第4話 好きな人

「じゃあ、それが終わったら帰っていいから。教壇の上に置いておいてくれ」


「はーい」


 放課後の教室。日が傾き、茜色の夕陽が教室に差し込む。校内の人気が減ったせいだろう。

 やけに静かな穏やかな空気の中、パチッ、パチッ、とホチキスの音が教室に響き耳に届いた。


 安達さんと一つの机を挟んで向かい合う形で座り、一緒に資料作りを進めていく。


(ほんと、綺麗だな)


 さらさらの綺麗な黒髪。肩まで伸びたその髪は夕陽を反射して朱く煌めいている。真剣な表情で資料作りに勤しむ安達さんの動きに合わせて、わずかに揺らめいていた。

 

 夕陽のせいか幻想的とさえ思える美しさに思わず見惚れていると、安達さんはぱっちりとした瞳を資料からこっちに向けてきた。


「そういえば、只見くんはなんで委員長に立候補したの?」


「俺?俺は……」


 興味ありげにこっちを見つめる安達さん。さてどうしたものか。誰かからこういう質問が来ることは想定していた。目立たないやつが急に委員長に立候補したら、不思議に思うのはもっともだろう。

 

 もちろんどう答えるかは備えていたが、いざ聞かれると少し悩んでしまう。一瞬曖昧に誤魔化すことも考えたが、やはり正直に伝えることにした。


「せっかくの新学期だし、自分を変えたくなったんだ。今まではあんまり目立とうとしていなかったけど、やっぱり安達さんのグループの人たちみたいになりたくて。あんな風になりたいって憧れたんだよね。だから、その一歩って感じかな」


「おお!なるほどね!すごいね、只見くんは!」


「そ、そう?」


 予想以上の反応に、少しだけ身体を引く。そんな大げさに反応することではないと思うんだが。前世の幼馴染のあいつなら「あ、そう」としか反応しなさそうだし。


「うん、凄いと思うよ。普通は、そう簡単に自分を変えようなんて思えないもん。周りからの反応が怖いし、最悪、変な風に言われちゃうかもしれないし。だから只見くんのその勇気は凄いと思う」


「えっと……あ、ありがとう」


 真っすぐな瞳で褒められてしまえば、流石に照れくさくなる。こんなストレートに褒められることは慣れていないので、僅かに顔が熱くなるのを感じた。


「やっぱり最初立候補したときは緊張した?」


「そりゃあね。注目を浴びることなんて慣れていないし、周りからの反応が怖かったよ。手を上げるときは凄く緊張した」


「そうなんだ。あまり緊張しているようには見えなかったけど。なんか凄い堂々としていて逆にかっこよかったよ?」


「あ、いや、それは顔に出ないよう必死になっていたからだよ、多分」


 安達さんの言葉にドキリと心臓が跳ねる。そんなに見られていたとは思わなかった。前世で初めて変わろうとしたときのことを思い出して話していたので、慣れていることがばれないように何とか誤魔化していく。


「あはは、そっか。やっぱり只見くんでも緊張するんだね」


「そりゃあ、緊張するよ。でもだから、安達さんに褒めてもらえて、変わろうとしてよかったと思えたよ」


「どういたしまして。でも、本当にすごいと思うよ」


 明るい声から静かな声に変わる。そのまま羨むような憧れるような声で小さくつぶやいた。


「私なんて全然変われないし……」


「それってどういう……」


「あ、ううん、なんでもないよ。とにかく、只見くんのその変わろう思える勇気は凄いと思うし、私、応援するよ!」


 作り笑いのような似合わない笑顔浮かべて誤魔化されてしまえば、もう追及のしようがない。

 一体どういう意味の呟きだったのか。彼女の憂うような表情が脳裏に焼き付く。もちろん、委員長同士の会話なんて漫画の中にはなかったので見当がつかない。とりあえずは頭の片隅に追いやった、


「安達さんはなんで立候補したの?」


「私?私は只見くんみたいな格好いい理由じゃないよ。周りのみんながあまりやりたくないみたいだったから、なら私がやろうかな、みたいな」


 ああ、やはりそうだったか。本当に安達さんはいい人だ。いい人すぎると思う。自分じゃなくて他人のためにしてあげられる、というのは中々できるものではない。彼女は俺のことを凄いと褒めてくれたが、俺からしたら安達さんのほうが凄い。


「どこが格好良くないだよ。凄いかっこいい理由じゃん」


「え?」


 きょとんと目を丸くして固まる安達さん。驚いたような意外そうな、そんな表情。


「人のことを思って何かを出来るってのは、誰でも出来ることじゃない。それを事も無げに出来るのはそれだけで凄いことだよ。安達さんは俺のこと凄いって言ってくれたけど、安達さんの方が凄いと思う」


「ありがとう。でもね、実は別に私、誰かのことを思って優しくしてるわけじゃないんだよ。ただ、嫌なことを他の人に押し付けるの嫌だからっていう、自分勝手な理由なの」


 どう?がっかりした?とでも言うような自嘲する笑みで微笑みかけてくる。まったく、そんなことは知ってる。だとしても俺は……。

 

「それでもだよ。安達さんがどう考えているかなんてどうでもいいんだよ。それがほかの人のためになってるってことが大事なんだ。安達さんがなんて言おうと、安達さんのその行動は尊敬に値するものだ。少なくとも俺はそう思う」


 彼女に俺の気持ちが伝わるよう真剣に目を見て語りかけると、一瞬目を丸くして、そして、ふっ、と柔らかく表情を緩めた。


「……あはは。そっか、みんなによく「安達はお人よし」っては言われるけど、そんなにちゃんと褒められたのは初めて。うん、なんか自信出てきたかも。只見くん、ありがとね」


 そう言ってにっこり朗らかに笑みを浮かべる安達さん。ふわりと温かな表情はとても魅力的だ。うん、やはり、安達さんにはそういう笑顔が似合う。そう思った。


 一通り資料を作り終えて次の資料に取り組もうとすると、そこで気付いた。


「あ、このプリントは半分に切らないといけないみたい。只見くんハサミとか持ってたりする?」


「いや、持ってないかな」


「そっかー。私あったかなー?ちょっと探してみるね」


 安達さんは、んー、と唇を尖らせながらリュックを開けてガサゴソと中を調べ始める。筆箱の中を見たり、教科書を取り出したりして探していく。そんな時だった。


「あっ」


 安達さんのリュックから小さい手帳のようなものが落ちた。それを拾ってあげようと手を伸ばした時、その手帳に挟まれていたであろう写真が飛び出ているのが目に入った。


「え?」


 一瞬驚きで伸ばした手を止めてしまう。その隙にバッと勢いよく手帳ごと安達さんが拾い上げた。

 その反応にやはり見間違いではなかったことを確信する。いつか安達さんの好きな人が本宮だと俺が知るような自然な流れを作らないと思っていたが、これはちょうどいい。


「安達さんって、本宮くんのこと好きなの?」


「え?」


 俺の問いかけにピタッと動きを止めて固まる。その体勢で動かないまま、頬を茜色に染めていき、耳元まで真っ赤になった。


「あ、やっぱりそうなんだ」


「な、なんで、なんでわかったの……?」


 口元を手帳で隠すようにして、頬は朱に染めたまま上目遣いにこっちを見つめてくる。うろうろと瞳は左右に揺れ動き、その動揺具合が伝わってきた。


「ごめん、その手帳に挟まってた写真が一瞬見えちゃったって。それに本宮君と話しているときの安達さんって凄い幸せそうに笑ってたし、なんとなく」


「え、本宮くんと話してるとき、私そんなに分かりやすかった?」


 目を一瞬ぱちくりとして、上擦った声を上げながら分かりやすくさらに顔を赤くしていく。


「あ、いや、元々安達さんは笑っていることが多いから、ほかの人は分からないと思うよ。俺も別に確信があったわけではないし」


「そ、そうなんだ。それならいいんだけど……」


 漫画の内容を知っているから俺が分かっただけで、ほかの人はまだ気が付かないはずだ。そのイベントはまだ先のはず。

 安心させるようにフォローすると、安達さんはわずかに体の力を抜く。


「誰にも言うつもりないから、そこだけは安心して」


「ほんと?秘密だよ?誰にも話しちゃだめだからね?」


 唇の前で人差し指を立てて必死に話す安達さんに、俺はこくりと頷いた。


 幸いリュックからハサミは見つかり、中断していた作業を進めていく。紙を半分に折って丁寧に切って束ねる作業の繰り返し。

 しばらく作業を黙々と続けていくと、やっと全ての仕事が片付いた。


「はぁ、やっと終わったー!」


「お疲れ様」


「うん、只見くんもお疲れ様!」


 トントン、と机で束ねた紙を揃えて置く。

 やっと終わった開放感にぐっと身体を伸ばして外を見ると、すでにかなり日は傾いていた。薄暗い空の彼方に浮かぶ夕陽がやけに寂しく輝いている。


「じゃあ、帰るか」


「あの、只見くん」


 帰ろうとリュックを背負うと、くいっと袖を引かれた。振り返ると不安そうに瞳を揺らしている。


「どうかした?」


「さっきの私の好きな人のことだけど……」


「ああ、大丈夫。話さないよ」


「そ、そっか。よかった」


 真っ直ぐに目を見て真剣に話すと、安達さんはほっと安心したように表情を緩める。なんとなくその安らいだ表情を見て、さっきみたいに少しだけ焦らせたくなってしまった。


「うん。でも、安達さんも少しはポーカーフェイスを練習した方がいいと思うよ。言い当てられた時すごい顔真っ赤だったから」


「え!?そんなに真っ赤だったの!?」


 案の定安達さんを焦らせることに成功して、満足しながら俺は家に帰った。

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