16話


 足掻くことを止めてしまった彼らに、さらなる現実を突きつけるように昧弥まいやは一歩前に出る。



覚者かくしゃ同士の戦闘でカルマがぶつかり合った場合、基本的には総合力の高い業の現象が優先され、相手の業を

 故に、私という格上に向かってくるとき、業ではなく純粋な物量による力を使用する……大きく間違ってはいない。天井を崩落させた瓦礫で圧し潰す戦術は理に適っていると言える……だが、足りない」



 言葉を切り、手立てをなくして震えるだけとなった哀れな愚者の群れを見下ろす。

 その顔には壮絶な笑みが浮かび、元より醜悪に壊し尽くされている右面を一層惨たらしく歪ませた。


 それは、僅かでも分を越えて夢見てしまった弱者を嗤う、悪魔の笑みだった。



「筋力、頑強さ、思考速度。すべて例外なく、覚者かくしゃのそれは常人をはるかに超越する。貴様らのような半端者ならばこの程度で十分事足りたろうが……私を殺したいのなら校舎ごと潰すべきだったな。

 それだけが唯一、万が一、億が一の可能性に光明を当てる足掻きだったのだが……まぁいい。

 ――では、続きだ。まさかこれで終わりなどとは言うまい? さぁ立て。浅ましく生にしがみつく様で私を愉しませろ! 貴様らに許されるのは、それだけだ――」



 強者故の余裕か……。昧弥は彼らを叩き潰すわけでもなく、まるで覚えの悪い生徒に教えを授ける教師のように策の欠点を語り聞かせ、あまつさえ発破をかけた。


 ――立て、もがけ、生き汚く足掻いてみせろ!


 明らかに自らが脅威となって蹂躙している相手へ投げかける言葉ではない。しかし、その言葉に謀略の匂いはなかった。

 昧弥は嘘偽りなく、彼らが立ち上がり、再度己に向かってくるのを望んでいた。


 しかし、その言葉に耳を傾けられるはずもない。

 彼らはただ茫然と、目の前の現実が自分たちを飲み込むのを待つのみだった。


 その様を見下げながら昧弥はつまらなさそうに眉根に皺を寄せ、煙を吐きだした。



「……折れたか。私に向かってきたときは僅かなりにも見込みを感じたのだが……道化を演じるにも相応の分があるということか。――実に下らん」



 吐き捨てられた言葉は、感情という感情がすべて抜け落ちたように冷え切っていた。その声音に同調するように、瞳からも急速に色が失われていく。


 それは路傍の小石に向けられるものと同じ無機質さに満ちていた。



「――興が削がれた」



 ゴッと、靴底が床を叩く音がいやに重苦しく響いた。


 それが合図だったかのように、ビクッと体を震わせて僅かに正気を取り戻した彼らは、視線を左右に戸惑わせる。

 ようやく自分たちが死んでいない現実に気づき、なぜ無事いるのか分からず、顔を見合わせてから視線を昧弥に向けた。


 彼女が踵を返すのを追って蘇芳色の羽織がなびく。

 その様は、まるで血飛沫が舞っているようで……。


 壮絶な予感を孕んでいるにもかかわらず、思わず目で追ってしまう蠱惑さがあった。



「――生れ、生れ生れて、生のはじめくらく」



 故に……おもむろささやかれた一節に聞き入ってしまったのも、仕方ないことだった。



「――死に死に、死んで死のおわりくらし」



 生も死も、無為に重ねるは凡夫故か――。


 嘆きにも似た調しらべは、何はばかれることなく鼓膜を突き抜け、脳髄に染み入り――、



無明むみょうついを知れ。――黒縄こくじょう等喚受苦処とうかんじゅくしょ



 無上の地獄を顕現させた。



「あ゛? ――ッ!? あ゛ぁああぁぁあ嗚呼!?!」



 静寂は破られ、悲鳴は陰日向なく、校舎の隅々まで響き渡った。


 それは粘ついたタール状の、闇そのものが燃え上がる縄となったような、目にするだけで身の毛のよだつ黒縄こくじょうだった。



「いだい゛いだいいだいぃ!」


「やだやだやだやだ! 嫌ぁあああ!!」



 いつの間にか全身を縛り上げられ、骨の髄まで焼き尽くそうとしてくる悍ましさに、彼らの体は意思を置き去りにして血と慟哭を吐きだした。


 黒縄はまるで生きているかのように彼らの動きを封じながら、指先から顔に至るまで全身を舐めるように這いずる。


 それはさながら、死体を埋め尽くすようにたかり、うごく、巨大な蛆の群れのようだった。


 動くこともできず、逃れる術もない。

 まさしく、阿鼻叫喚の地獄がそこにあった。



「ふー……」



 永遠に続く断末魔を背に、昧弥は天井に向けてゆっくりと紫煙を吐きだす。


 常人ではとても正気ではいられない、鼓膜を削り取られるような凄惨な騒音の中にいながら、昧弥はおだやかな海鳴りに身を任せるようにくつろいでいた。


 すでに彼女の頭には背後の有象無象のことなど影すらなく、これからどのよう立ち回ればことを上手く運べるか、次なる一手をどう繰るかに思考は費やされていた。



「――うわっ!? なんだよ、これ……」


「キッショ! これ絶対触っちゃ駄目な感じのカルマでしょ。キモ過ぎ、マジ無理」


「詳細が不明、退避を推奨。情弱即死亡、これネットじゃ常識」



 故に、その存在の接近に気づきながらも、取るに足らないことだと放置していた。


 加えるなら、この惨状を目にしながら声をかけてくるようなもの好きはいまいと、そう考えてのことだったのだが……その見込みは外れた。



「……お前の仕業かよ。これ」



 それは、怒りを抑えつけた、切れる寸前の糸を思わせる張り詰めた声だった。

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