expansion7 鳥鳥 その7
えへへ、と笑いながら言う少女――。
さっき、テキトーに自己紹介をしたものだから、
名前は分かっているはずだけど……しかし出てこなかった。
だからこそ、こうしてずっと少女という呼び名を使わせてもらっている。
ただ、このままずっと、名前も分からずに一緒に行動するというのは、駄目だろう……。
駄目というか、失礼だろう。
記憶を手繰り寄せ、名前を知ろうと努力する俺を置いていくように、
恋敵が俺よりも早く、少女の名を呼んだ。
「
となると、ノーヒントで探し出さないとな……、
それなりに時間はかかっちまうと思うけど……」
「ヒント? ヒントって、あの、謎を解くためのチャンスみたいなの?」
「まあ、そういう解釈で合ってるよ――。
そういうのがあれば、たとえば位置的に、船の中でも、
お父さんの部屋は後ろの方にあったとか、さ。
そういうのでいいから、思い出してくれると助かる」
そうだなー、と少女――理々が言う。
少し遅くなったが、やっと名前を思い出すことができた。
恋敵が言っていたので、間違いはないはず。
だから分からないところは、残りは名字だけだった。
それをいま、やっと思い出した。
汚雲理々――、
それがこの少女の名前だ。
汚雲というのは、結構、有名な名前だった。
名を出せば思い出す必要もなく、頭の中に刷り込まれているはずの、
常識的な言葉と言っても、言い過ぎではないらしい……。
それだけ、この名前の認知度というものが高かった。
だからこそ、探すのも楽だと思っていたが、
しかしその甘い考えは、やはり甘かった。
ぜんぜん、探しても見つからなくて、
船の中を何周もした気がしているのに、
理々の父親を見つけることは、遂にできなかった――、
歩いているのは理々だ。
揺すられているだけの俺たちは、
肉体的な疲れがあまりないにしても、
それ以上に、精神的ダメージが多かった。
服の内側でぐったりとしている俺たちを心配して、
理々が気を遣ってくれたらしく、水場まで連れていってくれた――。
ペンギンだから、水を浴びせれば元気になると思っているらしい。
俺たちは人間だから、水を浴びたからと言って、元気になるのかどうか――、
まったく分からない。
それに、水を浴びれば、そのあと、濡れたまま理々の服の中に再び潜るため、
理々がびちょびちょになってしまうのではないか。
分かっているのかいないのか、彼女は教える間もなく、
俺たちに、ホースを使って水をかけてくる。
その水の勢いが、結構強くて、驚きだった――だが、確かに人間の時とは違って、
力が奥底からみなぎってくるような感覚がした。
しかし、ペンギンに水をかければ元気になるかもしれない、と考えていたから、
そのせいで元気になったと錯覚しているのかもしれないけど……それでもいいだろう。
プラシーボ効果。
元気になっていなくとも、
元気になったかもしれないで、充分である。
「大丈夫? 大丈夫なの、バツ君――」
「理々、名前を覚えてくれたのは嬉しいけど、
そのバツ君ってのは、鳥肌が立つからやめてくれないか?」
「だめ? なの……?」
「……いや、やっぱり、構わないよそれで」
理々の表情を見て。
たぶん、これ以上、あれこれ言ったところで、
理々は退く気なんてないのだろうなあ、と思った。
鳥肌が立つけど、がまんできないほどではない。
仕方ないな、バツ君という呼び名を、許可することにした――。
あの女みたいで、少し嫌であるが。
思いついたあだ名が一緒だったから、というのは、
少し、というか、かなり、敏感になり過ぎている気もする。
し過ぎて損はないかもしれないが……、相手は小学生、
わがままを言うのも、少し遠慮した方がいいのだろう――。
理々は頭が良くて、わがままなんて言いそうになく、
逆に、相手に気を遣って遠慮してしまうほど、言ってしまえば、
子供らしくないと言える。
だが教育的に、ペンギンではあるが俺たち大人でもあるので、
俺がわがままを言うのは、あまり良いとは言えない。
だから言わない――その方針で。
「気になることがあってさ、理々――、
お前はイベント会場に入れるのか?
ほら、さっきちらっとポスターを見たけど、
どうやらダンスパーティでもやっているらしいし。
お前のお父さん、そこにいるかもしれないぞ?」
俺の言葉に、理々はクエスチョンマークを頭の上に浮かべていたが、
すぐに自分の中での理解が追いついたらしい。
「そうだね」と言った。
俺はダンスパーティと言ったが、
どうやらダンスだけがメインの会ではなく、
ダンスの他にも、色々とイベントがあるらしい。
だから俺と理々の中で、食い違いというか、理解に差があったのだ。
その差を一瞬で埋める理々は、よく頭が回る。
小学生とは思えないが、最近の小学生は、馬鹿じゃない。
生まれている時代が違くて、
いまの子は、比較的、頭が良いのだろう――、
環境が良いのだろう。
俺たちなんて馬鹿だ――、
何十人と集まったところで、馬鹿でしかなく、馬鹿の集まりでしかない。
だから年下だけど、ちょっと上に見てしまう。
情けない話ではあるが、これは仕方のないことだ。
本能みたいなもので、無意識だから、直すのも一苦労なのである。
「それじゃあ、イベント会場に向かおっか。ほら、いこいこ」
理々は俺たちを胸に抱えて、走り出す――、
なんだか、父親を探しにいくというよりは、
ただ単純に、俺たちと遊んでいるような様子であった。
実は迷子だった、というのが嘘だったとか、ありそうな予感だ。
もしかして、ただの家出なのかもしれないと感じてきて、
それと同時に、もしも家出だとしたら。
別にそれでも、やることは変わらないかな、と自分の中で結論を出した。
遊びながら、探せばいい――、
気が済むまで、付き合うだけだ。
そして数分後、
イベント会場に着いたらしく、理々が屈んで、息を切らしていた。
考えてみれば、理々はまだ小学生だ。
小さな子供が抱えて走って、楽だと言える重さではないだろう。
ペンギンが二羽――、軽いわけがない。
とすれば、理々の拘束から抜け出して、自分たちで歩いて、
理々を楽にさせたいものだが……、しかしそれはできない。
勝手に歩いて――何度も言うが、
大人に見つかればアウトなのだから。
いまこうして理々に包まれているのが、最善であるのだろう。
できるだけ重く感じないようにさせたいと、試行錯誤して実行してみても、
結果は変わらず……、いや、だらん、と垂れるような、
おかしな体勢になって、逆に重くなってしまったようで――、
理々は俺の『楽にさせてやりたい』という気持ちに反して、
さらに俺の体を強く抱き――、そして、ぐっと絞める。
「暴れないで、いまちょっと疲れてる――そこで隠れててってば」
理々のためにやったというのに、俺の思いは届かない。
理々へ向けた俺の気遣いは、拒否されてしまった――。
望まれていないことを、まだ諦めずにする、
という、相手の意思を無視した行動を起こすのは、さすがに躊躇ったので、
俺はここで、ゆったりしていることにする。
理々が隠れていろ、というのならば、隠れているのが一番良いのだろう。
ひと休みを入れてから――、
しかし、ひと休みと言えるほどに、休んでいる様子ではなかったが。
理々が休めたと、本人がそう感じたというのならば、
俺がどうこう言うことではないだろう。
理々のタイミングで、
理々が思い描く順路の通りに、俺たちはイベント会場の中を、のんきに歩く。
ダンスパーティ――、
どうやらこの船には、日本人だけではなく、外国人も乗っているらしく、
というか、そもそもこの船がどこからやってきて、どこにいこうとしているのか……、
目的が不明なのだから、日本人以外がいたところで、おかしいわけではない。
それに、気になることがある。
やはり、この船には大金持ちが多く乗っていた。
有名人――、
名前を聞いただけで、すぐに顔が浮かぶ有名な人物が、たくさんいた。
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