expansion1 鳥鳥 その1

 目が覚めたらペンギンになっていた――、

 とでも最初の一文に書いてみれば、面白そうな小説の冒頭にでもなりそうなものだ。


 だけども、もしもこれが現実だったとすれば、

 笑っていられるような状態だとは、さすがに思えないだろう。


 笑ってはいるだろうけど、笑うしかないだろうけどさ――、

 笑っている場合ではないということは、もちろん、分かり切っている。


 動くことはあまり得策ではないだろうな。

 でも、動かないことには、なにも始まらない。

 どころか、なにも始めることができないのだから、

 とりあえずは、動くしかないだろう。


 と、仮定を連ねてみた。しかし、勘違いしてもらってほしくないのが、いま――、

 俺はなにも、妄想を垂れ流しているわけでは、決してない。

 こんな、売れそうにもない小説の内容を、頭の中で繰り返しているわけではなく、

 現実を突きつけてみているだけなのだった。


 自分に、現実を、突きつけて。

 叩きつけて、認識させようとしている。


 体がペンギンになっているのだ、心が落ち着いているわけがない。

 だからまずは、この焦っている心を、どうにかして鎮めなければいけないわけだが……。


 だからこそいま、俺は脳内でこうして、

 ペンギンになった場合の仮定をしているわけである……。


 仮定、仮定、仮定をしていても、

 現実は、俺が思っている仮定通りに進んでしまっていて、

 針は、まったく、戻ることなく動いている。


 なにが仮定だ、仮定じゃねえよ、現実だよ。


 視界がいつもよりも低く、地面がすぐ近くにあって、

 手を伸ばして見てみれば、指なんて一本もなく、黒い羽があって。


 慣れていないために、体を動かすことが当たり前に難しく、

 動けば動くほどに、転ぶ回数が増えていく。


 地面が揺れているのも、転ぶ原因としてはあるだろう。

 それを抜きにしても、俺は転び過ぎていた――、

 横転して地を這って、まるで負け犬のようになっている。


 いや、ペンギンだけどな。


 しかし――、自分の体がペンギンになっていることも驚きだったが、

 というか、これが一番の驚きだった。

 俺は、いつの間に移動していたんだ?


 なぜ、ゆらゆらと揺れる、真っ暗な部屋の中にいるんだ?



「お、いたいた、こんなところにいたのか――、

 まさかと思って探してみれば、やっぱお前もここにいたのか、バツじるし



 視界の先にいたのは、背筋をピンっと、真っ直ぐに伸ばしたペンギンであった――、

 ペンギンが喋っていることにまず驚くべきなのだろうが、

 それ以上にまず驚いたのが、このペンギン、俺のあだ名を知っていた。

 しかも、いつものように、俺の名を呼ぶようにして。

 そう、流れるような作業で、その名を口にしたのだ。


 呼び慣れている感じ。

 そんな言葉を耳に入れた俺も、聞き慣れている様子である――。

 いつもいつも俺をそう呼ぶ相手は、一人しかいないだろう。

 あいつしか、いないだろう――。


「よお、恋敵こいがたき、で、合ってるよな? 

 こんな格好つけて言ってみたものの、実はまったく違う別の人、

 しかも知らないおっさん、イン、その辺にいた――とかだったら、最悪なんだけどさ」


「それはこっちも一緒だっての。

 すぐに自分がペンギンになっていることに気づいて、

 そして辺りをうろうろしていたら、もう一人の――、……ここは一匹の方がいいのか。

 いや、一羽か……まあなんであれ、ペンギンがいたんだ。

 お前じゃない可能性もあったんだけどよ、でも、おれはすぐにバツ印、お前だと分かったよ。

 一応、記憶があってな、

 おれがここで目覚める前、確か大学で、お前と一緒にいたような気がしたんだよ」


 だからお前だと思った――と、恋敵はそんなことを言う。


 恋敵の言う通りに、俺もここで目覚める前のことを思い出そうとしてみたけど、

 しかしなんだか、黒いもやもやみたいなのがかかって、思い出すことができなかった。

 なぜ、どうして、俺たちはペンギンになって、

 目が慣れたのか、薄暗い部屋の中にいるのか。


 謎しかない、いまの状況は絶体絶命ではあるが、

 でも、ニヤリとしてしまう状況ではあった。


 だって、考えてみれば、ペンギンになれるなんてこんな体験、

 何回の人生、何百回の人生、何千回の人生を――もっともっと人生を繰り返したとして、

 こんな体験ができるなんて、普通は一回もないはずだ。


 だからいまは、この状況を絶対絶命だと考えるのは、明らかに損だと言える。

 確かに元には戻りたいけどな、でも、なにもいますぐに戻りたいというわけではない。

 別に、明日でもいいのだ――。


 いまが一日のどの位置に、時計の針があるのかは予想がつかないけど、

 今日の一日くらいは、遊んでいてもいいだろう。

 自由に、飛び回っていいだろう。


「おい、バツ、ここから抜けられるぞ――、

 小さい隙間だけど、おれらのいまの姿、

 ペンギンだからこそ、入れる隙間だ。おれら専用だぜ、これ」


 恋敵は言いながら、隙間の中に入っていく――、

 さすが俺の親友、言葉にしなくとも、アイコンタクトをしなくとも、

 意思の疎通ができているらしい。

 あいつもこの状況を楽しんで、すぐに元に戻ろうとはしていないらしい。


 気が合うねえ、本当に。


 俺も恋敵に倣って、隙間の中に顔を突っ込んだ。

 中はさらに真っ暗。

 なにも見えずに、そのまま進んでいくと、顔面を壁にぶつけた。

 やはりスペースはあまりなく、狭いらしい。

 狭いし、しかも真っ直ぐの道ではなく、

 段差や、上に跳んだりしなくてはならない場合もあり、

 ペンギンの体だからこそ、余計に疲れる作業であった。


「バツ、お前は、なにも覚えてないんだよな?」

「なにも、これっぽっちも、覚えてないよ」


 本当に、覚えていない――。

 でも、待てよ?

 大学? 真っ暗な部屋が――。

 って、また真っ暗な部屋か。

 しかし真っ暗だが、火……蝋燭の、火?


「真っ暗な部屋、か」


 と、恋敵がそう呟いた。


 恋敵もその記憶があるのか、と期待したが、

 俺自身が声に出してしまっていたらしい。

 思考がだだ漏れだった。


 だからこそ、恋敵は俺の考えを横取りして――と言うと、

 嫌なイメージがついてしまうが――記憶の断片の捜索に集中する。


 俺も考えてみる――。

 やはりというか、黒いもやもやがかかって、思い出せない。

 出せないが、でも、さっき挑戦した時よりは、もやもやは少ないように感じる。

 気のせいと勘違い、些細な気持ち程度の変化なのだろうが、

 でも、この変化は、俺にとっては大きいものであった。


「もしかして、サークル?」

「それだ!」


 俺の言葉に反応して、恋敵が自分の手で――いや羽で、俺をぺしぺし、と叩く。

 痛くはない。痒くもなんともないが、うざいなあ。


「そうだ、思い出したっ――おれとお前は、『オカルト研究会』に呼ばれて、

 無理やり見学させられたんじゃねえか! 

 そこで、真っ暗な部屋で、おれとお前は変な儀式をさせられた。

『ちょっとでいいからー』とか、『なにも起こらないよー』とか言いながらだ! 

 ――ああ、くそッ! 思い出してきたぞ、思い出してきたっ! 

 あの女、あの嘘臭い女め……、次に会ったらただじゃおかねえぞッ!」


 恋敵が、可愛らしいペンギンの姿で、

 いま、この場にはいない他人の悪口を言っていた。


 ペンギンがそんなことを言うなよ、

 子供が見たら泣いちまう光景だぞ。


 と、自然とここで疑問が出たが、俺たちはペンギンだ――、

 俺と恋敵で、言葉は通じているが、俺たちの言葉は、さて、人間に届くのだろうか。


 届けば、元に戻るための過程が、すごく楽になるはずだが、

 その逆ならば、楽が反転し、厳しくなる――。


 それに、部屋にペンギンがいるというのは、実際、どうなのだろうか? 

 いいのか、悪いのか。

 見つかれば保護されるのか、それとも駆除されるのか――、

 二つの可能性のどちらも嫌なので、結局、逃げることになるのか。


 逃げずとも、ようは、見つからなければいい。

 勝負を始めなければ、負けることがないのと同じだ。

 見つかればアウト、と思って行動しておいた方がよさそうだ。


「バツ、見えたぞ――光が見えた。

 さっきのところは、恐らくは、物置きみたいなところだったんだろうな。

 いまから見える場所は、客室――、船の中か?

 大きそうだな……、豪華客船レベルかもな。


 ここがどこなのかまでは、船の全てを把握しているわけじゃないから分からないけど、

 ここからスタートでいいんじゃねえかな。

 戻るための努力と、遊ぶための努力のスタートには、お似合いじゃねえか」


「……ああ、そうかもな」


 真っ暗闇から、突然、現れた光に目をやられて、

 俺は両目を反射的に閉じながら、恋敵の言葉に返事をする。

 テキトーに返したような返事になっていないか、

 少し気になったところではあったものの、


 それよりも俺の意識は、別のところに飛んでいた。



 あれ――。


 目の前にあるのは、大学?

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