06話
確かな宣言。
それは、たとえ神だとしても侵すことを許されない、絶対の意志の元に確立された縛りだった。
「十分。私は自らここを動くことをしない。その間、何があろうともだ。
貴様らが一斉に私に向かって
これならば、貴様らがいかに下作とはいえ、万が一、憶が一よりなお極小の確立の内に、私の身に届き得る一手を生みだせる可能性も
昧弥の言葉に呼応するように、幾人かの生徒の間で目配せが行われる。
次に何をすればいいか、自分に何ができるか。――どうすれば生き残れるか。
先程までとは明らかに違う教室の空気に、昧弥は最高級レストランで食事が運ばれてくるのを待っている時のように心を弾ませた。
そして、
「コイン《こいつ》が合図だ。今より弾き、床に落下した瞬間から始める。
せいぜい足掻いてみせろ――下作ども」
否応はない。
返事など初めから必要とされていなかった。
クッと昧弥の指に力が入り、弾かれたコインが甲高い音共に宙に舞う――、
「待て待て待てッ!」
瞬間、今まで沈黙を保っていた担任の声が両者の動きを止めた。
男は肉食獣から逃れる小動物のごとき俊敏さで両陣の間に駆け込み、視線を遮るように手を広げた。そして許しを請うように昧弥の前に膝を突き、涙と脂汗を滲ませながら声を大にして訴えた。
「待ってくれ! 一人二人なら壊そうが殺そうが構わない、好きにしてくれ! なかったことにだってできる! だが、クラス丸々一つ潰されちゃあどうしようもない! こいつらは生徒ってだけじゃない、分かってるだろう!?
頼む、どうか足元のそいつだけで穏便にすまぜぇッ!?」
しかし、その行動を起こすには
「控えろ、下郎。すでに決定された
まるでバレエのピルエットのように、洗練された
優雅に広がったスカートから覗く白のオーバーニーソックスに包まれた足は、女性らしく美しい曲線を描いている。しかし、布越しにすらそれと分かるほどの筋肉も搭載していた。
ダニアは
「ご主人様の許しもない不届き者に御前の道を遮らせる失態。いかようにも処罰を」
胸の前で手を合わせ、裁可を待つ従順な側近に昧弥は重々しく息を吐いた。
「いい、許す。……だが、興が削がれたのも事実か。
――さて、どう落とし前をつけようか」
今まさに行動を起こそうとしていた生徒たちも出鼻を挫かれ、椅子から僅かに腰を持ち上げながらも机から離れられずにいた。
教室の空気は相変わらず生徒たちを蝕み、一秒ごとに臓腑が腐れ落ちていくような死臭に満ちている。
しかし、戦火を思わせる鉄臭さは薄れ、どうにも動きづらい雰囲気が教室の端々から滲んでいた。
どうすればいいのか、昧弥から注意を切らずに幾人かの生徒が目配せを送り合う。
しかし、これからどう展開するにしても、彼らに決定権などあるはずもなく、昧弥が動くのを待つほかなかった。
昧弥は口元を隠すように手で覆い、視線を上方に向けて思考を巡らす。
「そうだな。やはりここは――」
『生徒の呼び出し行います。識別番号、五一一E〇〇一番、及び五一一S〇一三番。界昧弥、瓜月ダニア。学園長が御呼びです。至急、学園長室まで来るように。繰り返します――』
前触れなく昧弥の言葉を遮って、機械的で冷たい印象の声が教室に響いた。
「ふむ。このタイミングで呼びだしか……なるほどな」
何やら合点がいったように、昧弥は天井に視線を向けながら独り
一体どういうことなのか。一向に見えてこないが、どうやら流れは完全に切られたようだった。多くの生徒が昧弥に気取られないように、心内でだけでも安堵の息を吐こうとし――肌が泡立つのを感じた。
昧弥の、世のすべての悪辣を集め、濃縮したような気配とは違う。
今、腹の底から湧き上がってくるこの震えは、純粋な強者に対する畏怖だった。
「やんごとなき身のご主人様に対し、無作法に謁見もせず、あろうことか放送などで呼びだすとは……不敬、不敬不敬不敬! あまりに不敬ッ!
――躾がなっていませんね」
それまでの穏やかさは飾りだったのか……。見開かれ、瞳孔が絞り込まれた瞳からは、主に対して不敬を働いた敵への殺意が漲っていた。
まるで鋭い牙が並ぶ捕食者の
しかしその備えは、思わぬところからかけられた制止によって徒労に終わった。
「――ダーニャ。構わない」
誰もが予想しなかった昧弥からの許し。
しかし、ダニアはそれを素直に受け取るわけにはいかない。
「昧弥様ッ!」
主を貶められたまま黙っていたとなっては従者の名折れ。ダニアは自らの忠義を示すためにも、なお具申しようとし――、
「――私は『構わない』と。そう言ったぞ? ダーニャ」
主の眼光に言葉を切った。
有無言わせぬ絶対の威光。ダニアはすぐさま
「出過ぎた真似を、申し訳ありません」
恐怖からではなく忠義からの謝意に、昧弥もそれ以上諫めることはしなかった。
ダニアの頬に手を添え、輪郭をなぞるように滑らせてから、
「いい。私を思うが故のことだと分かっている。忠臣たろうとする従者の言葉を無碍にするほど、私の懐は狭くないぞ?」
「ご主人様ぁ……」
寛大な言葉に、ダニアは頬を染め、潤んだ瞳で主を見上げた。
死と絶望を孕んだ先程までの空気とはあまりにも
昧弥はダニアの手を取って立ち上がらせると、そのまま手を引いて抱き寄せた。
頬を一層紅くするダニアを胸に抱き、昧弥は戦意を滾らせた瞳を天井に取りつけられた丸い機器に向ける。
「ダーニャ。お前の言うように確かに不躾だ……が、せっかくのダンスの誘いだ。
――乗ってやろうじゃないか」
まるでその向こうにいる敵に対して宣戦布告をするように、歯を剥きだした壮絶な笑みを浮かべてみせた――。
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