第4話


「…何の音?」

「あ?」

「何か音しなかった?」

「気のせいだろ…やっぱ疲れてんな、お前」

「疲れてないよ…疲れてるけど」

そんな会話をしていると、教室のドアが開く…ユーマさんがご飯を抱えて戻ってきた。

「おう、お帰り、ユーマ」

「…ああ」

「メシ到着! カナエ、皿用意しろ」

「ねえユーマさん、何か変な音しなかった? パァンって、花火みたいな…」

「……」

…なんだろう。ユーマさんの様子が変だ。

小学生にしては大人びた顔立ち、いつもの無表情。

でも、今はどこか…顔色が悪いとか、目つきが悪いとかじゃなくて…例えようがない。変だ。

「あれ、サヨコ先生は? 一緒じゃないの?」

「先生は、」

「ただいま」

速足で、息を切らしたサヨコ先生がユーマさんの後ろに現れた。

「…サヨコ先生は、階段でバテていた」

「ちょっとユーマくん⁉︎」

「あはは、サヨコ先生もトシだね〜!」

「バテてません! 先生はまだ若いです!」

「私らからすれば先生も…」

…笑いながら。

気がついた。

「…先生、怪我した?」

「え…?」

その服の汚れ。

「なんか汚れてない? これ…」


「っ‼︎」

ひ、と呻くような声を出して、先生はハンカチで隠す。慌ててる? 何で?

「さっきカレーの味見した時かしらね? 何でもないわ。気にしないで…」

「カレーはさっきできたばっかり…」

「ミドリ、お前も手伝え。四年生にばっかり仕事させんな!」

「はあ⁉︎ さっきまでの心配はどこに行ったのよ、ヒノト。疲れてる私に仕事させんの⁉︎」

まったく人使いの荒い。ヒノトは指切ってからほとんど何もしていないくせに、命令口調なんかしやがって。どうして女の子の私の方がいっぱい仕事しなきゃいけないんだ!



ミドリさんが離れていく…少しほっとしながらも、私はハンカチでその血を擦り、拭い取る。

離れていても、血の飛沫は飛んできたのか。迂闊だったわ。

「…先生」

ユーマくんが低く私を呼ぶ。

不安なのかしら…私は微笑んだ。

「…大丈夫。ちゃんと急所をやったわ」

「よっしゃ〜、ようやくご飯だ! はいはい、みんな座れ〜!」

ミドリさんが呼ぶ。

みんなで席についた。


×


食べ終えたお皿を重ねて…残ったお茶を飲みながら、みんな一息つく。

「割と満腹」

「そうだな」

「で、この後は、先生?」

廊下から戻ってきた先生は、籠の中に水を溜めてきた…その中にお皿を沈めていく。

「あとは自由時間よ。好きなことをしていていいわ。眠いなら、もう寝ていいのよ」

「こんな食後の匂いの中で?」

食べている間は、ご飯の匂いは心地いいけど…食べ終えると悪臭でしかない。不思議だな。

サヨコ先生はお皿を沈めた籠を持って、また廊下に出ていく。

「お皿は廊下に出しておくけど、あとは我慢してちょうだい」

「窓開けちゃ駄目?」

私は窓に向かう…その肩を掴まれた。

ユーマさんだ。

じっと目を見られ、小さく首を横に振る…無言で「駄目だ」って言われる。ただでさえその顔立ちが怖いってか苦手なのに、口で言ってくれないから、尚更怖い。

仕方なく窓から離れ、ヒトサマのロッカーのひとつを漁る。

ロッカーの中には、みんな寝袋を用意している。それからヘルメット。ミサイル注意報が入った時のための防災道具だ。

まだ寝るには早い…私が探しているのは本だ。紙の本。私ができる暇潰しは読書しかない。なのに。

「…本がない〜」

「全部のロッカー漁ったらどうだ。一冊くらいあるんじゃねーか」

棒読みで私に言ってくるヒノトは、既にパコパコと携帯ゲームで遊んでいる。カナエちゃんはそれを覗き、指や口でサポートをしている…ちくしょうが、この兄妹。現代人! 暇知らず!

とはいえ、本当に困る。誰か一冊くらい置いといてはいないものか。この電子書籍の時代、私のような紙の本を読む6年生さんのひとりやふたり…。

「あの…」

「ん?」

…後ろから呼ばれた。

今度はイズミちゃん。

その手には二冊の本。

「良かったら、読みますか?」

「まじ、持ってきたの? 助かる、ありがとう!」

イズミちゃんが持っていたのは、児童文学と化学の本…うーん、児童文学の方が飽きなくて済みそうだけど、私は先輩だ…化学の本を借りることにした。


×


この世界は、何度か新種のウイルスが発生し、侵され、多くの死人を出し…それを乗り越えて生きてきたらしい。

今となっては風邪と呼ばれている原因のウイルスも、昔は大病として扱われ、世界を脅かした恐ろしい存在だったとか。

人類は進化した。その病に打ち勝つことのできる身体に…けれどもその進化が、また新たなウイルスを生み出し、変異させ、乗り越え、進化し…その繰り返し。

今は紫外線が強くなり、その陽に当たれば、細胞が変化して病気になる…と言われている。だから私たちは昼間、外に長居はできない。


「ムッズ…」

思わず声が漏れ出た。

化学の本は難しすぎる。いくら本を読むのが好きでも、頭の良い話を授業中以外に飲み込むことはできない。というかお腹いっぱいで頭が働かない。

クス、と隣で読書をしていたイズミちゃんが私の方を見た。

「交換しますか?」

「え…いや、いーよ。大丈夫。私がノータリンなだけ」

「これ、なかなか面白いですよ。人類の進化を参考にしている物語なんです」

そう言ってイズミちゃんが私に見せてきたページには、白黒の挿絵…その絵を見て、私は思わずあ、と声が出た。

「幽霊じゃん…」

「え?」

「いや、ね…さっきヒノトと家庭科室行った時に、幽霊を見たんだ」

「幽霊、ですか?」

「そ。ちょうどこんな感じの、頭がのっぺりしてて…イズミちゃん、幽霊怖い?」

「いえ…興味があります!」

イズミちゃんは目を輝かせる。

「きっと昔、この学校に通っていた生徒や、教師の幽霊かもしれませんね。物語に出てくる昔の人類と会えるなら、幽霊でも嬉しいです!」

「おお…あはは、なかなか、物好きだね」

そこまでの返答は望んでいなかったぞ。実際に幽霊と出くわすことより、幽霊と会いたいと言われる方が怖いな…ちょっとヒク。

「イズミちゃん…よく図書室来るよね」

「はい。本が好きなので。ミドリさんのことも知っていました。いつも図書室に居ますよね」

「図書委員って上学年しか居ないのよ。それでも本に興味ない奴は、図書委員になっても仕事しに来ないし…実際、ちゃんと図書室で働いてんの、私だけだよ?」

「最近は電子書籍ですからね」

「街の本屋も、バーコード読み取って買って、携帯で読むって…味気ねーの。私は電子書籍じゃ頭に入ってこないってのに」

「わかります! 好きな時に好きなページをすぐに開けないのとか、煩わしいですよね!」

「それを時代遅れとか言ってくる奴も、ホントむかつく!」


私とイズミちゃんは紙の本の好きな所、電子書籍の苦手な所を挙げて話し合う…イズミちゃんは生真面目な子で、ちょっと苦手なタイプだと思っていたけど、なんだ、なかなか気が合うじゃないか。

「まだこれ、読む?」

貸してもらった化学の本を見せて尋ねる。

「いえ、もう返却しなきゃいけないので。こっちの本も」

「んじゃ、私が返しとくわ。どうせ図書委員だし」

「あ、ありがとうございます」

「その代わり、また借りに来てよ。本当に誰も来ない日だってあるんだから。暇なのよ」

「はい」

イズミちゃんから児童文学も受け取る。

掌の上に並べる化学の本と児童文学。

ウイルスと、人類の進化。

「昔の人類…旧人類か。それってやっぱり、何度も未知のウイルスと戦って、この身体が進化してきたってことなのかな」


「本当に馬鹿だな…お前ら」


…教室の隅から、明らかな罵倒の言葉が聞こえた。

けれど、誰だ。ヒノトでもカナエちゃんでも、ユーマさんの声でもない…もちろんイズミちゃんでもない。

…そういえば、サヨコ先生が戻って来ない。

教室の隅を見れば。

ショウくんがこっちを見ていた。

「馬鹿だな、お前ら」

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