08話



「あっ、いや……ごめん」



 自分の荒げた声に驚いたように、枝薙えだなぎはハッとした顔で口元を手で覆った。


 なぜそんな態度を取ってしまったのか、自分でも分かってないように唖然と固まるその姿に、結紀ゆうきは硬い表情のまま首を横に振って答えた。



「いいや、謝る必要はないよ。俺だって人伝に聞いたら、絶対に信じられないだろうから。……でも事実なんだ。事実、彼女は人工精霊タルパを素手で征してる」


「ど、どうやって……?」



 人工精霊タルパを抱える覚者かくしゃならば当然の疑問だ。


 どれだけその存在濃度が高くなろうとも、人工精霊タルパは精神体であることに変わりはない。つまり精神むこう側から触れられることはあっても、肉体こっち側から接触することはできない……通常の手段では。


 そんなことは結紀も知っている。

 むしろ、自身が物理干渉を可能とする人工精霊タルパ、法身を抱えているからこそ、他の覚者よりもその事実を身近なものとして感じている。


 だが、それが覆されたのも、変えようのない事実だった。



「分からない。分かるのは……彼女がカルマを使っていたことと、人工精霊タルパを出していなかったこと。それと、とんでもなく強いってこと」



 苦々しい思いを吐きだすように、苦悶の間から漏れてきた呟きは、この場にいる誰よりも結紀を苛んでいた。


 枝薙は言葉を受け止めきれなかったようにヨロヨロと後退ると、ベッド脇に置かれた来客用のパイプ椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。


 冷や汗の流れる顔に、命の危機に直面したかのような緊張感を溢れさせ、見開いた瞳はジッと一点を見つめ微動だにしなかった。

 手で口を覆い、その下から現状を整理しようとしているのか、内容は聞き取れないほど小さな独り言が漏れ聞こえてきた。


 思考に一区切りがついたのか、急に顔を上げた枝薙は、指を一本立てながら徐に口を開いた。



「一番考えられるのは、人工精霊タルパを自分に重ねていた、かな。これなら本人が掴んだように見えて、その実、人工精霊タルパに掴ませていたってことだから不可能じゃない。でも……」


「やる意味がない」



 結紀の言葉に頷き、枝薙は続ける。



「そう、意味がない。むしろ自分から人工精霊タルパに近づくなんて、自分の身に危険が及ぶ行為だ。

 それに人工精霊タルパ同士なら法身じゃなくても接触できるとはいえ、君のが法身である以上、同格の人工精霊タルパじゃないとおかしい……でも、それなら彼女がDクラスにいるはずがない、と……」


「そういうことだ。それに人工精霊タルパを顕現させていたなら、同じ覚者の俺たちがなんかしらの感覚で知覚できたはずなんだ。

 だから分からないんだ……なんで彼女がDクラスなのか」



 言葉を重ねるほど分からなくなっていった。

 泥沼にはまったかのように鈍くなる思考に、頭痛さえ覚え始める。


 二人はまたも綿雪の重たく降り積もってきた静寂に、押し潰されるような息苦しさの中に沈んでいき……沈み切る瞬間に聞こえてきたユクの声に現実に引き上げられた。



「じゃあやっぱり業ってことじゃないの? ほらっ、なんかあったじゃん。人工精霊タルパにも効く業……なんだっけ?」



 今の空気には似合わない、どころか真っ向から敵対するような、明け透けに快活な声音が響いた。


 ユクは難しそうな顔で眉間にしわを寄せながら、記憶の底から記憶を絞りだそうと苦心していた。

 うんうんと、思念波を送るような音を漏らしながら唸る姿に、ココは小さくため息を漏らし、続きを引き継いだ。



「……精神干渉系カルマ精神感応テレパシーが主要事例」


「そうそう、それそれ! てれぱしー? ってヤツなら業だけでも人工精霊タルパをやっつけられんでしょ? じゃあ、それなんじゃない?」



 重苦しい空気を吹き散らすような会話に、知らず知らずに肩から力が抜けていた。


 結紀と枝薙は顔を見合わせながら苦笑を零す。


 空気を読まないと言えばそれまでだが、それが欠点になっていないのは、彼女の性根から滲む雰囲気が、まるで濁り感じさせないほど爽やかだからだろう。


 それが、覚者が集まるこの島において、どれだけ得難いか……。


 その事実を噛み締めると、結紀は自然と頬が緩むのを感じた。



「いや、それも違うと思う」


「なんで?」



 空気が変わったことなどまるで感じていないように、いつも通りのユクの様子に、結紀は体を僅かに返し、柔らかな笑みを深めて答えた。



「精神干渉系の業が人工精霊タルパに対して有効に働くのは事実だけど、それはあくまでも攻撃としてなんだ。あとは操るとか。

 あんな風に手で首を締めあげたり、叩き伏せるような真似は人工精霊タルパに干渉しても無理かな」


「そっか~。イイ線いってるとおもったんだけどなぁー」



 悔しそうに唇を尖らせるユクを、結紀は微笑ましそうに眺める。


 話は振り出しに戻ってしまったが、それでも頭を痛めるような話し合いにならないだけで、精神的に十分楽になっていた。


 さて話を戻そうと、結紀は枝薙に視線を向けなおし――、



「――いや、僕もいい線いってると思うよ」



 思いがけない言葉が聞こえてきたのに目を丸くした。


 驚きと疑念が渦巻く瞳で凝視してくる結紀に、それを正面から見返せるほどの自信がなかった枝薙は、視線を下に向けて言葉を続ける。



カルマ人工精霊タルパも、元を辿ればManasマナスに通じる。

 事実、どんな種類の業でも、ある程度はタルパに対して有効だよね? つまり業にも存在濃度が存在していて、互いに干渉する力は持ってるんだと思うんだ」


「つまり?」


「つまり――」



 一度言葉を切り、枝薙は力を込めて自身の導いた結論を吐きだした。



「――彼女はカルマに特化した覚者なんじゃないかな?」


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