第8話
…それを見ても、見てしまっても、やっぱりどうしてか、何の感情も抱かなかった。
二階の廊下に、血だらけのサヨコ先生が倒れていた…その近くには変な形の分厚いブーメランみたいなものとか、コロコロした小さい鉄の塊とかがいっぱい散らばっていた。
「…先生、死んでるの?」
声をかけてみても答えない。ヒステリックな声もないし、おちゃらけて「冗談ですよ」って顔を上げることもない。
青白い顔で眠っている。
ここに居るのに、ここに居ない。
…イズミちゃんとショウくんは完全に潰されちゃって、死んだ姿は見ていない…だから実感できなかったけど。
サヨコ先生は形が残っている。
形が残って死んでいるのに。
…変なの、私。
「…私、ほんとにヒトデナシなんだね」
「大丈夫だ、ミドリ。俺も何が何だか」
「カナエちゃん、大丈夫?」
「…大丈夫だ。泣きもしねーよ。さすが俺の妹だ」
…カナエちゃんに振り返れば、ヒノトの後ろで小さく頷いた。でも顔色は良くない。バカヒノト。カナエちゃんは絶対に無理をしている。
…ヒトデナシ。
ヒトデナシなんだ。
私らがこんなにも、仲間が居なくなったことに無感動なのは、ヒトデナシだからなんだ。
本物の人間じゃない。
本物の人間だったら、泣いたり叫んだりしたのかもしれない。私らにはそれができない。きっと、たぶん、ヒトデナシだから。
…私は、サヨコ先生の側に落ちていた、分厚いブーメランみたいな物に触れようとした。けど、ユーマさんに肩を掴まれて止められる…逆にユーマさんがそれを拾い上げて、慣れたような手つきで何かを確認する。
「…弾は使い切ったか」
「何、その変なの」
「…環境汚染の原因の一つだ。歴史の授業で習っただろう。昔の戦争でこの武器が多く使われて、環境汚染を引き起こし、太陽の光を強くさせた」
そしてウイルスが生まれた。
そして私たち奇形が生まれた。
…昔の戦争の武器をサヨコ先生が使ったなんて驚きだ。環境汚染の原因なのに、いい大人がそんな物を持ってて、しかも使うだなんて、教師としてどうなのよ。
「…やはり、外部の人間は近くまで来ていたのか」
「サヨコ先生は、そいつに…殺されたってことか?」
「恐らくな…とにかく急ぐぞ。奴らが戻ってくる前に、この辺りから離れなければ」
ユーマさんが階段を降りる…私たちも後を追う。
サヨコ先生を放ったらかしにして。
「ヒステリックな先生だったけど…授業は退屈しなかったんだよね。教え方が上手って言うの?」
「何だ、ミドリ…悲しいのかよ」
「さあ? 何とも言えないわ…今はそれどころじゃないのかもしれないって思うと、悲しいも寂しいも、何にも…」
「…まあ、俺もだ」
「ヒトデナシだね、私ら…でもカナエちゃんはそうでもないっぽいね」
「…そうだな」
まだ外は夜だ。
ミサイル被弾で非常灯すら消えてしまった真っ暗闇で、私らは何もかもを認識できる。
道も、影も、顔色も…無言のまま歩くカナエちゃんがずっと真っ青な顔をしているのもはっきり見える。
暗くても視界の判別がつく。
それも奇形の特徴なのかな。
…化け物。虫。ヒトデナシ。
…うるさいな。
×
昇降口に出たところで、カナエちゃんがその場に崩れた…呼吸は乱していないけれど、全身がふるえてもう立てないようだった。
「カナエ、大丈夫だって。家に帰るだけだから」
俯いたカナエちゃんは何も言わない。声すら出ない。力も入らない。あまりにも怖くて。理解できなくて。そんな自分と戦って。
…参ったな。励ます言葉なんて浮かばない。
これが本来の反応なんだ。怖くて動けやしない。泣きたくて堪らない。死ぬのは怖い。それが普通なんだ。
それがどうして、私にはわからないのかな。
…ユーマさんがカナエちゃんを抱き上げる。背が高くて力もあるユーマさんは、軽々とカナエちゃんを背中に乗せた。
「…大丈夫だ。走ればすぐに着く。いつもの通学路を通るだけだから、なんてことはないだろう」
ユーマさんが今までにないほど優しい声でカナエちゃんに言う…カナエちゃんはユーマさんの背中に顔を埋めて、小さく頷いた。
「…怖ければ寝ていればいい。大丈夫だ」
「……はい」
…一言だけカナエちゃんが呟いた。
そう。夜だもん。私らは子供なんだから、本当はもっと寝ていたいんだから。まったくミサイルなんて物騒なもんで叩き起こしやがってさ。迷惑だ。
…靴を取り替える暇はない。避難訓練と同じように、私らは上履きのまま外に出る。
「…うわ、すげ…」
空が変な色をしていた。
真夜中の真っ暗な空なのに…少しオレンジがかっている。漂ってくる濃い煙のにおい。街の中に炎のようなゆらめく光と黒煙が見える。
「すげえ…本当に戦争みてーだ。何発降ったんだ…」
「私ら、まじで生きて帰れるの?」
「よせ…カナエが不安になる。行くぞ」
カナエちゃんを背負ったユーマさんが歩き出す…ヒノトの家に向かうなら、正門じゃなくて、職員玄関の方の門から出るのが最短だ。
…その門は破壊されていた。拉げていた。
「…これも外部の奴ってのがやったのかな」
「恐らくな…」
まあお陰さんで、鍵が閉まっていても、僅かに開いた隙間から出ることができた。
門から出て、交差点のあたりまで走る。
ユーマさんがちらちらと周囲を確認して、安全を確認すると、また次の角まで速足、または小走りで移動する。
…なんか楽しい。
「鬼ごっこみたいじゃね?」
「こんな時に何だよ、呑気に」
「だって、幽霊に捕まったら殺されるかもしれないんだよ…うわあ、こんなリアルな鬼ごっこしたら、もうみんなと遊んでも楽しくないかもしんない!」
「遊びじゃないんだよ、バカ」
…そう言うヒノトだって、ちょっと笑ってんじゃん。
極限状態ってのは人の頭を狂わせるらしい。
とっても怖いのに、とっても楽しい。
信号は停電して赤も青も付いていない。車だって走っていない。だから私らは、信号なんか当然無視して、堂々と道路の真ん中を走ったり、斜め横断したりして…悪いことを平気でやる。
ユーマさんが静かにしろって囁くけれど、もう聞いてらんない。知ったことか。込み上げる笑いを堪えられない。
「アッハハ、なんか、すげえ悪ガキになった気分〜!」
「お前は元々、悪ガキだろうが!」
ヒノトと私は戯れあう…ユーマさんが何か言ってる。聞こえない。知んない。楽しくて堪らないんだ。私らが人間じゃない。ウイルス感染によって生まれた化け物。駆除されるべき虫。
だから何だ。
私らは普通の子供なんだ。
楽しい時に楽しいって思って笑って、一体何が悪いの?
「鬼さんこちらだぁ〜!」
「ミドリ、伏せろ‼︎」
───ユーマさんの怒鳴り声と同時、ちょうど、側溝に足が引っかかってその場に倒れた。
ひゅ、と頭の上を何かが通り過ぎて行ったような気がする。
え、ナニ?
…と、私の目の前…というか向かい合う地面に、パタパタと水飛沫が飛び散った。
暗くてもわかる。
赤色。
パタパタ。
びたびた。
びしゃびしゃ。
勢いを増す水飛沫を辿って顔を上げれば。
喉に変な形のナイフが刺さったユーマさんの、化け物のような顔と目があった。
「……カナエ…を…」
「310、B小から逃走した死に損ないの一匹を仕留めた」
女の人の声が聞こえて振り返る。
頭がのっぺりして、真っ黒のローブを着た幽霊が、私らの後ろに立っていた。
「ふ、相手は子供じゃないか」
幽霊の声は笑っていた。
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