11話


 空気を揺るがす破砕音と共に、教室前方のドアが内側に向けて倒れ込んできた。


 何事かと目を丸く見開き、あんぐりと口を開けて固まる臨時講師の前で、けたたましい音を立ててドアが床に衝突する。

 その耳障りな騒音にビクッと肩を跳ね上げて再起動した講師は、慌てて壊れたドアに駆け寄った。



「くそッ! 私は臨時だぞ!? なんでこんな目に合わにゃならんのだ。

 おいッ! こんなことをしてただ済むと思ってるのか!? どこのどいつか知らんが、講義中の教室のドアを吹き飛ばすなんぞ、やっていいとおも゛ごぉ!?」



 歩調も荒く、大股でドアに向かって突き進んでいた講師が、突然奇怪な悲鳴を上げて立ち止まった。


 昧弥まいやとダニアを除く、クラス中の視線が集中する中、怒りに赤く染まっていた顔が見る間に青黒くなっていく。


 ――酸欠だ。


 しかし、その突発的な異常事態の中、生徒たちはただ冷静に状況を分析する。

 誰一人として取り乱すことなく、進んで講師の様子をつぶさに観察する。


 まるでその周囲だけが水の膜で覆われたかのように、彼の手が空気を求めて宙を無造作にかき乱す。


 しかし、振り乱される手が何かを掴むことはない。ただバタバタと無意味に暴れる手からは、一秒ごとに命が零れ落ちていくだけだった。



「あいあぁい、失礼しま~すっと」



 芯がなく、気怠げに波打つようなその声が聞こえてきたのは、講師の意識が酸欠で白く塗り潰されたときだった。


 破壊されたドアを踏み躙りながら、金髪を肩口まで伸ばした如何にも軽薄そうな男子生徒が、ポケットに手を突っ込んだ姿勢で入ってくる。


 その姿を視認した瞬間、生徒たちは一斉に逃走の準備を整えていた。



「おいおいおぉい? そんな怖がんなよぉ。別にお前らのこと、殺しに来たわけじゃあね~んだからさーぁ。さすがに傷つくよ、オレもぉ?

 ……まっ、嘘だけどぉ。えひっ、えひひゃひゃひゃあ!」



 生徒たちの逃げ腰を敏感に察知した男子生徒は、上半身を弓なりに反らしながら喉を震わせ、下卑た笑い声を高々と上げる。


 その姿に見覚えがある者も少なくなかった。

 Aクラスに在籍しながら、Dクラスとの交流を持つ稀有な人物。



殻木からきさん……」


 聞き逃してもおかしくない、掠れて消えそうな呟きにもかかわらず、殻木は耳聡く拾い上げ、声の聞こえた方にぐりんっと体を捻じるようにして顔を向けた。



「おっ? 小貫おぬきちゃ~ん。久しぶりぃ。

 どしたの? 最近、全然会いに来てくんないじゃぁん。友達が会いに来てくれなくて、オレぇ寂しかったんだけどな~。

 だからぁ……会いに来ちゃったー、ってかぁ? ひゃひゃひゃぁ!」



 小貫の肩に手を回し、黒板に爪を立てたような引き攣った笑声を上げる殻木に、クラスの大半は路上で騒ぐ酔っ払いを見るように眉を顰める。


 それもそのはず、実験テストによるクラス分けの最上位が、最下位の彼らとわざわざ友好的な交流を持つために足繫く通う理由はない。

 だとするなら、離れた位置にある他のクラスにまで足を延ばす理由は、当然非友好的なものになる。


 居心地が悪そうに委縮する小貫に、下から睨めつけるような笑みを向ける殻木は、まるで長年の友人に語りかけるような気安さで口を開く。



「まぁ、実を言うとさ。寂しいのはホントなのよ、これが。主にぃ……オレの懐がさ。だからに助けてもらっちゃおっかなぁとか思ったわけよ。

 だから小貫ちゃんさー、少しでいいから貸してく――」


「止めてくれ」


「…………あ゛ぁ?」



 故に、それが拒絶であると理解するのに数拍の時間を要した。


 笑みの形のまま固まった殻木は、肩に回した手を払われるのにすら抵抗することなく、一歩の距離を空けて対峙してきた小貫を無意識のまま見つめた。



「や、止めてくれって……言ったんだ。これ以上、おお俺に関わらないでくれ!

 もう、いろんな理由つけて金をせびられるのも、サンドバッグ代わりにされるのも、全部嫌なんだ。め、迷惑なんだよ!」



 体も声も震え、顔は俯き、視線は足元を彷徨っている。

 話をするのに相手の目を見ることすらできていない。


 しかし、それでも明確な拒絶の意思は十分に殻木に届いていた。



「………」



 払われた手に視線を落とし、しばらく見つめてからガリガリと後頭部を掻き毟る。

 俯き、影になった顔から大きな溜息が聞こえてきた。



「はあぁぁ……オマエさ~ぁ、マジで言ってんの?」



 徐に持ち上げられた顔には、先ほどまでの芯のない軟な印象はなくなっていた。


 鋭く細められた瞳から滲む怒気に、小貫の体がビクッと跳ね上がる。

 しかし、それでもなお気丈に、はっきりと言葉にした。



「ま、マジだよ! 大マジさッ! 金輪際、おまえに関わってる時間なんてないんだ! 分かったら、さっさと自分のクラスに帰れよ!」



 はぁはぁと、息を切らしながら叫んだ小貫を、殻木の冷え切った視線が貫く。


 それに臆しながらも、涙目でしっかりと睨み返してくる姿に、自分が事前に仕入れた情報は間違っていなかったことを確認し、殻木は表には出さず納得した。


 小貫の瞳には、確かな意思が輝いる。

 数日前まで死ぬように生きていた者と同一とは思えない。


 ――これを折るのぁ手間がかかるだろうなぁ……普通ならな。


 しかし、殻木が慌てることなく、口元に酷薄な笑みを浮かべてさえいた。



「――じゃあさ~ぁ……、もういらないわけ?」



 この場の支配者は自分である――その確信があるが故に。


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