20話



「あ゛ぁあ゛あぁぁあああッ!?!」

『ガァアアアァアァアアアッ!?!』



 結紀ゆうき人工精霊タルパの悲鳴が重なった。


 何が起こっているのか、二人に分かるはずもない。ただ、自分たちの最も重要な何かが、己を形作っている根源的な何かが、二人を繋いでいる何かが。


 侵され、汚され、殺されようとしている。それだけが確かなことだった。


「――クッ……ククッ、クハッ! ハッハッハッハッ!!!」


 しかし、二人分の慟哭は、たった一人の狂笑に掻き消される。


 ――見下ろし、蔑み、嘲笑う。


 むくろに囲まれ、地獄の主は生者を嗤う。その瞳は、この世の悪徳をすべて詰め込んだかのように、暗い喜びに満ちていた。



「ハハハハハハハハハハ――――――――――――――――――――――ッ!!!」



 笑声は学園中の隅々まで木霊した。


 それは産声でもあった。ここに、学園を、島を、世界を、恐怖で埋め尽くす悪逆があると知らせる、地獄からの啓示だった。


 その時、声を聞いた者は皆、おのずから運命さだめの手を取った。


 もはや希望はない。


 多くの年月と犠牲を積み重ねた果て、絶海の孤島に築かれた砂上の楼閣、うつつの彼岸、覚者かくしゃの孤独と平穏の島。


 それは、今この時を以って儚くも幻想と消える。

 それが、誰であろうと止めようのない、真実だった。



「――堺昧弥さかいまいやぁ!!」



 ――しかし、それと知って、座して待つばかりが人ではない。


 なんの前触れもなく、まるでその場に空中から染みだしてきたかのように、声の主は忽然と昧弥の背後に現れた。


 その声は壮絶な怒りに震え、声音だけで人が殺せそうなほどの殺意を感じさせた。

 しかし、名を呼ばれながら、昧弥は返事をするでも振り返るでもなく、鎖を掴んでいるのとは反対の手を背後に向かって無造作に振り抜くことで答えた。


 ――ガギィイィィッ!


 巨大な鋼鉄同士をぶつけ合ったような、耳障りな爆音が響いた。


 しかし、派手な音で周囲を揺るがしながらも、衝突した当人たちは掠り傷一つ負うことなく、両者の間で不可視の力が互いの威力を消滅させ合っていた。



「チィッ!」



 襲撃者は盛大に舌打ちをしながらも、このままで拮抗するばかりで決定打にならないことを、僅かなりにも冷静な部分の残った思考で弾きだす。


 すぐさま拮抗している腕から力を抜き、押し込まれる勢いに逆らわず吹き飛ばされるのを利用して距離を取った。


 空中でひるがえり、危なげなく足から着地する。


 その間も一切昧弥から視線を切らすことなく警戒したが、当の本人は未だに背を向けたまま、チラリとも視線を向けることはなかった。


 湧き上がる憤怒をなんとか抑え、襲撃者はその背に向かって声をかける。



「堺昧弥。これはどういうことだ? 私は確かに、お前が学生として学園で過ごすと、そう宣言したと思ったんだが……間違いだったか?」



 その声に、昧弥はようやく半身だけ体を向けた。


 悪辣な笑みを浮かべ、肩越しに視線を向けた先には、つい十分ほど前に対面していた顔が冷え冷えとした殺意を滲ませていた。



「何も間違ってなどいないとも、道祖夕里みちのやゆり。私は正しく、ここの学生だ」


「……なら……なら! これはいったいどういうことだッ!?」



 道祖は腕を振り、廊下に広がる惨劇を指し示す。昧弥を除き、死屍累々と転がる生徒たちの残骸。これを見逃して何が教育者か。


 荒く息を噴きだす相貌に、昧弥は鼻で笑って答える。



「――は。何を言うかと思えば……あまり退屈させてくれるなよ、道祖夕里。

 貴様の目は飾りか? ならばそんなところに晒しておく必要もあるまい。額に入れて、学園長室の壁にでも飾っておいたらどうだ? 過去に囚われる貴様にはお似合いだろう」


「なんだと!?」



 学園長室では抑え込めていた怒りだが、この惨状を前にして冷静になれるほど道祖は感情を切り捨てられてはいなかった。


 そもそも、彼女もまた人工精霊タルパを抱える覚者かくしゃの一人。内に秘める獣性は凄まじく苛烈であり、きっかけさえあれば理性など容易く食い破る。


 今まさに、そのケダモノが鎖を引き千切ろうと、顔を半ばまで覗かせていた。


 端的に言って――ブチ切れそうだった。


 ギリギリと軋む音が聞こえてきそうなほど、道祖はせり上がってきた怒りが零れないように歯を噛み締めていた。


 その様を横目に、昧弥はさらに嘲笑を深める。



「吠えるな、下作が。言葉も解さない畜生に堕ちるというなら、教師などという仮面は脱いでからにするがいい。

 畜生に説教を浴びせられるなど、想像しただけで反吐が出る。不愉快極まりない。まだ豚のクソを頭から被る方が幾分かマシというものだ」


「ぐっ、ぐぅぅ……すぅ……はぁ」



 額に浮かんだ青筋が弾け切れなかったのは、昧弥の言い分に多少なりとも正当性を見出したからだった。


 道祖は大きく深呼吸を二度繰り返し、暴れそうになる感情をなんとか鎮めた。



「ふぅ~……いいだろう。お前の言い分を聞こう」


「言い分を聞こう? 随分な物言いじゃないか。物の訪ね方も知らんのか?」


「ぐっ、ぎぃ……ああ、クソッ! 分かった、分かったよ!

 私が悪かった!! 決めつけで動いていた、認めるッ! だが今は、とにかく状況を把握したい。だから何があったか教えてくれ!」



「教えて?」

「教えてくださいッ!!!」



 はぁーはぁー、と切れ切れに息を吐きだしながら、道祖は先ほどまでの怒りとは別の理由で顔を赤く染め上げた。


 その様を存分に楽しみ、クツクツと喉を鳴らして笑いながら、昧弥はようやく体を返して正面から道祖を見た。



「言葉と立場は正しく理解しないとな? 貴様も私も」


「ああそうだ、その通りだッ! で!? 何があった!?」



 道祖は戦闘態勢を解き、ガシガシと後頭部を掻きむしり、声を荒げて先を促した。

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