expansion6 鳥鳥 その6

 聞こえたのは高い声。

 さっきの怒り狂った男性のような低い声ではなく。

 しかも、まだ幼い声であった。


 俺は無理やり目を開けて、前を見てみる。

 光が異常と言えるほどにまったく、視界に入ってこないことに気づく。

 どうやら声を発した誰かが、照明の光を遮ってくれているようで、

 眩しくはない。しっかりと、見えやすいのだが……、

 でも、見えやすいのは、いまの状況では、恐怖の方にしか働かなかった。


 顔がはっきりと分かる。

 それは、細部までしっかりと分かるから――。

 彼女の、少女の不安そうな表情――、

 こんな姿である俺に、本気で助けを求めていることが、分かってしまった。


 頼りにならないことは分かっているけど、でも、他に頼れる人がいないから、

 これに賭けるしかないかのような覚悟で、俺を見つめていることが分かった。


 ――本当に、まったく。


 ペンギンの姿の俺を、そんな目で見るなよ。


 目の前の少女――、体の大きさから判断すると、

 幼稚園児ほど小さくはなく、

 それよりも少し大きい程度だから、この少女は小学生なのだろう。


 小学生――、ペンギンに頼る小学生なんて、初めて聞いた。

 そこまで、切羽詰まっているということか。


 俺は薄れゆく意識の中で少女を見て、そして思う。


「……そんな目で見るなよ、助けたくなっちまうじゃねえかよ――」


 思っていることが口に出ていたらしく、

 そして、どうやら伝わっていたらしく。

 少女は驚いた表情を見せてから――、ふっ、と、優しく微笑んだ。



 いちど寝転がってしまったことで、起き上がることが困難になってしまい、

 やる気が一気になくなった。

 しかし、目の前にいる少女を、このまま放っておくこともできないし、

 それに、言ってしまえば、動きたくないと言っているが、

 このままずっと寝転がっているまま――というのも、できるわけでもない。


 すぐに移動しなければならない。

 この少女の助けの手を、強く握らなければならないし。


 だがそれでも、いくら心で思って、動かなければならないという事実が、

 俺の喉元に、刃として突きつけられているという状態だとしても、

 それのおかげで体が動くなんて奇跡、起こるはずがないのだ。


 だから乗り物が欲しかった――、

 それは、少女が俺と恋敵、二人(二羽?)を服の中、

 胸に抱えて隠し、移動するということで、解決した――。


 しかし、見ている人にはどう映るのか、この少女の姿というのは。


 胸が膨らんでいるので、一瞬、異常な巨乳に見えるかもしれないな。

 だが身長の低さ、幼さで、すぐに胸ではないと気づく。


 では、なにが入っているのかと、疑問に思うのが人間だ。

 まったくどうでもいいことでも、関心がゼロということはあまりない。

 興味がなくとも、視線は向くはずだ。


 そこで俺たち、ペンギンがいることに気づけば、

 少女が抱えているからと言っても、そう見逃すだろうか。


 この船は見たところによれば、やはり豪華客船だった……。

 名の通りに豪華で、乗っている人々は、誰も彼もが、お金持ちや有名人。

 ペンギンなんて清潔とは言えない動物が、自分の敷地内に入っていれば、

 間違いなく駆除するだろうし、そうできる金と権力を持っている。


 見つからないようにしてくれと願う――、

 この声が少女に届いているのか……いや、届いていないのだろうなあと思いながら、


 俺は少女の服の中に顔を隠し、

 薄く、向こう側が透けて見える服の内側を見つめながら、外の様子をうかがう。


「大丈夫なのか? バツ……、

 この子を親の元に帰すって言っても、

 困難なことが大量にあるぞ。それに、問題も山積みだ」


「俺だってできることなら危険なことはしたくないけどさ――、

 じゃあ聞くけど、恋敵、お前はあそこで、

 あの場所で泣いていたこの子を、見捨てることができたのか?」


 いや、と言い淀む恋敵――、答えを返せなかった恋敵だったが、

 しかし、俺には恋敵がなんて言おうとしているか、

 なんと思っているのか、手に取るように分かった。


 恋敵だって、見捨てることはできなかっただろう。


 さすがに、どれだけの用事があって、

 大事な、はずせない予定があったとしても。


 後回しにすることはあれ、だが、見捨てることはしないだろう――。

 見てみたいものだ、あの状況のこの子を、見捨てるその勇者のようなクズを。


「それで――、お父さんとはどこではぐれたんだ?」

「えっとね――」


 と、少女が指を顎に添えて、考える仕草をする――、

 小学生だというのに、なんだか大人っぽい仕草を度々する少女である。


 父親が大金持ちで、色々と、大人の世界に踏み込むことが多いのかもな。

 大人っぽい仕草を自然としてしまうのかもしれない――、

 職業病のようなものなのか、と、勝手に納得させる。


 それにしても、驚きだった。

 この少女、俺たちの言葉が分かるのだ。


 はっきりと、言葉も、意味も、込められた思いも、全て伝わっているのだ。


 さっきの怒り狂った男の時は、怒り狂っていた状態だったから、

 という理由があるのかもしれないけど、しかし、俺と恋敵が話しているところを見ても、

 相手の男は、驚くことがなかった――。


 怒り狂っていると言ってもだ、

 目の前でペンギンが話していたら、さすがに怒りも鎮まって、驚きに染まることだろう。


 それほどにまで、衝撃は強いはずだというのに。

 にもかかわらず、男は気づくことがなかった――。


 それは、俺たちの言葉――会話は、男には届いていなかった、ということになる。

 男にとっては俺たちが、

 ペンギンらしい鳴き声を発しているようにしか、聞こえていないのだろう。


 普通、と言えば、普通である、と言えるけど。


 だったら、俺たちの声が聞こえているこの少女は、

 普通ではない、ということになるんだけどさ――。


 それでも、普通なのだろう――、

 俺たちの声は子供だけに聞こえるのか、

 それとも、この少女だけに聞こえるのか。


 それだけでも確認したいところだった。

 けれど、確認するにしても、子供がすぐ傍にいるわけではない。

 いないのだから、確認しようがなく、どうしようもない。


 この子が特別……ではない、と仮定して結論を出せば、

 言葉が通じるのは、子供だけだろう――とかな。

 それは、まるでファンタジーだ。


 いや、体がペンギンになっている時点で、充分にファンタジーだが。


「――お父さんは部屋にいるはずなんだけど、でも、

 そのお父さんの部屋というのがね、まったく分からないんだよね」

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