expansion13 鳥鳥 その13

 沈む。

 落ちる。

 堕ちる。


 青く広い空間を漂うように、

 まるで、無重力にでもいるような感覚だった。


 しかし、無重力を知っているわけではないので、

 なんだかテキトーな言い方になってしまったかもしれない。


 恐らく、大体の人が思っている無重力で合っていると思うが、

 俺はいま、そんな感覚を味わっているところであった。


 目を開けて見てみる。


 神秘的――、そこは、深海のように見えて。


 というかここは、深海ではないにしても、だが、海であることは確実であった。


 水中にいる――ということは、俺は、外に出れた、ということか?


「…………」


 俺は自分の羽を使って水をかき、水中だというのに、

 まるで地上にいるかのような動きやすさを感じながら、水上へ向かう――。


 いま、この時こそ、体がペンギンで良かったな、と思った。


 体がペンギンだったからこそ、

 いまの状態まで持っていくような、作戦を考えたんだけどな。


 そして水面へ顔を出して――、

 そこで、俺が見たものは、予想通りの光景だった。


 しかし、俺自身も、ここまでの光景が見れるなんて、

 まったく思っていなかったから、抱いた感情は、素直に驚愕であった。


 視界の中で、とても目立っている光景――、船が、真っ直ぐに立っていた。


 船首が真上に、天に、向いている。


 天に向いているけど、そこに目指そうとしているのかと思ってしまうが、

 しかし、現実はまったくの逆。

 船は真下へ、海中へ、深海へ進んでいく。


 沈んでいっている――、

 千人ほどの乗客、全てを巻き込んで。


 そして、飲み込んで。



「……我ながら、すごいことしたなあ」


 すごいというか、酷いというか。

 そんなことを呟いて、そして思っていると、

 水面が揺れて、俺の体を揺らす。


 なにかが水中から飛び出した反動が、こっちにまで伝わってきたらしい。

 だとすると、水中から出てきた者がいる、ということになる。

 その者が、一体、誰なのか、というのは、気になるところだった。


 水中から顔を出したのは、一人の少女と、ペンギン――、

 理々と恋敵であるのが分かって、俺は安堵した。

 二人のためにここまでのことをしたというのに、

 そう、助けようとしたというのに、二人が逃げられなかったら、意味がないから――、

 二人が無事に逃げ切ってくれていたことに安心して、俺は大きく息を吐く。


 恋敵は、人間一人が寝転がっても全身が収まる程度の大きさの木片に、

 びしょびしょに濡れた理々を乗せた――、

 ぷかぷかと浮いている理々は、死んではいないのだろう、眠っているだけだ。


 気絶しているのかもしれない。


「……バツ、ちょっとこい」


 と、恋敵がいつもとは違う声のトーンで言う――。

 まあ、言いたいことは分かるし、もしも恋敵が俺と同じことをしたら、

 たぶん、いまみたいな声のトーンで、怒りを溜めたような表情で、

 俺は恋敵に、恐らくいま言うであろう恋敵のセリフと、同じことを言うだろう。


 だって――、


「自分がなにをしたか、分かってんのか!? 

 ペンギンだからって、なんでも許されるとでも思ってんのか!? 

 お前は――、殺したんだぞ、人間を!

 千人近い人間を、大量殺戮した――お前は、犯罪者になったんだッ!」


「知ってるよ。分かってる」


「分かってねえよ、お前は。

 人間じゃないから罪にはならないし、裁かれることはないし、

 それは安心かもしれないけどな、逆だ。

 お前は、裁かれるべきことをしたのに、裁かれないんだぞ。

 裁かれることがないってのは、自分の中に罪が乗っかったまま、

 お前は、これからずっと、罪悪感に縛られ続けることになる――、


 自分が殺した人間の呪い、なんてものがあるのかは分からないけど、

 お前自身が勝手に想像して、呪いのようなものを見てしまうかもしれない。

 お前は、これから毎日、それを背負っていくんだぞ――分かってんのかッ!?」


「分かってる」


 恋敵のセリフに、俺は迷いなくそう答える――、

 覚悟はしていた、これについても、迷うことなく一瞬で決めた覚悟だ。

 安っぽいかもしれないけど、簡単に軽く決めたようなものかもしれないけど。

 でも、嘘ではない、本当の覚悟ではあるのだ。


 背負っていく気が、ある。

 背負っていく気しか、ない。


「お前……」


「俺のことはいいよ――恋敵、悪いな、心配をかけて。

 これからもいつも通りに接してくれるとありがたいよ。

 俺には、信用できる友達は、お前くらいしかいないんだからな」


 そう言って、俺はこの話を切り上げようとして――、

 理々のことについて、話を移行しようとした。


 しかし、俺のそんな計画は失敗に終わる。

 厄介な、嫌な顔をしてしまうほどには厄介な相手が、目の前に。


 気づけばそこに、いつの間にか現れていた。



「――素質はあるだろうと思っていたけど、

 まさか一人の女の子のために、

 ここまでするとは思っていなかったなあ……ねえ、バツ君」


 

 俺たちを見下ろすように――見下すように。

 小さい一人乗り用のボートに乗っていたのは――、

 俺たちの体をペンギンに変えた、元凶。

 そして原因である女、箱戸鯱先輩だった。


 先輩と呼ぶのも、いまになってみれば嫌な気がするな……。

 ここでいきなり呼び名を変えるというのも、俺にはできそうにもないので、

 そのまま、継続して呼ぶことにしたが――そして、俺は鯱先輩を見上げる。


「……どうして、ここに?」


「どうしてって、君たちをこの船に送りつけたのは、私なんだから。

 そりゃ、様子を見にくるのはあり得ることじゃないの? 

 それに、船があんな状態になっていたら、

 そりゃ気になるわよ――、その子も乗っているわけだし」


 鯱先輩は、木片に寝転がっていて、意識を戻すことのない理々を指差した。

 その子も乗っているから?

 ということは、鯱先輩は、理々となにか、関係を持っている、と?


「理々を、知っているんですか?」


「知っているわよ――私の従妹だし。

 だからこそ、君たちを送りつけたというわけ。

 私の力じゃ、理々を助けられないから、だから君たちに任せた。

 成功するとは思っていなかったけどね――それ以上に、

 こんな事態になるなんて思っていなかったわよ。

 まあ、いいんじゃないかなあ。

 予想以上のパフォーマンス、満足以上に満足だったよ、バツ君」


「ちょっと待てよ」


 と、恋敵が噛みつくように、鯱先輩に突っかかる。


「じゃあ、あんたは知ってたってことか? 

 理々が狙われるのを、命を狙われているのを知っていて、

 にもかかわらず、あんたはおれたちに任せて、

 自分では助けようとしなかった――、

 なんなんだよ、あんたが助ければいいじゃねえかよ!」


「それができないから――と言ったはずだけど。

 それにしても、やっと話してくれたわね。でも、あなたはバツ君と違って、

 私の思い描く面白いことをしてくれる感は、まったくないわね……。

 間違えたかしら、まあ今更、ペンギンになれるという事実を知って、

 帰すなんてことはしないわけだけど」


 ふふふ、と笑う鯱先輩は、

 着ている服の見た目と、その印象によって、『あれ』にしか見えなかった。



「――魔女か、あんたは」

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