第3話


教室に入った途端、先に戻っていたサヨコ先生が高い声で怒鳴ってきた。

「カナエさん! どうしてひとりで出て行ったの⁉︎」

「ちょ⁉︎ サヨコ先生、急にヒスった声でお出迎えしないでよ」

「保健室に行ったそうね。一階も危険だと言ったでしょう。どうして上級生と一緒に行かなかったの⁉︎ というか、二階より下に行くなら、先生と一緒に」

「そんな話聞いてないし!」

なんだかサヨコ先生の顔つきが変だ。青ざめるほど焦っている…怒っているというより、とても不安そうに見える。

「…どしたの、そんなブチギレて?」

「いいんですミドリさん…すみません、先生」

カナエちゃんが頭を下げる…あーあ、折角慰めたのに。

「カナエちゃん、謝ることないよ。ちゃんと私と一緒に行動したんだよ。ひとりじゃなかったんだよ。何も悪いことしてないじゃん…ヒノトがヘマしたのが悪いんだよ」

じとりとヒノトを見遣る。

「何でそこで俺の名前が出てくる」

「お兄ちゃん、カッコつけようとして指切っちゃったの〜。そして妹にひとりで保健室に行かせて、先生に怒られて謝らせちゃって〜…ヒノトが悪いの。血の海になるのはヒノトの方じゃん」

「言ってくれんな⁉︎ 切ったって少し擦っただけだよ! 何も切断したわけじゃねーって」

「はいはい、ガスボンベ到着〜。お肉が傷まないうちに焼いちゃおうね〜!」

室温は暑くはないけど寒いわけでもない。ナマモノなんてすぐに傷んじゃう。こんな状況で食中毒なんか堪ったもんじゃない。

喧嘩なんかしてる場合じゃないんだよ。


×


切った具材と、炒めたお肉…そしてカレールーを入れて煮込む。これだけでもうじゅうぶん美味しそうな匂いがする。

カレーは上出来…と思って給食台を見回すと、違和感に気づいた。

「サヨコ先生、お米は?」

「え? ああ、インスタントのがあるわ」

そう言って先生は重なるインスタントご飯を指差す…いや、だから。

「それ、あっためてこないといけないよね」

「…あ、」

サヨコ先生は宙を仰ぎ、ゆっくりと額に手を当てて。

「ああ…あー…!」

項垂れた。

完全に忘れていたね、このひと。

「えー、また私が行くの?」

教室に残るのは中学年と上学年の男一人か先生だ…と、ユーマさんが言っていた。

ヒノトが私の顔を覗く。

「俺でもいいんだぜ」

「まじ頼むよ。さすがに、」

「俺が行く…」

…ユーマさんが低く呟いて、教室の出入り口に歩き出した。

「ミドリは動きすぎだ…」

「まあな」

「レンジがあるのは二階でしたね、先生」

「えぇ…だから先生と」

「じゃあヒノト、ここは任せた」

先生の言葉も遮り、ユーマさんはてきぱきと話を進める。先生の方が慌ててユーマさんを追いかけていく。

ドアを閉めるユーマさんに、私は手を振った。

「ありがとユーマさん。行ってらっしゃ〜い!」


コトコトとカレーを煮込む音だけが聞こえる。

教室は静かだ。日が落ちたから、教室の明かりがよりはっきりする。ここは明るい。

カーテンは隙間なく閉まっている。

「…なんかさ、ヒノト」

「あ?」

「なんか変だよね、先生」

「サヨコ先生のヒステリックはいつものことだろ」

「そうかな…」

違和感がある。

「…まあな」

「それにユーマさんも…任せたって、あんなシリアスに言うもんかね?」

「シリアスかどうかは知らねーが…まあな」

ヒノトがため息をつく。

「確かにユーマの奴、なんかいつも違和感があるんだよ。元々無口だけど、それ以上に、何か隠してる気がする」

「ヒノトに同性愛?」

「キモい」

「…それにあの子」

教室の隅には、これまで一度も喋らない男の子、ショウくんが居る…誰とも話さない。ちょっとしたお手伝い以外、みんなに近づこうともしない。

「あの子もなぁんか…ね?」

「…お前、疲れてんじゃねーの。それともやっぱ、初めての泊まりで要らんこと考えちまってんのか」

「まあ…今に死ぬかもしれないしね」

「縁起でもねーこと言うなよ」

ここまでバタバタしてて、少し忘れかけていた。今はミサイル注意報が発令されている。

今晩か、もしくは今すぐに…小型ミサイルが降り注いで、この学校は爆破されるかもしれない。私たちは死ぬかもしれない。

そんな危険な状況で、私たちは笑ったり、走り回ったり…そしてこれからご飯を食べるんだ。

ヒノトの言う通り、私は初めてのお泊まりで舞い上がってるのかもしれない。

カナエちゃんとイズミちゃんがお鍋を見ていた。カレーの匂いは、学校のどこまで香っているんだろう。


×


レンジが鳴り…私は温まったインスタントライスを取り出した。ちゃんと温まっているから、触ると熱い。慌てて机に持っていく。

「あと二つね」

「はい」

もう一つをレンジに入れ、スイッチを押す。

…ユーマくんは一緒に来てくれたけれど、本来なら断るべきだった。

「ユーマくん…持てるくらいの温度になったら、いくつか持って先に教室に戻りなさいね」

「さっき、どうしてミドリとサヨコ先生は一緒じゃなかったんですか」

声変わりした低い声と、大人びた口調。もしかしたらこの子は、もう私以上に大人なのかもしれない。

「…その時も、先に戻っていてと言ったのよ。たぶん、その途中でカナエさんと会ったんだろうけど」

「ひとりになるなと言いながら、何故生徒をひとりで行動させるんですか」

痛いところを突いてくるなあ。

「……身の安全のためよ」

「それはわかりますが…あんな風に先生が取り乱すのは、初めて見ました」

…怒るとヒステリックだとはよく言われる。私の悪い癖だ。

でも、こうして改めて指摘されると言うことは…ああ、もう、この子には隠し事はできないわね。

「…ミドリさんが言ったのよ。幽霊が出たって」

「幽霊?」

レンジが鳴る。

取り出す。

もう一つを入れる。

「真っ黒で、頭がのっぺりとした幽霊が校庭に居たと言ったわ」

「…それって」

ユーマくんの声色が変わる。

この子の親は、ミサイル注意報を発令する場所の関係者の子供だ。それに、お泊まりも初めてではない。

だから。

この子は知っている。

「…もし本当だとしたら、今この校舎はとても危険なの。だからなるべく静かに行動して、ここには誰も残っていないと、に思わせなければならない…上まで来られたら終わりよ」

「…そんな生易しい話なんてあり得ない。奴らは必ず上まで来ます。それ以前に、夕食のにおいで気付かれている」

「ふふ、そうね…彼らがお腹を空かせていたら、真っ先に上まで来られちゃうわ」

だから。


「だからその前に、私が見つけ出して、なんとかするわ」

「…殺すんですか」

「…そうね」


レンジが鳴る。

最後のインスタントライスを取り出した。

思ったより温まりすぎて、火傷しそうなほど熱い。私が取り落としそうになると、ユーマくんがすかさずそれを受け取った…熱くないのかしら。

「これで全部ね」

「…戻りましょう」

「あはは、結局一緒になっちゃったわね」

私たちはご飯をを抱えて職員室を出る。

慎重に廊下を見渡す。

どうか、誰とも、何とも出会さないように。

そう願って職員室の戸を閉め…───


───廊下の奥。黒い影と目が合った。


「…!」

「先生…」

「逃げて、ユーマくん!」

「はい」

ユーマくんへご飯を受け渡す…ユーマくんはすぐ側の階段を駆け上って行った。


こちらへ向かってくる影がナイフを構える。

私は上着の懐から、

拳銃を取り出す。

「…ごめんなさい」


引き金を引けば、花火のような破裂音が廊下に響くと同時、影の身体から赤いものが飛び散り…彼は倒れた。

これでいい。これでいいの。

子供達のためなのだから。

私はその場を走り去った。

…ごめんなさい。



「…こちら432。やられた。奴らは銃を所持してやがる。クソ…環境汚染が…ああ、俺はもう…クソ、応援を、頼む」

「了解」

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