上げながら見る見るうちに消えていく。
……えーと、これは浄化って言えるのか? 今一つ確証が持てない。だが、消えたと言えば消えている、ようには見える。これがサンプルみたいな少量でなく、大量にぶっかけたら、もしかしたら。
誰かに恨まれると体に支障をきたすなんて理不尽な呪い。その呪いは黒いモヤとなってじわじわと今も外へ流れて広がっている。こいつをなんとかしないと街は元に戻らないのだ。
それを食い止める役目は、別におれでなくてもいいだろう。
けど、本当にこのギルドで最後にやるべき仕事があるのだとしたら、きっと。
おれは電話機へ向かうと通話ボタンを押す。
ほどなくして通信回線ギルドに繋がり、あの工場への取次ぎを頼む。
まだ工場が残っていることを祈っていると、もうしばらくして「もしもし」と初老の男の声が返ってきた。約八ヵ月ぶりに聞いた工場の長だ。
声はかなり不機嫌そうである。いや、そりゃ大きな取引を潰した原因のギルドからいきなり電話がかかってきたのだから無理もない。
まあ、機嫌の悪い相手の電話対応は慣れているので(嫌いだけど)、ここで怯むわけにはいかない。おれは簡単な挨拶と名乗りを挟んで、例のスプレーの在庫が残っているのかを尋ねた。
「てめえの脳みそは花畑かぁ? 何をどう考えたらてめえのミスで赤字閉鎖に追い込んだ製品の問い合わせができるんだ? あぁ?」
耳がビリビリするようなドスの効いた声。
「ですから事情が変わったんです。そしてこれはビジネスの話ではありません。人命がかかってるんです」
「こっちはてめえのせいで首括る寸前なんだよ!」
「とにかくこちらの話をまず聞いていただけませんか……うっ……」
急に首を絞められたような息苦しさが襲ってきた。頭の中で「てめえなんか死んでしまえ」という声がぐわんぐわんと響く。
まずい。呪いのせいで工場長の恨みがダイレクトにおれの身体にくる。気を抜いたら一瞬で意識が飛びそうだ。
「これからそちらに向かわせてください。いや、向かいます」
精一杯声を絞り出して受話器を置くと、辺りかまわずサンプルのスプレーをまき散らす。
周囲が泡と煙まみれになったところで、ようやく呼吸が戻ってきた。
呪いは会話してようがしてまいが、誰かに恨まれ続ける限り発動するものと推定すると、やはりこのスプレーは効果があると考えていいのだろうか。
とにかく善は急げだ。必要な荷物だけかき集めると部屋を出て外を走る。
工場はギルド街の外れの方にあるから呪いの効果は薄いだろうし、もしかしたらこの状況をいまいち把握していない可能性も高い。事情を伝えて、どうにかして分かってもらわねば。
やがて見えてきた小さな工場の少しさび付いた門をくぐり、事務所の方へ向かう。取引してた頃、何度も足を運んだ場所。これからどう説得するかを思うととても懐かしい気分には浸れなかったが。
ぶっちゃけここから先はノープランだ。だがもう後にも退けないし、失うものもない。失敗に終わったとしても、もうおれを責める上司も存在しない。
男児向けのヒーローの歌の中に出てくる「ピンチの時ほど燃えるのさ」というフレーズを思い浮かべながら、事務所の扉を叩いた。
「で、まさか一人で殴り込みにくるとはな」
「電話口では呪いが発動してしまうので」
怒りを通り越してやや呆れ顔になっている工場の長を前に、なるべく平静な態度で対応する。
こう言うのも少し忌々しいが、取引先相手には弱気な態度で出るなとギルマスに散々叩き込まれていた。
「まず初めに言っておきます。うちのギルマスが死亡しました。警察ギルドは殺人事件と断定してます」
畳みかけるように、インパクトの強い事実から話を切り出していき、会話の主導権を握る。これもギルマス流の会話術である。本当に不本意だが。
「新聞を見たときは目を疑ったが、あのギルマスが死んだのは本当だったか……」
思惑通り、相手は少し話に食いついてきた。
「しかも真夜中に殺人事件? 犯人は?」
「昨日判明しました。呪いによる殺人だそうです」
どうやら新聞ギルドが記事にしたのはギルマス死亡の件だけで、その後のゴタゴタはまだ情報が行き渡ってないようだ。そもそも犯人確保の場にいた人間はおれも含めて黒いモヤに巻き込まれて病院送りになってしまったからな。
「ところが犯人を捕まえる寸前に、アクシデントでギルマスを殺した呪いと同等のものが黒いモヤがばら撒かれ、現場を中心に広がっています。それをどうにかできそうなのがここで生産していたスプレーです」
「……あれがか?」
「もちろん専門家の判断も必要でしょうけど、現時点ではこれしか手段はないし、やってみる価値はあると思うんです。ですから」
「気に入らないな」
「えっ?」
問い返すと同時に、身体を突き飛ばされた。
床に打ち付けたところをさすりながら工場の長を見上げるとものすごい形相でこちらを睨みつけていた。
「さんざん人をその気にさせて山のように製品作らせたくせに手の平を返すように切りやがって! それで必要になったからよこせと? どういう神経してるんだてめえはよ!」
女子供なら泣きそうなくらいの迫力だ。
「ですが今は街の安全がかかっていて」
「うるせえ! 知った事か!」
ダァンと大きな音が響く。工場の長が床を足で踏み鳴らしたものだ。威圧がヤバい。
「ついでに言うとお前の態度も喋りも心底気に食わねえ」
いきなり怒りの矛先がギルドからおれ自身の方に向けられる。
「自分でも気づいてないのか? お前の仕事っぷりにはなんの心も入っちゃいねえ。あるのはただ仕事を済まそうとしか考えちゃいねえ中身のない義務感だけだ」
あまりにも想定外のことを言われ、おれは何も反応できなかった。
たまに説教とマウント大好きなギルマスが下らないことでネチネチ言ってくることはあったが、取引先からそんな風に仕事のスタンスを批判されたことはない。
「お言葉ですが、決してそんなつもりは」
「ほら、その機嫌取ってなんぼな態度が見え見えの上っ面なマニュアル対応。バレてないと思ってるのか」
言葉が詰まる。
大体こちらの要望は伝えたというのにそれ以上何を求めるのか。ビジネスを円滑に進めるためのマニュアルっぽい言い方になったとしても、それの何が悪いのか。
「どうせ仕事やる気なんかないだろ。いや、仕事だけじゃない。お前にはやる気を出せるものが何にもない。お前はただ言われたとおりに仕事をするだけしか頭にない、空っぽな男なんだよ。だから何をやっても心が無え」
今度こそ、言葉が出なかった。
仕事でやる気などの精神論なんか、役に立った覚えはない。
求められるのはいつも結果であって、やる気とか士気とかはどうでもいい。むしろ持てば持つほどへし折れた時につらい。
かつて、おれは音楽の道を志そうとして、何一つ成果が出なかった。
頑張ったことは全て無駄になった。
そのうち、出したやる気そのものが偽物に思えてきて、ひどく無意味に思えてきた。
やっとありつけた仕事は、理不尽だらけで、でも働かなくては食っていけない。他に行くところもない。そう割り切るしか選択肢がなくて。
結局それも、ギルマスが恨み殺されたから無くなったけど。
「何の価値もないんだから、死んじゃえばいいんだよ」
不意に頭の中に響く声。
この声は、工場の長の声じゃない。
「このおっさんの言うとおり、、空っぽなんだよ」
「空っぽで生きてることに何の意味がある?」
「死んでしまえ、クズ。どうせ何やってもダメな奴なんだから」
これは、おれの声だ。脳内で自虐の声が響いている。
いや、それ以前にこれ、呪いが発動している! 自分で自分を恨む声がおれを蝕んでいるんだ。
まずい、発生源から離れれば大丈夫だと思ったが、一度感染するとずっとこの体質なのか。
それが完全に街中に広がったら冗談抜きで大変なことになる。
現実を分析すると、幻聴がすっと消えた。
今はおれの価値がどうとか、そんなことは重要じゃない。仕事ぶりに心があるのかどうかも考えてる場合でもない。
おれは正座すると、床に手をつき、頭を深々と下げた。
「何の真似だ?」
「おれのことが許せない、気に食わないのであればいくらでも頭を下げます。だけど、今は多くの人の安全が脅かされているんです。呪いをばら撒いた犯人は死にはしないと言うものの、実際には重体になっている人間もいます」
副マスター、あんたの事はこれっぽっちも好きじゃないのに心配している
「だからあのスプレーをよこせ、と言いたいのか」
工場の長が深いため息をつく。
「……確かにあのスプレーはうちの倉庫に在庫まるごと残っている。消費期限も数年持つから使用する文にも問題はない。だが、それをお前のとこのギルドが買い取るのか? ギルマス死んでもお前に決定権はないだろ」
「そ、それは」
「まさか、タダでよこせと言うつもりだったのか?」
正直、協力を頼むことで頭がいっぱいで、考えていなかった。
当然、おれにギルドの金を使う権限はない。かといって自腹を切るには無理がある。
そしてこれも当たり前だが、工場の長は意地悪で言っているわけではない。ビジネスはビジネス。このルールは外してはならない。
向こうからしてみれば、潰れかけた工場に残っている在庫を少しでも売りさばいて資金を回収したいのだ。それが叶わないのならば協力は無理。そこはどうにもなりそうもない。
「で、いつまで土下座しているつもりだ? 話は終わったはずだが」
工場の長の呆れた声が上から降ってくる。
「す、すみません」
おれは足を崩すと、ゆっくり立ち上がる。
完全に交渉は失敗だ。このまま立ち上がってさよならしてしまえばもうおれに打つ手はない。
最後くらい何か言ってやろう、という意気込みはあっさり崩れた。結局いつも俺はこうなんだ。頑張ろうとして大体失敗する。音楽で生きていこうと志して挫折したあの時だって。
だれかしらが こまったときも
ちからをあわせて とんてんかん
いや、だからなんで脳内であの労働賛歌な童謡が流れるんだよ。それも今。大体前から思ってたが、とんてんかんって何だよ。むしろこっちは困っているのに相手と力を合わせられないんだぞ。
あとはおれじゃない、他の誰かがおれとは違う方法でこの事態を解決するしかない。
……いや待て、おれじゃない「誰か」?
「すいません、電話をお借りしていいですか?」
「いきなりなんだ?」
「解決策を、少し思いつきました」
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