第9話


ユーマさんはゆっくりと跪いて…口から真っ赤な泡をブクブクと吐き出す。その背中からカナエちゃんが降りて、一歩一歩後ずさる。

そこにヒノトが駆けつけて、カナエちゃんを抱きしめて…私を見る。

私と、私らの後ろに立つ幽霊…『外部の人間』の女の人を見る。

「…誰ですか」

…私の声は、やっぱり落ち着いていた。

内心すごく焦って、驚いて、たぶん怖くて…なのにそれが声には表れない。私は幽霊女と向かい合う。

…女の人は肩を竦めた。

「…子供のくせに随分冷静だな。それもウイルスによる脳内麻薬の過剰分泌のためか」

脳内麻薬…何言ってるかわかんないけど、たぶん、私らを化け物って呼んでるのは確かに伝わる。

女の人はゆっくりこっちに向かってくる。

私らは後ずさる。

「…ヒノト、逃げよっか。鬼ごっこ、本番っぽい」

「そうだな…」

ヒノトがカナエちゃんを背負う───


女の人が走り出した。

私らも走り出す。

すぐ角を曲がって、またすぐ角を曲がって…とにかく、真っ直ぐ立ち会わないようにジグザグ曲がりながら、ヒノトたちの家を目指す。

真っ直ぐになったら、またナイフを投げられかねないからね。

「ユーマさん、死んだのかな」

「首ってかなり脆いらしいぜ…あの血の量で生きてる方がおかしいだろう」

「カナエちゃんに怪我はない?」

「大丈夫だ」

「…やばいね、これ」

「やばいな」

「…めっちゃ楽しい」

「…お前は本当に、」


ヒュッ。

私らの真横を、またナイフが飛んでいく。

走りながら振り返る。のっぺり頭がこっちに向かってくる…その手には数枚のナイフ。

「ヒノト、曲がろ」

「だめだ。そこを曲がったら行き止まりだ」

…と言われて、かなりまずいことに気づく。

すぐそばの曲がり角は行き止まり…では次の曲がり角はというと、信号の交差点。だいぶ離れている。

…これ、しばらく真っ直ぐじゃん。

ナイフが飛んでくる。

ヒュッ。

私の頬を掠める。

「ちょ…やめてよ、まじで」



…笑えてくる。

死ぬ。殺されるよ。まじで。

私ら、まだ子供なのに。ただの小学生だよ。

基本毎日いい子にして生活していたし、テストで百点だって取ってんだ。何も悪いことなんかしていない。図書委員の仕事だってちゃんとやっていた。

ヒノトだって、バカだけど…正義感はあってさ、喧嘩を止めたりとか、掃除を頑張るとか、そういうことちゃんとやってたの、知ってるよ。

カナエちゃんは本当にいい子だよ。部活動で活躍して、ヒノトと違って頭も良くて、しかも可愛いじゃん。一体どこに非があるっていうのよ。

ユーマさんだって、私らを守ってくれたじゃん。すごく頼りになる人で。小学生らしくないあの顔立ちとかちょっと苦手だったけど…でも優しい人だって、ちゃんとわかった。

イズミちゃんだって、生真面目で、本が好きで、人のためになることを一生懸命探して頑張っていて。

ショウくんだって、何にも悪いことしていないのに家族を失って、あまりにも可哀想なのに、それを堪えて生きていたんだ。

サヨコ先生だって、優しくて、面白くて、案外美人だったし…人気があった先生だったんだよ。

私ら、何をしたの。

私ら、何が悪いの。

私ら、何で殺されなきゃならないの。

ウイルスって何。

むしろ、あんたらって、ナニ?



「がッ…!」

「カナエ…⁉︎」

…ヒノトの背中で、カナエちゃんがカエルみたいな声を上げた。

ヒノトが立ち止まる…私がカナエちゃんを確認すると、カナエちゃんの背中にナイフが刺さっていた。じわじわとカーディガンに血が広がっていく。

「カナエ…み、ミドリ、ナイフを抜け!」

「いや…抜かない方がいいと思う。そんな暇もなさそうだし…だよね?」

…私は振り返る。

頭がのっぺりした女の人がこっちに向かって歩いてくる…その手には、もうナイフは握られていない。私は笑う。

「ぜんぶ投げちったんでしょ?」

「…喋るな。飛沫感染なんか御免だ」

飛沫感染?

咳とかくしゃみとかで感染するアレ?

はは。本当に私ら、ウイルスなんだ。

「はは」

私は笑う。

「アッハハ」

爆笑する。

「アーッハハハ、アハハ、ヒャハハッ!」

わざと笑って、唾を吐き散らしてやる。

そしたら女の人は強く、口元のマスクを手袋をはめた手で押さえつけて…それが面白くて、私は笑いながら女の人に向かって走って行く。

「ひゃあっはっはははっ‼︎」

それからポケットに手を突っ込んで…


あの時。

先生の目を盗んで、盗み取った物。

こいつらが使っているものとほとんど同じ形をしたソレを…ナイフを女の人に振りかざした。

「ヒノト、逃げて‼︎」


ザクッ…って、なんか、嫌な手応えがした。

にんじんとかじゃがいもとかを切るのとは違う…どっちかっていうと、お肉を切った時と似た感触。

私に跳ね返ってくる赤い水滴。

私、刺したよ。

女の人が、ゴーグル越しに目を見開く。

「…ガキが、何でそんなものを…」

「何でかな?」

ずるっ、とそれを引き抜いて、もう一度、女の人の体の、適当なところにぶっ刺す。

ザクッ。

けれど今度の手応えは甘い。

途端にお腹にすごい痛みと衝撃が走って、私は後ろに吹っ飛んだ…たぶん、蹴られた。

ナイフが手からすっぽ抜ける。カランカランと金属音が遠くに離れていく。武器はなくなった。


私の上に頭がのっぺりした奴がのしかかる。

その手には、またナイフが握られている。

あ、ちがう…女じゃない。今度は男だ。男の人は無言で、冷ややかな目で私を見下ろして。

「……」

…やば。

終わった。

あー。

どうしよう。

ヒノトとカナエちゃんは。

私は目だけで…さっきまでヒノトたちが居たあたりを確認する。逃げたかな。逃げてくれたかな。逃げられたかな。

…ああ。

「あは…」

笑えた。

よかった。居ない。

逃げてくれたんだ。

大成功だ。

「アハハ…」

私は笑って、男の人に…本物の人間に微笑んでみせた。精一杯女の子の顔をして、媚びを売って、猫撫で声で、懇願する。

「…ねえ、見逃し、」


喉にナイフが刺さった。

一瞬で息ができなくなる。

口からあっついものが溢れ出て。

でも私、最期まで、笑ってやったんだ。

その血の飛沫を、その男の顔に吐き散らしてやったんだ。感染しちゃうかもしれない飛沫を。血のゲロを。いっぱい。いっぱい。

アハハ! アッハハハ! ヒャハハハハッ!


ザマーミロ‼︎


×


は、最期まで無邪気に笑い、俺の顔面を血だらけにして息絶えた。防具をしていなければ確実に感染していただろう。なかなか、小賢しい子供だ。

「…884、遅い」

…呻くように310が呟く。

俺は呆れた。

「気を抜きすぎだ、310…ウイルス感染者は脳内麻薬の、」

「異常者ばかりなんだろ…そのガキは特にいかれていたな」

…JJIIウイルスの症状はまだ未解明のものが多い。軽い風邪のような症状の出る者も居れば、アナフィラキシーで死亡する者も居る。だが基本的には、奇形…頭部から獣耳が生える変化が主な症状。

それと、最近解明された…特に新たに生まれてきた十代そこそこのアポミムシ奇形児が持つ症状、脳内麻薬の過剰分泌。

この症状を持って生まれたアポミムシは、極限状態になっても取り乱すことなどはなく、むしろ興奮、或いは異常なほど冷静でいられるという結果が出された…隔離され、駆除される感染者の子供が激しく笑い出したり、または泣きもせずに、死ぬ間際まで真顔で居た、と医療関係者から聞かされた。

やはりアポミムシは不気味だ。

「…俺たちは早急に帰還、消毒を受けることだ。特にお前は感染者に刺されたんだ、既に体内にウイルスが侵入している可能性がある」

「クソ、虫如きが」

310は刺された箇所を押さえながら、俺の足元に転がる奇形の少女の、頭部から生える耳を踏みつけ、地面に擦り付け、引きちぎろうとする…ブチ、と裂けるような音がしたが、少女が目を覚ますことはない。

血のあぶくと、笑い吐き散らした血液の飛沫にまみれた少女の死顔は…あまりにも無邪気な笑顔だった。

ナイフを隠し持っていたことを除けば、その顔も背丈も、ただの子供だ。

子供。

小学生。

十歳くらいか。

「…応援を呼ぶぞ。逃げた虫を駆除する。腹が立つ。いっそここら一帯の虫どもを全て、」

「いずれそうしなければならないだろう…だがそれはミサイルに任せればいい」

「悠長なことを」

「逃げた子供たちは…今日のところは見逃してやろう。どうせ生き残ったとて、あの子達が今後、この街で幸せに暮らすことは不可能だ。じゅうぶん追い詰めたさ」

「884…ひとつ尋ねたい」


310が俺をゴーグル越しに睨みつけた。

「お前、何故虫どもにそんな慈悲をやる?」

「…慈悲?」

「虫どもは早急に全て駆除するべきだ。何故見逃す…それに、虫に対してのは何だ」

…虫。

感染者は害虫扱い。外部が決めたことだ。アポミムシ奇形人と俺たち人類は違う…そう区別するために、差別するために、偉い奴が決めた呼び方だ。

…だが、この子らに、あの子達に、そんな害悪はあったか。

確かにこの子は襲いかかってきたが…一方ではこの子の正当防衛であって。友人を逃がすための必要な手段だったわけで。

…未だ感染者からの、正当ではない暴力事件が起こったことはない。今の時点で外部、俺たちの方は、この街から攻撃を食らったことはない。

脳内麻薬過剰分泌の奇形児達が大人になれば、もしかしたら戦争沙汰になるかもしれないと予想はされている…いずれはアポミムシを全て駆除しなければならない日が来るかもしれないが。

今は。

この子は。

あの子達は。

「…310」

「何だ」

「…この街には、俺の」


「俺のお袋が居るんだよ」

「お袋?」

「ああ…お袋もいつか、ミサイルとかで駆除されちまうのかなって思うとさ…なんか」

「お袋さんも感染者なのか」

「そうだ」

「だったら…割り切るしかないな」

「…そうだよ。そうだけど。なんか」

…そういえばこの子。


「なんか、なあ…」

この子…母さんの顔に似ている気がする。



これは単なる人種差別だ。

この子達はまだ俺たちと何にも変わりない。

頭に耳が生えただけの、

同じ、人間のはずだ。

まだ。

まだ、たぶん、同じ人間なんだよ。


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