第2章

1×16=「大馬鹿者御一行」


 デパート襲撃の一件、改め「九竜館襲撃事件」から一夜明け────あたしは、レオさんと遥さんに連れられ、ある場所に訪れていた。

 それは《帝都》──この周辺の地域一帯を、《再編》以前の地域名になぞらえてそう呼んでいるらしい──の中でも最大の規模を誇る医療施設であり、レオさんが語るに「自称神様の根城」という何やら怪しげな場所であり。



 そして何より、天を衝く巨塔だった。



「はわあ……」

 あまりの巨大さに、気と間の抜けた声が半開きの口から漏れた。《カルテット》の家から商業区側に少し離れたところ、ちょうど九竜街との中間地点にあたる場所に聳え立つ白く細長い塔だ。大小さまざまなビルが並んでいる町通りの中に、突然テイストの異なる建造物がどでんと鎮座する様は、嫌でも人目を引く。

 とはいえ、その周囲を行き交う人々にとっては最早日常らしかった。その頂点を見出そうという首を限界まで反らしての試みは全く意味がなく、それどころか頭に乗せたままの帽子が危うく後ろに落ちかける。

「痛っ、」

 掌を慌ててばたつかせた拍子に、湿布に覆われた剥き出しの右肩に痛みが走る。昨夜闇の暴風を突き破って進んだ拍子に、床にしたたかに打ち付けた箇所だ。痛みに顔を顰めている間に、すかさずあたしの帽子を抑えてくれたのは、同伴していた遥さんの手だった。

「大丈夫かい? まあ、最初はびっくりするよぬぇ。これが医療施設なんて言われても、いまいちピンと来ないだろう?」

「う、うん……ありがと、遥さん。それに、《カルテット》のお家からこれが見えなかったのも、なんとなく不思議で」

「良い着眼点ですわね。ここはある種、《帝都》の生命線とも言うべき場所です。襲撃など不測の事態に備えて、普段は迷彩カモフラージュが施されていますの。この建物自体が、一種のまやかし、幻のようなものですわね」

 右隣の遥さんに次いで、あたしの左隣のレオさんがそう補足してくれた。なるほど、とあたしは一つ頷いて、ここに至るまでのやりとりを思い返す。

 この来院自体は、あたしの体質────星力マナの循環を上手く行えない特質のために、元々予定として組み込まれていたことではあったらしい。本来ならば鮮ちゃんや艫居さんも来るはずだったのだが、鮮ちゃんは学校。艫居さんはお仕事ということで、お休みのレオさんと遥さんが同伴してくれたのだった。

「……でも、艫居さんはほんとは来なきゃいけないんじゃなかったっけ。鮮ちゃんはともかく」

「ええ、昨日の傷がありますもの。いくら彼が丈夫だとて、傷を放置して良いわけではありませんから。────と、言い聞かせて大人しく来てくれる方なら、わたくしたちも手を焼いてはいないのですが」

 その細やかな指を顎先に当てて、ふう、とレオさんは溜息を一つ。そんななんてことのない仕草の一つ一つでさえ際立って洗練されていて、まるで絵画や映画の中の人のようだとあたしはいつも思う。

呵々カカ。艫居くんも男の子だからぬぇ。それくらい元気な方がいいんじゃないかい? 我慢して痛いのは彼自身だしさ」

「……意外。結構冷たいんだね? 遥さん」

 昨日から見るに、ずっとにこにこと優しげに微笑んでいるばかりの遥さんの、少しだけ突き放したような言葉。それが意外に思えて、あたしはその緩やかな長身を見上げた。

 良く晴れた空を背後に、その表情は変わらずに穏やかだ。不思議な色彩の眼を糸のように細めて、彼女はくすりと一つ笑みを零す。

「女の子でなし、子供でなし。彼も私にとってはまだまだ子供のようなものだけれど、意地を張るのも男の妙だと思えばまあ、その気持ちも分からなくはないし……」

 手傷の一つや二つ程度で弱音吐いてるとこを、年下の女の子に見られるのはなかなか堪えるからぬぇ────と、彼女はのんびりと零した。

 その言い振りは、まるで自分が男性であるかのような物言いだった。いや、確かに、女性にも男性にも見える風貌は、どちらと断ずるにもやや自信を得難いものではあるのだが……どうだろう、それを本人に真正面から問うのは、なかなかに無礼で失礼なことではなかろうか。そう思って、ずっと疑問を呑み下してしまっていたのだった。

「さ、中に入りましょうか。予約はとってあるから、すぐ通してもらえるはずですのよ」

 先頭を歩いていくレオさんの真っ直ぐな背中を追う。艶やかな桃色の髪がふわりふわりと揺れるのにとことことついていけば、ついにその先、天に聳える塔が口を開いた。

 中を窺わせない重厚かつ巨大な両開きの扉が、レオさんが近付くだけでひとりでに動き出す。それは見た目の重さを感じさせないスムーズな動きで「ぱかり」と開いて、迎え入れるようなその中にあたしたちは足を踏み入れた。


「────広っ!?」

 そこにあったのは、広大で長大な空間だった。

 他に、言い表す言葉がない。


 行って帰るだけで息が切れそうな広さの待合室。正面の大きな受付には看護師さんが五人、等間隔に座っていて、その左右向こう側にはやけに開けた芝生が見えた。中庭なのか遠目には小さな木立も見えて、おそらくは入院中なのだろう子供たちがその周囲を無邪気に走り回っている姿も見える。ただ吹き抜けになってはいても空調自体は保たれているのか、突風が舞い込んでくることもなかったし、肌寒さや暑さを感じることも特段なかった。

 ただ、問題はそうではない。いや、問題はそれらを含めた「全て」だというのが正しい。外観と内観で、あまりにも広さが食い違っている。天を突くように遥か蒼穹へと続いていた尖塔の内部が、まさか首の左右可動域に喧嘩を売ってまで見回しても全貌を把握できないなどと、そんな事態があるわけがない。

「呵々、まあそういう反応になるよぬぇ。若者の驚く顔は可愛いものだ」

「かわ……いや、そうじゃなくて……! この広さはどう見てもおかしくない!? だって、見た目はただの塔だったんだよ?」

「ふふ。たいてい、ここを初めて訪れた者はそう言います。あの扉を境にこちら側は、ちょっとした『異空間』になっていますの。なので外観からの推定は全くアテになりませんわ。詳しくは、これから会う《院長》に説明を願いましょうね」

 くすりと、艶冶が淑やかな笑みを零す。まるで得心は行かぬまま、しかしこれ以上ここで騒ぎ続けるのも他の人たちの迷惑になるだろうと考え、いったんは動揺を頭の隅に置いてあたしたちは受付に赴く。

「検査で予約しておりました、《カルテット》です。《院長》に目通り願えるかしら」

 真正面の受付。女性の看護師さんが近付くあたしたちに気が付いて、その静かな面差しを上げた。瞳が、レオさん、遥さん、そしてあたしを順繰りに見やって。

「お待ちしておりました。ご予約は承っております。こちらの診察室へどうぞ」

 そうして差し出された予約票の宛名には、「《大馬鹿者御一行カルテット》様」と記されてあった。ご丁寧に、ルビまできちんと振られている。

 ……、なんなんだろう、この、敬意があるんだかないんだか、何処となく呆れられているような馬鹿にされているような感がひしひしと伝わってくる字面は。

 説明を求めるように、あるいは縋るようにして看護師さんを見つめるも、しかし返ってきたのは、

「そう呼ぶように、《院長》より仰せつかっております。ご理解ください」

 何を理解しろというのだろう……表情一つ揺らがぬにべもない言葉に、あたしは困り果ててレオさんを見上げた。こんな呼び方をされて、彼女たちの気に障ったりなどはしないのだろうか。というかそもそも、仮にも客に対して「大馬鹿者」という呼び名を用いるのは、公共機関として流石に如何なものか。それとも、これがここの“普通”なのか。

 困惑し倒していると、レオさんが少し眉を下げ、苦笑と共に「行きましょう」とあたしの背を押した。まあ、このまま受付の前を居座るわけにもいかないからと、渋々あたしたちは歩き始める。

 受付を正面に右折して、中庭を左手に回廊を先へと向かった。とてつもなく広い施設だ。中庭から覗く柔らかな日の光が、白を基調として清潔感に満ちた内装にまで零れ落ちてくる。幻想的ながら、これを実現している原理などにはとんと見当もつかない。

「ここの《院長》は、……やや、いえ、結構、変わった方ですの。偏屈……ええ、抜きんでて優れたお医者様であることは保証します。するのですけれど……少し、過激というか」

「……過激?」

「まあありていに言えば、嫌われてるんだよぬぇ私たちは。こういう仕事で、こういう組織だから、生傷絶えないし。医者からすれば、一ヶ月にいっぺんの頻度でそれなりの傷をこしらえて笑いながらやってくる患者なんて、『ふざけるな』の一言も言いたくなるものだろうから────おっと、ここだぬぇ」

 回廊を抜けて、中庭が終わる。そうしたら左折して、ちょうど受付の反対側に位置するであろう扉。その前で立ち止まったレオさんが、ノックしようとした────その瞬間だった。


「よくわかってるじゃないか、雲通遥。────さあ入りたまえ、検査の時間だ。予約患者の《大馬鹿者御一行カルテット》」


 診察室。多種多様な器具が設置されたその真ん中、机の前に座してこちらを迎え入れたのは、やたらと顔色の悪い、普通の、一人の男の人だった。

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