第3話 委員長決め

「じゃあ、いってきます」


「あら、こんな朝早くからどこ行くの?」


 自宅の玄関で靴を履いていると、後ろから声をかけられた。振り返ると母親が不思議そうにこっちを見ている。


「今日からダイエットすることにしたんだ。近くを走ってくる」


「どうしたの、急にダイエットなんて。これまで一度もしたことなかったのに」


「せっかく新学期が始まったからいい機会だと思ったんだよ。いってきます」


 これ以上ここにいるとさらに色々聞かれそうで面倒だったので、強引に話を切って玄関の扉を開けて外へと出た。「あ。いってらっしゃい」と戸惑うような調子の声が、閉まる直前に聞こえた。


 外は快晴のいい天気だった。澄み渡る青空が頭上に広がり、眩しく明るい煌めきが辺りに散っている。四月ということでまだ少し肌寒いが、その冷たさが眠気を覚ましていく。


(まったく……)


 何かしらは言われると思ったが、とりあえず追求から逃れられたことにほっと安堵する。帰ったらまた聞かれそうだが、それは今は置いておこう。


 ゆっくり歩きつつ体の調子を確かめる。まだ起きてすぐなので体は固い。それに前世の体とは違ってまだ運動といものに慣れていない体だ。無理はできないだろう。


(初日だし、今日はストレッチと軽いランニングにしておくか)


 近くに手ごろな広さの公園があったことを思い出し、そちらに向かいつつ今後のやることを整理していく。


 安達さんを勝ちヒロインにする。そのためにまずクラスでの自分の立場を変える。そう決めたのは良いが整理してみると、やることは予想以上にたくさんあった。


 まず、自分の見た目を変えなければならない。その一つが今からやろうとしているダイエットだ。他にも眼鏡をコンタクトに変えて、髪型を整えて、姿勢や自然な笑顔の練習もしなければ。

 残念ながら見た目を変えるのには時間がかかる。筋肉をつけないといけないし、やせるのにさえかなりの労力が必要だ。コンタクトはすぐに変えられるが、一番の誤算は髪型だろう。


 この俺の髪は変に短く切られているせいで修正が難しい。髪型を変えるのが男は一番印象を変えられるのだが、これでは変えられないのでしばらく伸びるのを待たなければならない。

 まったく、そこはお決まり通り「長い前髪を切ったら、あら不思議。イケメンで株が爆上がり」みたいなことがよかったんだが。


 と、こんなわけで理想とするところまで見た目を変えるのには時間がかかるだろう。


 さらに自分磨きだけでも大変だが、それと同時に周りとの繫がりを作ったり、本宮田たちのグループとも仲良くならないといけないのだ。物語は刻刻と進んでいくので、同時進行でないと次々起こるであろうイベントに対応できなくなってしまう。考えれば考えるほどに、ゴールは見えそうになかった。

 

 だが、不思議とやる気に満ちている。ラブコメみたいな出来事が経験できるのは、昔から望んできたことだし、なにより、「彼女の笑顔を守れる可能性がある」そう思うと可能な限りのことはしたかった。


 ここからだ。ここから絶対誰も泣かない物語に変えてみせる。ぐっと力強く一歩踏み出した。


♦︎♦︎♦︎


(はぁ、さすがに初日だし疲れたな)


 学校の自分の机に突っ伏して内心でつぶやく。軽く動いて終わるはずだったのだが、想像以上にこの体は運動不足ですでに体にかなりの疲労が宿っている。

 慣れない早起きだったこともあり今すぐ眠りたいくらいだが、そうはいかなかった。この後には、早速イベントが一つ待っている。


 そのイベントは委員会決めだ。


 大体の人はこのイベントを嫌がるか興味を持たないだろう。委員会の仕事なんて楽しいものではないし、ましてクラス委員長を決めるときは大体くじ引きになったり、押し付け合いが発生するので苦手な人が多いと思う。


 だがこのイベントは物語にとって、そして今後の俺自身にとってかなり大事なイベントだ。この委員長決めでは誰も立候補しないので、お人よしの安達さんが立候補して女子の委員長になる。

 本当ならクラスの雰囲気をうまく誘導し本宮に男子側の委員長をやってもらうことで、二人の仲を深めさせたい。だかクラスの雰囲気を誘導するなんてことは、今の俺では不可能だ。


 そこで考えたのが二つ目のプラン。俺が男子の委員長に立候補する、というものだ。

 自分自身が安達さんと親しく話せるような関係にならないとそもそもに彼女にアドバイスを与えられない。


 時間をかければわざわざ繫がりを作らなくても仲良くなれるだろうが、そんな時間は使っていられないので、今回の委員長決めは絶好の機会だ。ラブコメにありがちな「まずは挨拶をしてみる」みたいな方法はある程度の顔見知りでなければ、戸惑われて終わるだけ。まあ、安達さんの場合は、たぶん快く挨拶を返してくれそうだが。


 それにクラスの委員長になれば多少は周りから顔と名前を認識してもらえて、今後の活動がやりやすくなる。何よりも空気な状態が一番まずいので認識してもらえることは凄く重要だ。


 こんな感じで俺が委員長に立候補することは一石二鳥のプランなので、失敗するわけにはいかなかった。


「ほらー、席に着けー。総合を始めるぞー」


 先生が入ってきたことで、クラスの人たちが席に戻っていく。少しの間で教室は静かになった。


「じゃあ、朝も話したと思うが委員会決めを行う。一人一つは必ず委員会に入ってもらうからなー。まずは進行係も兼ねて、男女一名ずつ委員長をやりたい奴はいないかー?」


 教室を見渡すように先生は首をゆっくり動かしていく。その視線から逃れるように誰も動かない。さっきとはまた違う静寂が教室にこだまする。誰かやれよ、とでもいうような居心地の悪い空気。

 

(普段だったら俺もそっち側なんだが、今回はやらせてもらう)


 嫌な空気を切り裂くように、俺は手を上げた。


「あー、えっと、只見、だったよな?委員長やってくれるのか?」


「はい、先生。やります」


 まさか、手を上げる奴がいるとは思っていなかったのか、やや困惑気味な先生。名前をかろうじて呼んで確かめてきた。

 まあ、その反応は無理もない。周りの様子をちらっと見てみれば「誰?」「なに、あのデブ?」「あんな人いた?」ひそひそとそんなことを話す声が聞こえてくる。好奇な視線がたくさん突き刺さり、居心地が悪い。


 だが、こんなの気にしてられるか。こんな視線、前世で既に経験済みだ。変わろうとし始めたときは、何度こんな反応をされたことか。

 もう慣れた。突き刺さる視線を跳ね返すように、堂々と前を向いて胸を張った。


「じゃあ、男子は只見でいいとして、女子は誰かやりたい奴いないか?」


 またしてもシンッと教室は静まる。さっきまでのひそひそ話は消え去り、互いに探り合うような雰囲気がまたやってくる。十秒程度だろうか。そんな静かさからぽつりと小さい声が聞こえた。


「あの、先生……私やります」


 声の主に全員の視線が集まる。視線の先にいたのは予想通り、安達さんだった。控えめに右手を上げて、困ったようにわずかに眉を下げながら微笑む安達さん。周りから視線にほんのり頬を桜色に染めている。


 まったく、ほんとにお人よしな人だ。彼女の内心が分かるからこそ、なおさらそう思ってしまう。 

 苦手ならやらなければいいのに、その苦手なことを他人に押し付けるのはもっと嫌なのだろう。他人のために行動できる彼女のそういうところが本当に好きだ。


「そうか。安達、やってくれるか。他にやりたい人もいないようだし、じゃあ、只見と安達よろしくな。あとは任せていいか?」


「はい、大丈夫です」「分かりました、先生」


 先生に進行係を任され、安達さんと一緒に教壇の前に立つ。皆からの沢山の視線がこちらを向き、久しぶりの感覚に懐かしくなる。


(ああ、委員長は中三の時以来か)


 そんな場違いな感想が思い浮かんだ。


「ねえ、只見くん。黒板にこの委員会のリスト書いてもらっていいその間に私が進行しておくから」


「分かった」


 適材適所だろう。彼女の方が皆から慕われているし、進行しやすい。進行係は安達さんに任せて俺は書記に勤しむことにした。


 委員決めは順調だ。安達さんの上手な進行で特にトラブルが起きることなく進んでいく。俺が委員長になったことで何か物語に影響が出るかと思ったがこの程度なら問題ないらしい。

 まあ、まだ何もしていないのだから、当然といえば当然か。


 結局最後まで何も起こることなく委員決めは終わった。黒板に書いた委員会のメンバーを紙に書き写しつつ内容を確認していく。


(月山さんは文化祭実行委員か……)


 これは今後のイベントで大きな意味を持つもので、漫画の中でも説明されていた。他の本宮たちのグループメンバーがどこに所属したか覚えて書き終えた。


「只見くん、終わった?」


「終わったよ」


「書いてくれてありがとね。うんうん、只見くんって、字綺麗だね」


「そう?」


「うん。ほら、本宮くんとか私の仲いい男子ってみんな字が汚いからちょっと意外で、気になっちゃった」


 純粋に褒められるのはうれしい。安達さんはしみじみと俺の書いた文字を気に入ったように眺め続ける。


「よし、終わったか。少し早いが今日の授業はこれで終わりだ。特に連絡することもないし、もう帰っていいぞ」


 先生のその掛け声で、クラスのみんながそれぞれ帰る準備を始める。ざわざわと話し声が教室中に広がっていった。


(なんとか上手くいったな)


 失敗する可能性はほとんどないと思っていたが、それでも予定通りに進んだことにほっと息を吐く。

 だがまだ始まったばかりだ。これから安達さんと話す機会は増えていくはずだからしっかりやらなければならない。物語が進めば進むほど失敗は許されなくなってくるのだから。


 改めて気合を入れなおしていると、不意の声がかけられた。


「ああ、そうだ。只見と安達。二人は資料作りをやってもらうから放課後残ってくれ」


――どうやら、早速彼女と話せる機会がやってきたらしい。

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