10話



      §      §      §



「――あぁ……つまり、人工精霊タルパには、上から法身ほっしん報身ほうじん応身おうじんと格があるわけだ。当学園では、カルマの精度や強度と、これを基準に実験テスト結果を判定し、それぞれS・A・B・C・Dとクラス分けをして――」



 巨大なホワイトボードの前に立つ教師が、教本を片手に滔々と分かり切った内容を語る。その眠気を誘うような声を遮るものはない。


 誰もが背筋を伸ばし、それ以外目に入らないとでも言うような姿勢で、教師とホワイトボードを凝視する。



「――Sクラスはだけはだが、他のA・B・C・Dに関してはそのまま実験テスト結果の優劣で上から一応決まってる……まぁ、もないではないけど……」



 チラッと、講師の視線が生徒たちの一瞬だけ向けられる。


 これまでであれば、このような既知の内容の講義など真面目に受ける生徒はいなかった。出席はしても、各々自身の用事を消化するため内職に励んでいた。


 出席にしても、それが自分たちの権利と身の安全、衣食住遊を十分に提供してもらうための条件であったが故で、そこに向上心や向学心があったわけではない。


 ――しかし、それも今まではの話だ。


 教室の最後部の中央。


 全体を見渡せる位置に陣取り、洗練された作りの茶器を傾けながら優雅に紅茶を嗜む。明らかに講義を受ける姿勢ではない。


 だが、それを指摘できる者は、教師を含めて誰一人として存在しなかった。


 ダニアの蹴りによって病院送りになった担任に代わり、教鞭を振るっている現在の臨時講師も、初めの内は苦言……とは言えないまでも、恐る恐る蚊の羽音よりも小さい声で、問いに答えるよう要求する程度のことはできていた。


 一切話を聞いている様子がない以上、揚げ足を取るくらいの隙は生まれるはずだと。そうすれば、受講態度の改善……まではできずとも、蚊の針よりもか弱い一刺しくらいは許されるはずだ、とそう思っていた。


 しかし、講義を聞いているとは思えない姿勢の昧弥まいやは、指名されると躊躇も尻込みもなく前に立ち、瞬く間に問題に完全な回答をしてみせた。


 それどころか、講師がした説明の不足を補う形で論を展開し、Dクラスの知識量を飛躍的に向上させた。


 つまりは、その一度で講師の浅ましい思惑は木端微塵に砕かれたのだった。



「――話を戻すと、人工精霊タルパの格は、主に現実への干渉強度と自我の強度の二種の数値を総合して判断されるわけだが――」



 以降、昧弥へ干渉は、遠回しなものを含めて一切されることはなくなった。


 つまり―――以外にも、この教室の平穏は保たれていた……表向きには、だが。



「――えぇ~っと。じゃあ……法身、報身、応身、それぞれに分類するときの第一の指針を……」



 講師が教本に顔を向けたまま、視線だけを生徒たちへと向けた途端、背筋を貫く針のような緊張が教室中に走った。


 誰一人として、視線を反らすことはない。ただ、吐き気を催すほど切迫した意識が、頭をこれ以上なく回転させ、指名に備えることを強制した。



「――小貫おぬき、答えられるか?」


「はいッ!」



 間髪入れず、明瞭な返事が上がる。


 指名された、見るからに平凡な茶髪の男子生徒は、上から糸で吊られているかのように過剰なまでに背筋を伸ばし、宣誓のように声を上げる。



「それぞれの分類の条件は、法身は本体による物理的な現実干渉が行えること、報身は他者が人工精霊タルパの存在を五感によって認識できること、応身は覚者本人が認識できることに加え、専用の機器を使用しての観測が可能であることです!」



 一息で淀みなく答え、直立不動のまま成否の判断を待つ。


 誰もが息を殺し、緊張に身を固くする中、教師の視線が僅かに昧弥へと向けられた。


 確かにそれを知覚しながら、昧弥は一切の意識を向けることなく、静かに紅茶に口をつける。

 その脇では、ダニアがティーポッドを手に、いつでも新しいお茶を注げるように備えながら、変わらずたおやかに微笑んでいる。


 二人に動く様子がないことを確認し、講師は視線を外した。



「いいだろう。座ってよし」


「はいッ!」



 たった一答で、全身の力どころか精も根も尽き果てたようだった。


 全身を流れる冷や汗は、いつの間にか粘り気を帯びており、肌に貼りついてくる服が不快で仕方ない。

 しかしそれ以上に、何事もなく回答を終えられたことに、全身が震えるほどの安堵を覚えた。


 もしも……もしも、と思考が巡る。


 何か誤ったことを口にしていたならば、自分はあの生きながらに地獄に呑まれるような苦痛に再び囚われていたに違いない。


 それが、予測でも憶測でもない、事実としてそこにあった。

 一瞬でも気を抜けば全身を切り刻む鋭い刃の上に素足で立っている――それが、彼らの過ごす紛れもない現在いまだった。



「答えてもらったように、人工精霊タルパの格はある程度の……」



 息を吐く暇もない。


 自分たちの首には今も、血に濡れた刃の冷たい感触が離れずにある。

 この瞬間にも、自分たちが汚濁へと沈むのを、今か今かと、舌なめずりして待ち構えている。


 それを確信しているからこそ、ここにいる全員が生きることに全霊だった。


 一瞬、いや刹那すら気を抜くことはなかった。


 故に――、



「――であるからして。君たちは……」



 ――ドォンッ!!



「おおぉッ!? な、な、なんだぁ!?」



 その襲撃にすら、誰一人として揺らいだ者はいなかった。


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