05話


 かくあれかし。


 そう在るままに肯定してみせたダニアに、昧弥はクツクツと喉を鳴らして笑った。


 ――これこそ信者の姿だろう。


 返ってきた言葉はその重大さとは裏腹に、お茶の誘いを受けるように気軽だった。


 ただ笑っているだけで心胆を凍りつかせる壮絶さは、ダニアにしても変わらない。それでもなお、従者は変わらない穏やかさでそこにある。


 ならば、それこそが彼女の忠義にほかならなかった。


 その事実を確認してから、昧弥はぐるりと教室と見渡す。

 顔を上げている者は一人としていなかった。



「さて――では改めて。同期諸君。私の名はさかい昧弥まいや。縁あって、今日よりこのクラスに転入することになった。貴様らにとっては不意なことだったろう。

 故にこのような下作が出張る事態となってしまった……考える間もなく、な。これは私の失態だ。これではさすがに貴様らも、到底納得がいかないだろう」



 昧弥は腕を組んだままぐりぐりと足をにじり、一人ひとりに語りかけるようにゆっくりと言葉を紡いだ。



「そこで、だ」



 まるで言葉を知らない幼子に話しかけるような丁寧さが、余計に恐怖を掻き立てる。


 時間をかけて、指先から少しずつナイフで削ぎ落されていくような感覚。

 少しずつ少しずつ……命のたもとまでにじり寄ってくる。



「貴様らに選択肢をくれてやる――選ぶがいい」



 しかし、この場にはもう、悲鳴を上げる者も発狂する者もいない。


 ただ息を潜め、身を隠し、鼓動すら止めるかのように――自ら生者であることを捨てた塵芥が教室の隅々に吹き溜まっているのみ。



「二つに一つだ」



 ひれ伏しうずくまる不良の頭を容赦なく踏みにじり、教室の中心にて仁王立つ姿は、まるで沙汰を下す閻魔ようだった。


 万象の一切が自身にひざまずくは、太陽が世を照らすのを誰も疑うことがないように、その輝きすら宇宙の深淵の前には儚く沈むだけであるように、そうあることが世界の定めたことわりであると悟らせる佇まい。


 ――誰が支配者であるか。


 説明は不要だった。


 この場にいる全てが、語られるまでもなく理解した――否、させられた。



「私に殺されて死ぬか。私に使われて死ぬかだ」



 故に、その言葉に異を唱える者はいない。沈黙こそ彼らの答えだった。

 少女の形をした悪逆に、ただ首を垂れるのみ。

 ただ、皆もの言わぬまま、一つの思いで心中を埋め尽くしていた。


 世の多くの事象は、時間の経過によって移ろいゆく。それが良しにしろ、悪しにしろ、時間は等しく、すべてを流してくれる――彼らはそれを願った。


 だが、未だに光明は見えず、目の前に広がるのは底の知れない絶望のみ。この教室は、時間すら凍りついてしまったかのように寒々しい静寂に支配されていた。


 昧弥は沈黙を守り続ける生徒らを改めて一瞥し、小さく首を傾げた。



「……これはどういうことだ、ダーニャ。私は確かに選択肢をくれてやったはずだが……返答が聞こえない。

 わざわざ私が自らの手間を惜しまず、指針を二つに、たった二つに絞ってやったにもかかわらずだ。なぁ、ダーニャ」



 理不尽とはこれこのことを指す言葉だろう。

 あまりに横暴……そして容赦などあるはずもない。


 元より出来損ないの自分たちに、ここでの自由などありはしなかった。

 しかし、たとえそうだとしても――いやだからこそ、己というものだけは手放さなかったはずなのに……。


 己たる最後の一片すら捨てた彼らに、安息は訪れない。


 それを示すように、彼女の足の下では、すでに痙攣すら満足にできていない不良が静かに横たわっている。その姿は、未来の自分たちを暗示しているかのようだった。


 押し黙るしかない生徒たちに対し、困り果てたとでも言いたげに、腕を組んだまま肩を竦めてみせる昧弥。

 ダニアは彼女の後ろで微笑みながら、幼子の様子を語る保母のような優しさを、そのたおやかな声に滲ませて答えた。



「皆様、ご主人様の温かなお心遣いに触れ、感動のあまり震えて声も出ないのでしょう。そして、同時に弁えることを知ったものと存じます。

 ですので、ご主人様がお決めになられればよろしゅうございます。どのような沙汰であっても、皆様、粛々しゅくしゅくと受け入れることでしょう」


「……なるほど。この沈黙は、畜生だからではなく、人だからこそだと。ダーニャ、お前はそう言いたいのだな?」


「はい。左様に御座います」



 手を下腹部の前で重ね、優雅に一礼してみせるダニアに、昧弥はフッと鼻で笑う。


 どうにもダニアは、ここにいる畜生どもをに使いたがっている、そういった節が垣間見えていた。


 主人としては最も身近な従者の、我が儘の一つくらいは聞き入れてやるべきだろう。しかし、それが自分の主義から離れているのもまた事実。

 そして、このまま彼らを従えたとして、到底使い物にならないのは明らかだ。ならばいっそのこと、ここで終わらせてやるのが人情というものだろう。


 だからこそ選択肢を与えたわけだが、それも不発に終わっている。だが昧弥にとって、過程がどうであれ、最終的な一歩を自ら踏みださせることこそ寛容だった。


 昧弥は足の下で伸びている愚物を見下ろしながら、しばし考えを巡らし、ニィッと歯を剥きだして笑った。



「……ふむ。そうだな。なら、こういう趣向はどうだ?

 これより五分おきに、私は貴様ら全員を一人ずつ殺していくこととする……だが、私はこれでも上品でな。食べかけを放り、あれもこれも手を着けるのは品がない。何事もマナーというやつは大切だ、そうだろう?

 故に、手を着けたモノから順番に片づけていくとしよう。つまり、まずは私の足元で伸びているこいつだ」



 昧弥が見せつけるように爪先で不良の頭部を小突く。僅かに漏れ聞こえてきた呻き声が、まだ彼がかろうじて生きていることを知らせた。



? つまり貴様らがこいつを守ることができれば、私が他の者に手を出すことはない。加えて時間制限も設けよう。あまりダラダラと食事に時間をかけるのも、これもまた優雅さに欠ける。

 そうだな……これより一時間。これを過ぎた場合、それ以降に私が直接手を下すことはないと約束しよう」



 この段階になってようやく、幾人かの生徒が頭を垂れたままだが、顔色を窺うように上目遣いで昧弥へと視線を送った。


 その僅かだが確かな変化に、昧弥は一層笑みを深めた。


「ああ、疑う必要はない。これは私の人工精霊タルパに立てる誓約だ。私を前にして黙している勤勉な諸君らならば、これが何を意味するか……説明するまでもないな?

 だが裏を返せば、今この瞬間にも私が力を込めてこいつの頭蓋を踏み砕けば、その瞬間終わることにもなってしまう。それでは始める前から結末が決まっているようで面白くない。



 故に――十分だ」


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