1×17=「《医院》における唯一の“絶対”」


「こぞって怪我をする、お前たち《カルテット》のような人間が僕は嫌いだ。

 だが、だからといって治療を放棄するということはないから安心するがいい。お前たちが嫌だやめろと喚いても、完全完璧完膚無きまでに完治させてやるから覚悟しろ」


「……ぬぇ? 嫌われてるでしょ?」

「……は、はは……」

 完膚無きまでに完治。これほどまでに矛盾を内包した断言というのも珍しい、と、乾いた笑いを零すことしかあたしにはできなかった。

 診察室である。中にいたのは、《カルテット》を《大馬鹿者御一行》と呼びならわした、土気色と見紛うほど顔色の悪い男のお医者さんが一人と、女性の看護師さんが一人。促されるがままに男性の前の椅子、患者用のそこに腰を下ろせば、黒の不愛想な眼光がきらりと光を帯びた。この人が、今日の目的の人ということらしい。

「初診だな。僕はアスクレピオス、医神だ。ここの《院長》をしている。患者、名前を」

「あ、えと、……はい。御津、っていいます」

 いしん。聞いて、「医神」のことだと理解したのは五拍くらい置いてからのことだった。理解するにはしたが、納得には程遠い。

 撫でつけられた黒髪に、愛想の無い黒瞳、そして纏った白衣と、蒼白を通り越して死者一歩手前とでも言うべき顔色の悪さだけを除けば、彼の容貌に特徴らしい特徴は見当たらない。中肉中背、ただ立っているだけで目を惹く《カルテット》の彼らを見慣れていたせいか、特筆すべき部分の無い彼のその「医神」だとかいう自称はいやに怪しく。

「苗字、ファミリネームは不明と。記憶障害か。機能的なものか心因性のものかは検査の結果次第だな。他、体調に異変は。痛いだとか、熱っぽいだとか」

「ええと……昨日、肩を思いっきり打っちゃって」

「その湿布の部分か。検査の後で診よう。他」

「うーんと、それ以外は特に……だるいとか、そういうことも無いですし」

「そうか。元気で結構。《カルテット》の連中はどいつもこいつも裂傷やら擦過傷やらを大量にこさえて来院するからな、それに比べれば打ち身などと可愛いものだ。とはいえきちんと治してやるから心配は不要だ。僕は軽傷であろうと軽症であろうと軽んじることはしないし、放置するということも許さない。医者だからな」

 ……ただ、本当に、悪い人ではないようだった。レオさんが「抜きんでて優れた」と表現していたことにも十分頷ける。頷けるが、それと同じくらい、いや、それ以上に、かなりの変人らしかった。

 それからも立て板に水と一方的に浴びせかけられる問診に、あたしは戸惑いながらもどうにか答えていった。その大半のことについては失われた記憶の範疇で、「覚えてないです」「分からないです」としか答えようがなかったものの、彼がそれに対して顔色を赤く変えるかといえば、決してそうではなかった。

 ただただ、淡々。必要な情報を必要な分だけ。人間、尋ねかけられて曖昧な返答しかできない時とは否応なく後ろめたく感じてしまうものだが、彼の勢いはこちらがそう考える暇さえ許さないとすら言いたげだった。

「────ふむ。分かった。これで一通りの問診は以上だ。彼女についていけ、この奥だ」

「わたくしたちはついていけませんが、ここで待っていますから」

「痛いことはされないよ、大丈夫。ただの検査さ。りらっくすして、いっておいで」

「は、はい……。いってきます」

 どうしても不安が拭えず、あたしの後ろに佇んでいた二人を見上げれば、鮮やかな紅と細められた瞼がにっこりと微笑んだ。それにいくばくかの安心を得て、あたしはおずおずと立ち上がる。院長を見て、一つ頷かれて、看護師さんについていけば、……その後はもう、怒涛のようだった。

 着替えを指示され、小さな更衣室のようなところで薄い緑の簡素な服に着替えてから、複雑怪奇な装置の並ぶ部屋へと通された。小さな四面体が宙に浮いてくるくると回るガラスの球や、液体によって満たされ幾本も並ぶ巨大な筒などを眺めながら、色んなコードを体中にくっつけられては外されてを繰り返した。時間としては小一時間ほどだったのだろうが、終わるころには既にもう疲労困憊だった。

 ぷしゅううう、と気の抜けた音を立てて検査室の扉が開かれる。どうにかこうにか更衣室で元の服に着替えて、看護師さんに連れられて診察室へとふらふらで帰ってくると、あたしの姿を見たレオさんと遥さんが「まあ」「おや」と揃って目を瞬かせた。二人は、あたしが出ていく時と違って脇の診察用と思しきベッドに並んで腰かけている。

「おかえり、お疲れ様。げっそりしてるぬぇ」

「なんか…………すごかった…………」

「ふふ、普通はそうですわよね。よく分からない機械ばかりで、大変だったでしょう。こちらにお座りなさいな」

 レオさんのたおやかな手が、あたしが先まで座っていた回転椅子をするりと指す。こくんと頷いて腰を下ろし、改めて対面の院長に視線をやれば、彼は脇の机に置かれたモニターを注視し────次いで、こちらを真っ直ぐに見た。

 倒れそうな顔色の中に、瞳だけが強烈に光を湛えている。

「検査の結果を見ても、取り立てておかしいところはない。身体機能は全て正常だ。星力の吸収能力だけが著しく特化されているという点を除けばな」

「それは、異常ということではないのかしら」

「違う。『異常』とは、人体の設計を無視した数値のことだ。脈拍、血圧、酸素濃度。全て人体が有する数値には、然るべき“幅”がある。それを上回るか下回るかした時、僕たちは初めて『異常』と呼ぶ。

 患者、お前はその幅自体が上振れているんだ。ゆえに、『異常』とは呼べない」

 幅自体が上振れている。いまいちピンと来なくて、あたしは素直に首を傾げた。それは幅を上回ることとどう違うのだろう。疑問が顔に出たのか、彼は────先生は「ふむ」と一つ頷く。

「水風船のようなものだ。容量を超えれば、弾け飛ぶ。だが、お前はその容量自体が並外れて大きいんだ。そういう設計、いや、まさしく規格外の規格、というべきか。長いこと医者をしているが、こんなパターンは初めてだ」

 そう言って、彼は手元のカルテに目を落とした。そこに羅列されている言葉と数字の意味はあたしには分からないが、どうやら並外れているということだけは確からしい。

 ……でも、レオさんと同じ「水風船」の例えをここでまた聞くとは思わなかったな。

「ってことは、彼女は当面は大丈夫ということなのかい? レオちゃんの見立てだと、保って一ヶ月というところらしいけれど」

「いいや、エレオノーラ・エーデルシュタットの見立てはすこぶる正しい。《眼》を持つだけはある。容量も並外れて大きいが、それよりもなおもって規格外と言うべきは吸収量だ。取り込む量が多すぎて全く排出が追い付いていない。まるで意図的に調整でもされたかのようなバランスの悪さ。これではおおむね一ヶ月、いや、あるいはそれよりも短いかもしれない。

 こんなこと、医者としては言いたくは無いが────“どうして今まで生きていられたのか不思議なくらい”、というのが正直な感想だ」

「…………、」

 ついに、お医者様にまで生存を驚嘆されてしまった。常に一定のペースとトーンを崩さない蒼白の鉄面皮が、直ぐに差し向ける眼の中に少しの翳りを落とす。

 あたしだって、死にたくなんかない。それも、苦しんで死ぬのか、静かに死ぬのか、どんな死に方をするのかさえ定かではないとあればなおさらだ。気配だけをにわかに漂わせる死神にずっと付きまとわれて、しかもその凶刃が、日を追うごとに一歩一歩と近づいてくる────そんな幻が脳裏を覆いきるよりも前に、彼の瞳に先までの硬質な光が取り戻される。

 垣間見えた人間味を追い払い、誰が何かをいうよりも早く、その薄い唇が「しかし」と反論を口にした。

「何度も言うが、僕は医者だ。多少患者の規格が人間の枠を超えているからといって、治療を投げ出すようであればそんな肩書きなぞとうに捨てている。それを言うのであればお前たちカルテットはどいつもこいつもその類だ。全く人間を何だと思っているというのか、僕には分からん」

「……めちゃくちゃに言われていますけれど? 遥」

「いやあ、私は範囲外でしょ。《妖怪》だし……」

「口答えをするな。傷を負えば死ぬのだからどちらにせよ同じだ。────とにかく、今後も通院は続けろ。患者、お前の体の限界が来る前に、どうにかして改善、ないしは延命の手段を見つけるぞ」

 まるで躊躇いの無い、いっそ気持ちの良いほどの断言に、あたしは思わず目を丸くした。そもそもの構造からして人間の範疇を逸脱しているというのであれば、一体どう変えようがあるというのだろう。もしかしてアテがあるのかも、そんな希望を持って、あたしは俯かせかけた顔を小さく上げる。

「……できるんですか? そんなこと」

「確約はできない。医学に“絶対”は無いからな。ましてや初の症例で手がかりの一つもない状態だ。そう簡単にいくとは思うな」

「そう、……ですよね」

 わずかな期待も、ぴしゃりと突きつけられた言葉に見る間にしぼんでいく。“絶対”など無いはずの医療の総本山、おそらくは《帝都》の医学という医学の集積所であるここでさえ手がかりの一つも得られないのなら、一体あたしはどうすれば良いのか。

 このまま、まんじりと一ヶ月後を待つしかないのか。そんな諦念に呑まれかけた時────「だが」と、変わらぬ声が耳朶を打った。


「“絶対”がないのは、『一ヶ月後の限界』という事象にも適用される。どんなに最高の医療を施しても人は死ぬ。だが、“何をしても必ず死ぬ”ということもまた同様にあり得ない。

 僕たちは諦めない。どんなに絶望的でも取れる手段は全て試す。それが僕の信条であり、この《医院》における唯一の“絶対”だ」


 硬質な光は、さも当然であると言わんばかりにさらりと告げた。“絶対”など無いはずの医術の最高峰、しかしその中でただ一つだけ、確かなものとして掲げられた理念。

 『“絶対”にお前を見捨てない』という言葉の強さは、そして重みは、きっと軽々に口にできるものではない。生かすために腐心する彼らは、その陰でより多くの「死」を見てきているはずなのに────どうしてそこまでの堅い決意を抱けるのか。

 不思議に思って、興味を惹かれて。はい、と頷こうとしたところだった。


 コンコン

「先生、入ってもよろしいでしょうか」


 知らない、男の人の声だ。おそらくはここの職員だろう。《院長》である男はその声にふっと目を上げ、

「今は診察中だ、後にし────雲通遥?」

 音も前触れも無く、遮るようにして遥さんが席を立った。その手には、いつの間にか鞘に納められた太刀が握られている。背中には山吹色の三つ編みがいつものように揺れて、……しかし纏う雰囲気が、どこかいつもと異なる気がして。

 遥さん、と声を掛けようとした時だった。

 診察室の扉が、がらりと開け放たれる。




 銀閃。


 ────────男の人の首が、舞い飛んだ。

 ぽかん、とするあたしたちの視界の中を、血のひと飛沫が横切る。




 それは、紛れもなく。

 遥さんの太刀が、人を殺した瞬間だった。

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終末カルテット+1 聖木澄子 @erisie

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