第2話


6-2組の教室に戻る…待機していたユーマさんとショウくんは、黒板前に給食台を並べていた。でもお昼ご飯じゃない。夕ご飯の準備だ。

私たちは持ってきた調理道具や紙皿や紙コップを給食台に並べて、一旦伸びをする。

「あー、重かった。腕痛ったぁ」

「休んでる暇ないだろ。次は先生たちの手伝いだ。食材と簡易コンロ!」

「えー…ユーマさん代わって〜」

ちら、と背の高いユーマさんを見上げる…だけど、ほとんど無表情とも言える大人びた顔で、私へちっとも微笑みかけもせず低く答えた。

「教室に残るのは中学年と、上学年の男一人か先生と決められた。俺が動くなら残るのはヒノトだ」

「カタイ事言わないでよ。何でか弱い女の子が労働しなきゃなんないの〜…」

「お前のどこがか弱いってんだよ」

「お待たせ!」

…教室のドアが開く。先生とイズミちゃんが食材を抱えて戻ってきた。野菜の入ったカゴ、お肉のパックが数個…それからあの薄い箱は。

「うわあ、無難〜。カレーだ…給食もカレーだったのに」

「お泊まりの時はカレーに決まっているのよ。量も作れるし…ね?」

ちら、とサヨコ先生が見たのはショウくん。へえ、ショウくんはお泊まり初めてじゃないんだ。

「じゃあ2日連続でミサイル注意報が入って、2日連続でお泊まりになる子は、2日連続でカレーを食べることになるの? 給食がカレーでも?」

「その時は流石に考えるわよ…」

先生は苦笑いした。なるほど。教師と言えど機械ではない。人の気持ちは考えてくれるわけね。

人の気持ちを考えてくれるなら今晩のカレーもやめてほしい…と言いたかったけど、そんな時間もなさそうなので我慢した。私だって上学年だもん。

「でも、鍋とかじゃダメなの? 量も作れるし味変えれば飽きないよ」

「それも考えたけれど…衛生面の問題が」

「エーセー?」

「はい、文句禁止! 今日だけ我慢しなさい」

エーセーね。

「さて、次はコンロとカセットボンベを持って来ないと…」

「お手伝いします!」

イズミちゃんが手を上げる…生真面目なのはわかるけど、このハキハキした感じ、ちょっと苦手だな。

サヨコ先生が困った顔をする。

「イズミさんは残って、ここでご飯の準備をしてちょうだい」

…そう。本来ならイズミちゃんは中学年だから、教室に残っていなきゃいけない。でも、その生真面目からさっき無理を言って、先生のお手伝いをしてきた。

まあ、先生からの指示なら素直に言うことを聞くらしく…わかりました、と手を下ろした。

そして先生は、今度は私とヒノトを見る。

「貴方達、お料理が出来るのは…」

「私、」

「こいつに包丁は持たせない方がいいっすよ。血の海になります」

「ちょ、ヒノト⁉︎」

一体何の言いがかりだ。私がいつ包丁持ってバカをやらかしたって言うの。確かにこの前の合同授業の時に、油をぶちまけて火の海になりかけたけど…でもそれだけだ。私が猟奇的な行為をするだなんて、ただのヒノトの想像だ。勝手な印象だ!

…なのに先生はクスリと、私へ微笑んだ。

「じゃあミドリさん。一緒に行きましょう」

「先生、私女の子だよ⁉︎ 労働は男の役目でしょ‼︎」

「先生だって女の子よ。いいから来なさい」

「ヒノト、てめー、後で覚えてろよ〜‼︎」

「ははっ、負け犬のセリフだな!」

ヒノトの意地悪な高笑いを背に、私はサヨコ先生に引きずられる形で、また廊下に出ていくことになった。

ちくしょー‼︎


×


二階、職員室の隣…生徒が扱うには危険な道具をしまっている工具室がある。

サヨコ先生はその奥へ入り、ガチャガチャと色んな道具を漁っている。

「おかしいわねぇ…この辺りにあったはず」

「すげー雑に置かれてるね。こんなんで見つかったコンロとかガスとか使えるの?」

「先週のお泊まりの時に使ったのよ。ガスだって新しいのを買ったんだから」

カラーコーンや規制線、電動の工具や刃物…なんだか物騒なものが学校にあるなあ。

ただでさえぐっちゃぐちゃに置かれているそれらをさらにぐっちゃぐちゃにしながら、先生は道具に埋れていく。なんか動物みたい。

…そうだ。話しときたいことがあったんだ。

「ねえ、サヨコ先生」

「なぁに」

「さっきね、校庭に幽霊が居たんだよ」

「幽霊?」

「うん。真っ黒い影みたいなやつで、頭がのっぺりしてんの」

「……影」

「でもヒノトともう一回見ようとしたら消えちゃってさ」

「……」

先生の手が止まる。

何故だか無言になった。

しばらく間が空く。

「…先生?」

「……、」

「え、何? 幽霊怖いの?」

「…えっ、い、いいえ、怖いものですか!」

先生の声が裏返る。

はっはーん、怖いんだな?

「きっと太陽の光が強かったから、目が一時的におかしくなっちゃっただけよ。そういうことってあるでしょう」

「強がんなくていいんだよ、サヨコ先生。へえ、大人でも幽霊は怖いんだね〜」

「あー、あったわ! ミドリさん、これを」

物に埋もれたサヨコ先生が、その隙間から箱を持って私へ差し出す…ガスボンベだ。

「コンロは見つかった?」

「後で持っていくわ。ミドリさんは先に教室へ戻っていなさい」

「二人一組行動じゃないの?」

「いいから。戻りなさい」

…ちょっと強い口調で指示したサヨコ先生は、また工具などの中へ埋れていく。

…まあ、戻れと言われたなら戻ろう。ガスボンベは意外と重いし、サヨコ先生を待つ意味も特になさそうだし…私は工具室を出ることにした。

しかし、本当にいろんなものがあるなあ。

ひとつくらい持ってってもいいんじゃないの…と、私の目に留まったのは、なんだか不思議な形のケースに入った───

───刃物?

…サヨコ先生がガタガタとごちゃごちゃの中で動いている。これはもしやチャンスなのでは。

…私はその変な形の刃物を、こっそりポケットに仕舞い、ガスボンベを抱えて部屋を出て行った。

堪らないスリルだ。取っちゃった〜!


×


…教室を出て、階段を上っている途中。

「…あれ?」

「あ…」

カナエちゃんと会った。

「どーかしたの。中学年は教室に居なきゃ」

「あの…お兄ちゃんが指切っちゃって。手当ての道具を取りに」

「ユーマさんに頼めばいいのに」

「わ、私だって、お手伝いしたいです。それに、一応保健委員なので…」

カナエちゃんも真面目なのなあ。きっとユーマさんが引き止めたのも、ついてこようとしたのも断ってきたんだろうな。

みんな真面目で…なんだか私だけ浮いちゃってるや。

…カナエちゃんは中学年だ。ひとりで行動させたら、たぶん先生も怒るだろう。

仕方ないな。ガスボンベは重いけど、保健室なら下に降りてすぐだ。

「んじゃ、一緒に行こうか、カナエちゃん」

「は、はい」

んー、たぶん私が一緒に行くのも彼女のプライドに反するようだね。返答の声はちょっと引きつっていた。


×


階段を降りれば、保健室はすぐそこ。

中に入り…一旦ガスボンベはベッドの上に置いて、保健室の棚を漁る。カナエちゃんは絆創膏と消毒液を手に取り、ぽつりと呟く。

「包帯とかもあったほうがいいかな…」

「そだね。あったほうがいい。あと、なんなら薬とかも。痛み止めとか…体温計は要るかな?」

「それは教室にも置いてあった気がします」

さすが保健委員。そういうところ、ちゃんと覚えているんだ。しっかりしてるなあ。

…そうだね、あとは。

「…アレな話だけど、は大丈夫かな?」

カナエちゃんは少し間を空け…私の遠回しな問いかけをようやく理解したか、小さく笑った。

「あ、私はまだなので」

…まだってのは、のことか、それとも本当になのか。

「そ。イズミちゃんが心配だけど…一晩ならその確率もないか。あ、ごめんね、生々しい話して」

「いえ…」

男子禁制の会話だ。

「これでじゅうぶんかな。じゃ、戻ろ」

ガスボンベをまた抱え、私たちは保健室を出た。


廊下はだいぶ暗くなった。日差しが出ている時は嫌という程眩しいし暑いけど、やっぱり季節によって、日の長さは変わっている…最近は日が短くなった。暗くなれば寒くなる。

…ペタペタと、上履きの音が廊下に響く。

…カナエちゃんが唐突に口を開いた。

「…ミドリさんはしっかりしてますね」

「そうかな。そう言われると嬉しい」

私は笑う…けど、カナエちゃんは、別に私を褒めてくれたわけではないようで。

「…私なんか、何にも出来ない」

自虐的な比較だ。

「さっき教室に残っていたって、ユーマさんとショウくんだけでテーブルを用意して…」

「それは、カナエちゃんが女の子だから、力仕事させたくないっていう気遣いだよ」

「でも、同じ四年生なのに、イズミちゃんはお手伝いに行ったし」

「イズミちゃんは真面目なんだけど、強引なんだよね。本来なら、ね、今も、四年生は教室から出ちゃいけないって約束なんだよ」

「ミドリさんだって、女の子なのに、そんな重いもの持ってるじゃないですか」

「まあ、上級生だし…」

…カナエちゃんは、歩くのが遅くなり、俯いて、暗い顔をする。

「大丈夫?」

「…お兄ちゃんが怪我をしたのは私のせいです」

…ほう。

「私が、刃物を持つのが下手だから…見かねた兄が代わったんです。そしたら指を切りました」

「…ヒノトも過保護だね」

「私だって、みんなの役に立ちたい…なのに今も、私は手当ての道具のことしか考えていなくて、ミドリさんのように、他のことに頭が回らなかった」

「うーん」

「…私、何の取り柄もない」


参ったな。

ヒノトの妹だから、もっとこうガサツで、体育会系女子…そんな感じだと思っていたけど、まったくの正反対だ。

イズミちゃんのような生真面目とはまた違う。たぶんこの子の場合、馬鹿真面目と言った方が正しい。

カナエちゃんは何も手伝えなかった自分を、悪い人だって勘違いしている。たったそれだけで、自分の何もかもを否定してしまっている。

困ったな。参ったな。

とりあえず慰めるべきなんだろうけど…例えば、この子の長所。私が知っていることといえば。

「そんなことないよ。この前の校内バスケ大会、カナエちゃんのチームさ、ヒノトのチームはおろかユーマさんのチームだってぶっ倒したじゃん! カナエちゃん、すっごいシュート決めてたよね。女の子なのに男までぶち負かして、カッコ良かったよ〜!」

「…何の慰めですか」

…じとりとした声で尋ねられる。

そりゃそうか。あからさまに台本通りのような慰めを言った。心もこもっていない。いや、ちゃんと慰めるつもりで言ったんだけど…さすが馬鹿真面目さん。上っ面のお情けは通用しない。

「…ありゃ、嫌だった?」

「嫌です」

…だったらはっきり言ってやる。

「…そ。ごめんね。苦手なんだ。自然に慰めるっての」

「……」

「でもね、その、さっきまでのことってのは、カナエちゃんが何も出来ないんじゃなくて、カナエちゃんに何もさせなかった周りが悪いんだよ。カナエちゃん、やる気はいっぱいあるのに…みんながそれを踏みにじった。そういうこと。自分を責めちゃダメよ」

「……はい」

暗いなあ。日が落ちた暗さに加えてさらに暗い。こんなんじゃ、折角の楽しい夜も台無しだ。

私は立ち止まり…カナエちゃんに向き直る。

「じゃあさ」

「は…」

暗い目で私を見上げるカナエちゃんに、抱えていたガスボンベを差し出した。

「これ、持つの代わってよ! 私からのお仕事。ダメかな〜?」

「…どさくさ紛れに仕事を放棄しようとしてませんか」

「そだよ。欲しいんでしょ、お仕事?」

「……ズル」

そういうカナエちゃんだけれど、その口元は小さく笑っていた。

カナエちゃんは私からガスボンベを受け取る。よっしゃ、重い物から解放されたぞ! なんて喜び、口に出すもんか。

代わりに私は、カナエちゃんから医療道具を受け取る…途端。


カナエちゃんの後ろ。

少し離れた廊下、その角。

一瞬。

本当に一瞬。

「あ…」

「…何ですか」

 

また、影が居た。

けど、そいつはすぐに隠れた。


「……」

「ミドリさん?」

「カナエちゃん、こんな話したら信じる?」

「はい?」

「今日ね…幽霊が学校に忍び込んだの」

「ゆ、幽霊ですか⁉︎」

カナエちゃんの声が裏返る。

「おや、怖い?」

「嫌です、幽霊なんて!」

おやおや、急に感情が大爆発したぞ。目は見開いて、顔色も悪くなる…その様子は、興奮した時のヒノトとよく似ていて、やっぱりちゃんと兄妹だなって思えて。

いたずらしてやりたくなった。

「今ね、カナエちゃんの後ろを通り過ぎてったのよ…!」

「嫌です‼︎ 早く行きましょう、教室に戻りましょう、ミドリさん‼︎ ミドリさん‼︎」

ガスボンベの重さも忘れたか、スタタタッとカナエちゃんが走り出し、階段に向かう。

「あっはっは、 戻ろう、戻ろう。お肉が腐っちゃうね!」

私の笑い声が廊下に響く。

静かな一階を後にして、私たちは階段を駆け上っていった。



「…敵、二匹確認。他にも居る模様。今晩、東区B小学校の感染者の処理を決行する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る