16話


 ベルト状の拘束具が上半身を縛り上げ、両腕までを一繋ぎに纏め上げられたその姿は、まさに異形バケモノの一言に尽きた。


 禿げ上がった頭部は醜くただれ、目であろう部分を一等分厚く太いベルトが覆っている。開口器によって強制的に開かれた口からは、歯から歯が生えたような、黄ばんだ歪な物体が覗き、涎と呼気を撒き散らしていた。


 しかし、過剰なほど巻きついている上半身に対し、下半身の拘束は実に簡素だった。両足首に鉄の枷が嵌められている以外は、引き千切られたベルトの残滓が垂れ下がっているだけ。


 その非現実的な存在が、宙に浮かびながら、まるでそこにある地面を大股で開いた両足で踏みしめるように立っている。


 目にするだけで吐き気が込み上げてくるような、生理的な嫌悪感を抱かずにはいられない風貌を目の前にして、Dクラスの生徒たちは一様に顔を青くした。


 しかし、その異形を冷めた目で睥睨する視線が二つ――。



「……ふむ、報身ほうじんか。顕現はできているようだが……さて、どの程度か」



 足を組んだまま身動ぎ一つすることなく、昧弥まいやは興味深そうに笑みを浮かべる。


 その背後に音もなく着地したダニアは、定位置で跪くとこうべを垂れた。



「申し訳ありません。拘束などに止めず、手足を確実に潰しておくべきでした。あのような下郎に自由をさせてしまった罪、如何様にお罰しください」


「いい、構わん。どのみちここでことを荒げては面倒だ」



 昧弥が振り返らず手振りだけで立つように促すと、ダニアは唇を嚙みながらも素直に立ち上がり主人の脇に控えた。


 ――しかし、それだけだった。


 すべてを飲み込む悪意の蹂躙も、覚者かくしゃですら視認の追いつかないスピードでの殲滅もない。

 二人は事態を静観するように、殻木からきへ冷めた視線を向けただけだった。


 その事実に、殻木は己の中に仮組していた説を確かなものに固めた。


 ――だよなぁ。動けねぇよなぁ。周りを巻き込んじまうもんなーぁ!


 下種な笑みを軽薄な面の皮の下に押し隠し、殻木は腹の中で盛大に嗤った。


 どういった理由があるかなど、どうでもいい。

 重要なのはこの地獄の底から這い出てきた主従が、Dクラスの面々が死ぬことを良しとしていない、ということだった。


 ――オレのカルマが何か、見当つけてるアンタなら簡単には動かねぇと思ったぜぇ。


 わざわざ見せつけるように人工精霊タルパを顕現させたのもそのため。

 下手に動いたら周りの奴らを一斉に皆殺しにする――その意思を分かりやすく提示するためにほかならなかった。


 ――んでもって、この状況よぉお!


 今この教室は思いがけず、殺し合いの最中でなかったなら飛んで跳ねたいほど、殻木にとって美味しい場ができていた。

 なぜなら、仮にここで人死にが出た場合、処断されるのはどうあっても昧弥たちなのだ。


 覚者同士の争いにおいて、物的証拠は意味をなさない。そんなものはいくらでも偽装が利くうえ、そもそも業を使用すれば残らない場合がほとんどだ。


 つまりは問題が起こった際、『どのように(How done it)』は目を向けられない。

 すべては『誰が(Who done it)』と『どうして(Why done it)』に集約される。


 この状況をその観点で見れば、悪(昧弥)の魔の手から友人を助けている善(殻木)の勇気ある行動としか取られない。


 ――これ以上動きづらくなって困るのはアンタだもんなぁ?


 そして、経緯がどのようなものであれ、先日の一件から続けて問題を起こしてしまえば、道祖みちのやからの糾弾が強まるのは間違いない。


 だからこそ、昧弥たちは下賤な輩の自由を許している――いや許さざるを得ない。動くに動けないのだ。


 そのことを殻木は、事前の情報収集と現状から正確に割りだしていた。


 その愉悦に顔がにやけるのを抑えるのが苦しい。だが、当然その愉悦が表に滲み出ることはない。今この瞬間も監視カメラによって撮られているのは把握済みのこと。


 殻木は正義面で背後に小貫おぬきを守る体で人質に取りつつ、なんとか場を穏便に収めようと苦慮する代表者として声を上げていた。



闘禅とうぜん……つっても分かんねぇか? まっ、それも仕方ねぇから別に気にする必要ねぇよ? なんつったって、まだできて半年ぐれぇしかたってねーから。

 これから知ってけばいいんじゃね? オレたちの関係みてぇにさ~ぁ? ひゃははぁ!」



 わざわざ下卑た笑い声をあげて挑発をする殻木に、ダニアの額に青筋が走る。しかし、それが弾けるよりも早く、昧弥が僅かに関心を覗かせながら返した。



「……業の習熟と人工精霊タルパの精度を上げるための禅、修行といった体で行われる戦闘実験……だったか。

 なるほど、覚者を精神、肉体、双方から追い詰めることができるうえ、実験中の事故ということにすれば処理も楽、ということか。ふむ、よくできている」



 予想外にも昧弥の口から闘禅の詳細が語られたことに、殻木は微かに息を呑んだ。



「――ッ! へぇ~、知ってんじゃん。なら話はぇわ。そっ、そいうこと。

 今までは覚者オレたちも好き勝手やってたんだけどさ~ぁ? さすがにやりすぎちったみてぇなのよ。

 そんで、今のまんまじゃあヤベぇってんで、なんかエラい人がやんなら場所と時間を選べってんで、決まったのがこいつ、ってわけだ」



 昧弥からすれば受けるメリットはない。断ってしまえばそれまでのことだ。


 だが――、



「――もちろん、受けるよなぁ?」



 状況がそれを許していなかった。


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