expansion5 鳥鳥 その5
「おい、バツ印……なんか足音が聞こえないか?
しかも、こっちに向かってくる――っ、まずい、確実にこっちにきてるぞおいッ!」
「だな、ただ、そんなことを言われても……」
そうなのだ、そんなことを言われても、もう詰んでいる状態だ――。
あとは部屋の持ち主が扉を開くだけで、自然の成り行きに任せるだけで、
部屋の持ち主が俺たちを視界に入れるだろう。
もう遅い。時間の問題だ。
扉が、開く。
荷物の雰囲気からして、男性かと思っていたが、
しかし部屋に入ってきたのは、予想外に、女性であった。
笑顔で入ってきた女性は俺たちを見て、すぐに表情を歪ませる。
驚きもあったのだろうけど、だが、部屋に得体の知れないもの――、
ただのペンギンなんだけど……いや充分に怖いか。
……が、侵入しているのを見て、すぐさま叫び声を上げる。
その叫び声が合図だ。俺と恋敵は、なんの打ち合わせもしていなかったが、
次にどういう行動をするべきか、頭の中できちんと決まっていた。
そして実行に移すことができていた。
全速力で駆け抜け――、
それはもう、体の構造を無視して飛べるかもと思えるほどだった。
さすがに飛べはしなかったものの、だが、
俺と恋敵は、叫んでいる女性の股の下を、通り抜けることに成功する。
すると、女性のうしろにもう一人。
この女性の知り合いなのか、男性が立っていた。
女性の知り合いではなく、この部屋の持ち主か。
男性の知り合いが女性だった、という方が、しっくりくる。
荷物は男性のものだった。
最初に部屋に入ってきたのが女性だっただけで……、恐らくは、
男性の方が、ここで知り合った女性を部屋に誘って、連れ込んだのだろう。
……たぶん、だけど。
そうこう考えていると、いままで唖然としていた男性の方も、冷静になっていたのか、
怒りの矛先を俺たちに向ける――、そして、追ってくる。
というか、待て。
確かに俺たちは部屋に勝手に上がり込んだが、でも、
だからと言って、中でなにかを盗ったとか、荒らしたとか、
そういう犯罪らしいことはしていないはずだ。
だから追われる理由はない、はず……。
ペンギンだからこそ、駆除される可能性はあるが、
しかし、たかがペンギンのために、全速力でこの長い廊下を追いかけてくるのだろうか。
俺だったら追いかけない――、
なにか、損な要素がなかったら、の話だが。
なにか損をすることが目の前で起こっているというのならば、
俺でも追いかけるとは思う――、まあ、ものにもよるけど、
その、損のレベルによる。
損をするなら、俺でも追いかけるだろうな。
ならば、その損を俺たちが持っているとすれば、
男が追いかけてくるのも、まあ分かる。
……ふうむ、その損というのが、全然まったく分からない――。
なぜあんなにも必死に追いかけてくるのだろうか。
俺にはまったくと言っていいほどに、分からなくて。
あまり人に頼ることはよくないことだと、昔から言われ続けているが、
……今回ばかりは仕方ないと割り切って、隣を並走する恋敵に聞いてみた。
その寸前で、
俺は隣を走る恋敵が手にしている物を、よく見た。
布。
紐。
……女性用下着?
「なあなあ、恋敵――、
お前が手にしているそれは、一体なんなんだ?」
「あん? おいおい、いまはそれどころじゃねえだろうが。
おれが手にしている物ってのは、知らねえよ、
咄嗟に掴んじまったんだから知るか、なんでもいいだろそんなこと!」
なんでもよくはない。
だって、その手にしているものが、
あちらにとっての損だというのならば。
いま、そしてこれからもずっと手にしているのは、間違いなく間違いだ。
手を離せばいいと伝えることは簡単だが、
いまの恋敵は焦っていて、冷静さを欠いている――。
たぶん、上手く伝わらない、伝える術が見つからない。
あと、勝手に俺が思っただけだが、
恋敵は手にしているものを離せないのではなくて、
ただ、離したくないのではないのか……。
全てを理解していながら、理解していない冷静さを欠いた演技をし、
その手に持っているものを、あわよくば手に入れようとか――、
そういう変態的な行動に、衝動に駆られてやってしまったのかもしれない。
男なんてそんなものだ。
そんなものが、男なのだ。
「――待ちやがれ、このクソ鳥野郎ッ!」
そう俺たちに向かって叫ぶ男の顔は、
必死を通り越して、極限の状態……、
見るに堪えない表情をしていて、
いま部屋に残っている女性には、見せたくないような表情だな――と、
のん気にもそんなことを考えてしまう。
そろそろ、こちらとしても本気で休憩をしたくなってきた。
いままでは必死だったからこそ、
相手との距離をできるだけ開きたかったから無我夢中で走ってきたのだが、
余裕が出て来た分、こちらにも考える余裕が出てきた。
そこで考えてしまったのが、疲れだった。
疲れを感じてしまったら、もう忘れることはできない――。
さっきまでなんの連絡もなかった疲れ。
いまとなっては何回も何回もコールしてくる始末である。
うるさくてうるさくて、拒否したい気分だった。
しかし、このコールは危険を示すものだ。
簡単に、あっさりとスルーしていいことではないだろう。
だから少しの休憩を目指す。
そのためにはこちらがもっと速度を上げるか、
もしくは、恋敵が持っている、相手にとっての損を捨てるかのどちらか――。
選ぶとすれば、もちろん、相手の損を捨てることを選ぶけど……、
だがそうなると、今度は恋敵と戦うことになってしまう。
話し合うことは恐らく通用しないから、ここは暴力でいくしかない。
……分かってはいるが、恋敵相手に、暴力を振るえるのか、俺。
たぶん、できないな……、だから速度を上げることに集中した方がいいだろう。
と、俺が恋敵にそう通達しようとしたところ、
俺が恋敵を見た時、恋敵はもう走れないと言わんばかりに、疲労を体に蓄積させていた。
呼吸は乱れ、ふらふらと足取りが頼りない――、いますぐにでも倒れそうであった。
ちょうどいい、そこまで弱っているのならば、
俺の暴力とは言えない暴力を振るっても通用するだろう。
走りながらで、体がペンギンだからだいぶ苦戦したが、
それでも三回目の挑戦で、俺は恋敵の手に、チョップを入れることができた。
そのチョップによって、恋敵は手に持っていた女性用下着を落とす――、
同時に、相手にとっての損も落とす。
損が無くなったのだから、もう追う理由はない――。
相手もその思考にいきついたらしく、
これ以上、俺たちを追ってくることはなく、とぼとぼときた道を引き返していった。
さすがに一般客だから、駆除まで進んでやろうとは思わなかったらしい。
自分のために追っていただけだったのだ。
自分にはもう関係ないと分かってしまえば、関わることはしないで去る――、
人間なんてそんなものだ。これについては子供も大人も変わらない。
「恋敵、すと、すとっぷ……」
追ってきていないというのに、未だに走り続けている恋敵を呼び止め、
俺は地面に倒れ込む――、がくがくと足が震える。
手も、だらんと投げ出されている。
すぐにでもここから離れて安心して休みたいところだったが、
移動するのもだるくて、ここでこうして寝ていることがいま、いちばん楽であった。
人間に見つかってしまう可能性も、もちろんあるが、
それでもいまは休むことが最優先だった。
「もう、大丈夫なのか……?」
「ああ、お前が離してくれたからもう大丈夫だろうよ。
追う理由が消えたんだ、追ってくることはないだろうさ」
俺の言葉に、なぜかクエスチョンマークを頭の上に浮かべる恋敵――、
もしかして、自分が大きなブラジャーを持っていたことに、
本当に気づいていなかったのだろうか。
確かに、部屋にあった荷物の雰囲気は男性で、男性ものが多かったけど、
しかし中には、本当に一部だけだったけど、女性ものもあったのだ。
だとすると、男性と女性はここで出会ったのではなく、
元から一緒だったのかもしれない――、とテキトーなことを考えてみた。
答えなんていらない、すぐに思考を巻き戻す。
男性ものが多い中で、咄嗟に掴んだものが女性もの、とは思わないか――思えないか。
ならば仕方ない、というか、別に責めているわけではなく、
恋敵がブラジャーを持っていることは、どうでもいい。
言ってしまえば、もう過ぎたことなのだから、こうしてぐちぐちと言うのも違う気がする。
いまはこのまま、目を瞑って睡眠を取り……、
「んぅ?」
と、睡眠の邪魔をするように、声が聞こえた。
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