私を飼って、いただけますか?

メアリー=ドゥ


 目の前に、首輪をつけた一人の少女が立っている。


 牢獄で、封印の法陣の中心に、鎖で繋がれていた。

 そんな彼女に向かって、手を差し伸べる。


「お前は、俺のものだ」

「そうだったのですか。ではーーー」


 彼の問いかけに、少女は笑顔で応えた。



「ーーー私を飼って、いただけますか?」



 少女は、忌み子だった。


 稀に生まれ、穢れから生まれる呪詛を身の内に宿し……やがて〝王魔〟を産み落とす、忌むべき者だった。


 それが、いつから村に伝わる話なのかは知らない。

 だが、生まれたその時ではなく、いつ誰がそう『成って』もおかしくはないことは、知っていた。


 ーーーでも、なんで、彼女が。


 少年は、少女の幼馴染みだった。

 そして幼いながらに、将来を誓い合った仲だった。


 到底、認めることは出来なかった。


 だが何の力もない自分には、彼女を救う奇跡の持ち合わせなんて、なかった。

 だから、せめて。


 定めに従い、鎖に繋がれて神の前で焼かれ、命を奪われる儀式の前に……彼女を連れて、逃げようとした。


 無理だった。


 見つかり、村の男たちに散々に殴り倒されて、彼女を閉じ込めた牢獄の横に入れられて、動くことすら出来なくなった。


 しかし……彼女は殺されなかった。




 ーーー代わりに、世界を動かす【原料】になった。




 大昔に、呪詛から生まれる魔物の脅威を、憂いた者がいたらしい。


 人が集えば集うほどに溜まりよどむ呪詛を、逆に利用しようとしたおぞましいソイツは、人の暮らしを支える糧へと変質させる方法を編み出した。


 それが忌み子を【原料】とする、呪詛炉だと、村に現れた呪術師を名乗る者たちが言っていたのを、ぼんやりと聞いた。


 彼女がそいつらに連れ去られた後、追うことすら出来ぬ時を牢獄で過ごし。


 やがて許され、外に出された少年は。



 ーーーその足で、神の屋代やしろへ駆けた。

 


 なぜ忌み子などという存在を作り出したのか、と。

 己が呪詛を生むほどの、激情をもって吼えた。


 何のために、彼女は生まれたのか。

 顔も知らぬ他人のために、道具のように使い潰される為か。


「貴様のような神など、この世ごと滅してしまうがいいッ!!」


 分かっていた。


 少年が呪っていたのは、愛した者すら満足に救えぬ自分自身だった。


 だが、その絶望の嘆きに、応えるモノがいた。


奇遇きぐうだな。俺も、そう思うぜ』


 声の主は、神としてまつられた邪霊だった。


『オレぁ〝王魔〟だ。肉体をうしない、ここに封じられてたのさ』


 ちぎりを結ぶか、と王魔は言った。


『オレの封印を解くなら、テメェに王魔の力をくれてやる。だが、力を振るうたびに、肉体は呪詛にむしばまれ、やがて【命】が腐れ落ちる』


 受け入れるか、という問いかけに、否があるはずもなかった。

 彼女を救えるのなら、自分の命などどうでも良かった。


『後悔するぜ』


 そうして、王魔を受け入れた少年は、その日を境に村から姿を消した。


※※※


 一路、少年は呪詛の力で栄える都へと駆けた。


 道中に出会う呪詛の魔物を、より強い王魔の力で降し、喰らった。

 そうして自らの身が焼けるような痛みに苛まれるのと引き換えに、力を増していった。


 都に辿り着き、必死に居場所を探して。


 


 見つけた彼女はーーー同じ村で共に育った少年のことを、忘れていた。



 

 呪詛を身に吸い込み続け、濃縮したそれを無理やり吸い出され続ける法術に、心を砕かれていた。


「あなたは、だれですか?」


 あどけなくそう問いかけて微笑む、焦点の合わない彼女に、少年は胸が張り裂けるような痛みを感じながら、応えた。


「お前の、近くにいる者だ」

「そうなのですか?」

「お前は、俺のものだ」


 だからさらう。


 そう告げる少年に、彼女はふんわりと手を広げてみせる。


「そうだったのですか。ではーーー」


 彼の問いかけに、少女は笑顔で応えた。



「ーーー私を飼って、いただけますか?」


 少年は、彼女を法陣から解放し、身の内に溜め込んだ呪詛を吸い取って。

 ますます強大になる力で、呪術師どもを皆殺しにして、都を出た。


※※※


 追われた。


 いかに強大な力を持っていても、少年は何も知らぬ者だった。


 呪詛の巫女を奪い返そうと、絶え間なく襲いくる追手。

 その逃避行の内に、少年は異変に気付く。


 ーーー記憶が。


 少女と過ごした想い出が、ところどころ欠けていた。


 幼少期の記憶も、逃避行の記憶も、他のことは覚えているのに、彼女のことだけ、その表情だけ、会話の内容だけ、忘れている。


『呪詛を喰った代償だ』


 王魔は言った。


「なんで、ないてるの?」


 壊れた少女が、笑いながら、不思議そうに頬に手を添えてきた。


 その体を、思い切り抱きしめた。

 

 自分が自分で無くなる恐怖と戦いながら、少年は少女を連れて歩き続けた。

 

 国を抜ければ、と、考え。

 国境くにざかいにまで辿り着いたところで……待ち受けていた大軍勢が、目の前に立ち塞がった。


 全て、罠だった。


 人に仇なす大罪人と呼ばわれた。

 世界の全てが敵になったように、撒き散らされる罵声の全てが、呪詛に変わるのを見た。


 どこまでも醜い、その在り様に。


 少年は、虚構の栄華を手にする根源が〝人自身〟だったことを知った。


 人が己を糧に、魔物を、享楽を、生み出していたことを。

 少女を……それまでに存在した全ての呪詛の巫女を蝕んだことを、知った。


「何もかも、全て。……滅んでしまえばいい」


 王魔の力を使い続けて、ボロボロの体で。

 心の壊れた少女を抱えて。


 少年は、呪詛の根源どもに牙を剥く。


『テメェの体は、もう保たねぇぜ。【命】は喪われる。……それでもやんのか?』


 やらない理由など、どこにもなかった。


 人を、滅ぼし尽くせば、自分が消えても少女が呪詛に蝕まれることは、もうない。


 しかし。


「なん……で……」


 王魔に変わりゆく過程で、頭の中から全てが抜け落ちていくのが分かった。


 予兆は、確かにあった。

 でも、最後だと言われた今は、全てが欠けてゆく。


 大切な記憶が。

 大事な人が。


 頭の中から、消えていく。


『ヒヒヒ』


 頭の中の、王魔が嗤う。


『そうさ……言っただろう? テメェの【命】が喪われると。王魔の力の対価は、生きるさ。……テメェを支えた正しき呪詛だ』


 少女との、記憶の全て。


 少年の【命】そのものが、腐れ堕ちる。


 嫌だ。


 嫌だ、嫌だ。



 ーーー忘れたくない。



『やめとくか? 諦めるか? そして二人で、死ぬか?』


 王魔の問いかけに、心が震える。


 忘れたくない。

 それでも、彼女を、守りたい。


 せめて幸せを。

 いい事なんか何もない世の中でも。


 自分が、彼女を忘れてしまっても。



 ーーー俺はきっと、また、彼女を愛すから。



「ォオオオオオオオッ!」


 少年は吼える。

 異形へと転じる。


 最後の記憶の欠片だけを、支えに。


『テメェは本当に、阿呆だよな……オレも、そうだった』


 王魔の声が、遠ざかる。


『忌み子は呪詛を吸い、王魔を生む。人と、継承者と、巫女の、その連鎖を断ち切りたくて呪詛炉を作ったが、無駄だった。……オレはテメェの大事な記憶と一緒に消える』


 魔物の姿で、少年は駆ける。

 少女を守り、全ての敵を葬り去るために。


 そんな少年に、王魔は最期の言葉を投げる。



『継承だ。ーーー次の〝王魔〟は、テメェだよ。じゃあな、同じ痛みを、背負う者よ』



※※※


 そうして、敵対者の全てを、葬り去った時。

 少年は、大切な想いの、全てを忘れていた。


※※※


 ーーー俺は王魔だ。


 屍の山を築き、その目の前で、少年は膝をついていた。

 

 頭の中の王魔の言葉は、正しかった。

 吸い付くした呪詛が、我が身そのものと成ったことが分かる。


 ーーーだけど、何のために?


 それが思い出せない。


 何かを守ろうとしていた。

 だが、何を?

 

 何のために願い。

 何のために、駆け抜けたのか。


 全く思い出せないまま、のろのろと立ち上がり、振り向くと。



 目の前に、首輪をつけた一人の少女が立っている。



「お前は、誰だ?」

「私は、貴方のものです」


 少女の首輪から、千切れた鎖が垂れ下がっている。

 そして美しい瞳で少年を見つめたまま、両手を広げた。


「今までも、これからも。だからーーー」


 彼の戸惑いに、少女は笑顔で応える。



「ーーー私を飼って、いただけますか?」



 

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