13話


 一連のやり取りなど蚊帳の外。彼女の周囲だけが、まるで別世界として切り抜かれているように、違っている。


 しかし……その空気は、心休まるものでも、気分が華やぐものでもない。


 ――聞いちゃあいたけどよぉ……マジもんのバケモノじゃねぇか。


 震えそうになる膝を、殻木からきは気概だけで押し止めた。


 メイドを侍らせ、足を組んで茶器を傾ける姿など、まるで中世の西洋画から抜けだしてきたかのように様になっている。

 カップを持ち上げて口をつけ、ソーサーに音もなく戻す。ただそれだけの仕草が、歴史を積み重ねた芸事のように洗練されている。


 しかし、脳が訴えてくる感情は、そのすべてから乖離していた。


 香しい紅茶に混ざる、甘たるい死臭。美しい一挙一動に潜む、冷酷な死相。


 王宮の庭園で催された茶会の一幕のように完成されたそこは、八大地獄の一層のような死に満ちていた。


 表に出てきそうになる恐怖を腹の底に抑え込み、絡め捕られそうになった視線を無理やり引き剥がす。


 これだけ距離を空けていても、迫りくる死の気配は微かにも霞みはしなかった。


 それでも……と殻木は決意を新たにする。


 ――予定は狂っちまったが……は変わらねぇ。


 未だに下卑た愉悦に浸っている小貫おぬきに視線を戻しつつ、殻木はぱっと気の抜けた、ともすれば朗らかにさえ見える笑みを浮かべて口を開いた。



「なぁんだよ~、んな怖い顔すんなってぇ~。ごめ~ぇってぇ。

 いらねぇんなら無理強いとかしねぇって。ほら、オレって優しいからさーぁ、気ぃ利かせて持ってきちゃっただぁけ! マジそんだけ。ふけぇ意味と皆無だから」



 激昂するか、ヒリつくような圧を浴びせるか……もしくは問答無用にカルマを行使するか。それが大方の予想であり、まるでおもねるようなその態度は完全に予想外だった。


 小貫をはじめ、関係を持っていた生徒たちは、あり得ないものを目にしたように息を呑んで固まった。

 しかし、すぐに気を持ち直し、何があってもすぐに行動できるよう身構える。


 殻木もその対応の早さに内心で口笛を吹いて賞賛した。


 本当に、つい数日前まで飼われ搾取されるしか能のなかった家畜ゴミどもとは思えない。

 いや、真に賞賛されるべきは、その数日という短い期間で、家畜どもここまで再調教してみせた昧弥だろう。


 ――めんどくせぇ仕事になりそぉだ……。


 辟易としわの寄る顔を笑みの仮面で覆い隠し、殻木は何気ない自然な動作で警戒の網を潜り抜け、小貫の肩に腕を回しなおしてホールドした。



「なッ!? ぅ……ぐ……!」


「でも、マジですげぇよ小貫ちゃ~ぁん。全然見違えたもん。なぁになにぃ~、最近会ってないうちに何があったん? 教えてよ~ぉ」


「こん……のッ! は、離せよ!」



 なんとか振りほどこうと藻掻く小貫を殻木はいとも容易く抑え込んだ。片腕で両腕上部を抱えられ、覆いかぶさって体重をかけられただけで身動きが取れなくなる。


 しかし、それも当然のこと。


 人工精霊タルパの格が上がるほど、覚者の身体能力も飛躍的に上昇する。つまり人工精霊タルパの格で圧倒的な差のあるAとDでは、その身体能力も天と地ほどの差がある。


 どれだけ心構えやカルマの習熟を強化できても、その点は覆しようはない。



「そう邪見にしねぇでさ~ぁ、教えてよぉ~。どしてそんなカッチョ良くなっちゃってんの? 知りてぇ~なぁ……なぁ、小貫ちゃん」


「ひぃッ!?」



 緩み切った口調とは裏腹に、その目に遊びはなかった。


 表面上ばかりの笑みに隠された顔の裏から、這い寄るような残虐性をわざと覗かせている。


 小貫がたまらず小さく悲鳴を上げたのに、殻木は開放するでも返事をするでもなく、ジィッと貫くよう視線を向け続けた。


 その圧に耐え切れず、小貫の視線が小刻みに震えながら……一瞬だけ、本当に刹那の間だけ、昧弥へと吸い寄せられた。


 ――そこで誰かにすがんのが、所詮Dってこった。


 殻木はその逡巡を見逃さず、さらに笑みを深めて詰め寄った。



「お~、やっぱ新しく入ってきた、あのが絡んでんだ?」


「なッ!? ち、違ッ――!」



「いいじゃん、いいじゃ~ぁん。オレにも紹介してよぉ~? なんでなんで? オレだけ除け者ぉ? 酷いくなぁ~い?

 紹介してくれるだけでいいからさ、なっ? ちょっとだけ橋渡ししてよ。よっしゃぁ、決まりね。んじゃ、さっそくぅ……」


「待って、待って! 待ってくれ!」



 泣き、喚き、顔の色が土気色になるほど怯えた小貫を抱えたまま、その訴えを完全に無視して、殻木は軽薄そうな足取りで昧弥との距離を詰めた。




「――お嬢様ぁ~、お話し~ぃましょ?」




 距離にして約五メートル。


 何かあれば、すぐさま対応できるだけの間合い。かつ、自身のカルマを効果的に作用させることができる、まさに自分にとって絶好のスペースを確保して、殻木は万全の心構えでその地獄と対峙した。


 いざとなれば、自身の腕の中で過呼吸を起こしかけている小貫を盾に、容易に離脱できるだけの距離でもある。


 ――さ、やりますかぁ。



 薄っぺらい浅慮な上辺で笑いながら、深く深く、狡猾に計算を巡らせる殻木は、緊張に渇いた唇を静かに湿らせた。


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