21話


 昧弥まいやは残り僅かとなった紙巻を燻らせ、濃い紫煙を吐きだす。


 その独特な香気に顔をしかめながら、自分も煙草を持ってくれば良かったと道祖みちのやは恨めしく視線をやった。


 その視線を受け、昧弥はさらに深く煙を焚いてみせ、ニィと笑みを深める。



「クククッ、まぁいいだろう。何、簡単な話だ。

 どうにも、そこらに転がっている有象無象どもは、私が何不自由なく呼吸していることが許せなかったらしい……をつけてきたのさ。

 こいつらは親切にも、私が今後一生、呼吸に困らないようにと、挨拶もなしに頭を挽肉ミンチにしようとしてきたのだ。なら当然、私がこいつらを挽肉ミンチする自由もあるべきだ。そうだろう?」



 道祖は昧弥の言に微かに頷いて内容を咀嚼した。


 だが、これはあくまでも昧弥の言い分だ。

 そのまま鵜呑みにするには信憑性が薄い。


 しかし、この場に反論を唱えられる者がいない以上、当事者の言葉として最優先に考えなくてはならないのも事実。


 つまり、道祖が教師としての立場でここに立ってしまった時点で、どうとでも言いつくろえることだったのだ。


 分かってしまえばどうということもない話だが、自分の立場を捨てる気のない道祖は、この話を信じる以外の選択肢がなかった。



「……なるほど。お前の言い分が正しいのであれば、抵抗したのも已む無しだろう。だが! これは明らかにやりすぎだ! お前ほどの力があれば何も殺さずとも……」


「だから誰一人として殺してはおらんだろう?」


「…………は、ぁ?」



 ぽかんと口を開き、間抜け面を晒した道祖に、昧弥は鼻を鳴らして言葉を続けた。



「確かめてみるがいい。脈が止まっている者はいないはずだ」



 その言葉を最後まで聞くことなく、道祖は一番近くにいた生徒に飛びつくと、首筋に指を当てて脈を測った。

 体は異常なほど冷たくなり、指先から伝わる拍動も正常なものとは程遠いが、弱弱しくも確かに指を押し返してくる感触があった。


 それを皮切りに手早く一人ひとりの脈を図っていき、五人目の脈があることを確認した時点で大きく安堵のため息を吐いた。



「あ゛ぁ~……良かったぁ……。そうか、殺してないか……そうかぁ……」



 なんとも感慨のこもった声音だった。


 大股を開き、古臭い不良座りで座り込んだ道祖は、視線を地面に向けてもう一度大きく息を吐いた。

 俯いた顔から聞こえてくる声は、やや潤んでいるようにも聞こえる。


 その様子を睥睨しながら、昧弥は大きく鼻を鳴らした。


 どうにもこの女は、自身が教師であることに並々ならぬ執着を持っている。

 そうでなければ、あのような詭弁を受け入れ、自身のカルマを抑えることなどできるはずもない。


 その様は、自身が求めるものとは違えど、覚者かくしゃという存在が至るべき解脱した姿の一つであるように思えた。


 しかし、その姿勢は認めるところではあるのだが、この場においては感慨などなんの意味もない。


 昧弥は今一度、すでに事態が収束したかのように気を抜いている道祖に向けて、ここがどこで誰の前にいるのか、分からせるために声を上げた。



道祖夕里みちのやゆり。貴様、どうやら勘違いをしているようだな……。

 こいつらが今死んでいないというのは、今後も死なないという保証ではない。未だにこいつらの命は私の手の中にある。――この意味が分かるな?」



 その言葉に、跳ね上げられた道祖の顔には鋭さが戻っていた。


 緊張で強張った表情に、昧弥は表には出さず心中だけで満足げに頷いた。


 道祖は、そこにどのような心境があるかなど露と知らない。

 ただ、どこか試すような含みを感じさせる昧弥を見れば、このまま座っていても碌なことにならないのは火を見るより明らかだった。


 道祖は力の抜けてしまった足を叱咤して素早く立ち上がると、再びいつでも動ける体勢を取って昧弥を油断なく睨み据えた。


 ただ同時に、わざわざ忠告してくる以上、それがなされる確率は相当低いだろうとも考える。とはいえ、そんな希望的観測を疑いなく飲み込むのは致死性の毒を飲むのと変わらない。


 警戒して、しすぎるということはない。常に最悪を想定して、その十倍は悪辣な結果を生みだしてみせるのが、目の前の堺昧弥さかいまいやという鬼畜非道の在り方だということは、この数十分で骨身に染みていた。


 事実、昧弥の背後にはまだ倒れていない、しかし見るからに危険な状態の生徒が三人もいる。これを盾にでもされたら道祖は手を出すことができない。


 つまりこの場を支配し、裁可を下すのは、変わらず昧弥であるという宣言だった。



「……分かった。取引をさせて欲しい。そちらの言い値を払おう。だから三人を今すぐ開放して、他の生徒たちと一緒に救護室に連れて行かせてくれ……頼む」



 故に道祖が出した答えは、昧弥から視線を外し、深々と頭を下げることだった。それだけでも大概だというのに、あろうことか白紙の手形まで切ってみせる酔狂ぶり。


 それがどのような危険を孕むか、分からぬほど愚鈍でもあるまいに……。


 これには昧弥も開いた口が塞がらなかった。もっとも、表面を鉄皮面で覆った顔には変化など欠片も見えなかったが。

 どこまでも教師であろうとする鹿に、昧弥はある種の感動すら覚えていた。


 ――だが、『ハイ分かりました』とはいかない。


 落とし前というのは、当事者につけさせるから筋が通るのだ。

 いくら学園の長が名乗り出たところで、そこが揺らぐことはない。


 故に昧弥は分かりやすく見せつけてやることにした。



『グッ!? ギィィ……』



 昧弥は左手に握っている鎖を強引に引き寄せ、人工精霊タルパを自身の下へ平伏せさせた。


 人工精霊タルパは苦しげに顔を歪ませるが、抵抗する力はすでになく、なされるがまま昧弥の足元に結紀ゆうきと共に倒れこむ。



 そして、起き上がろうともがく人工精霊タルパの後頭部めがけて、おもむろに足を振り下ろした。



 ゴッ、と重く濁った音が響く。

 その音に耳にした道祖は顔を上げ、目を見開いた。


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