1×14=「押し殺してでも」

 二階より上、三階と四階を無事に制圧し終えたあたしと艫居さんは、五階に向かっていた。二階での一戦は既に上階にいる敵たちにも伝わっていたらしく、彼らの注意は主に西側────艫居さんが突入する側に向けられていたから、あたしはむしろ二階よりも楽だった。

 流石に、“侵入者”への対応で手一杯な彼らには、ほぼ音も無く液状化した東側の非常扉に気付く余裕などなかったのだろう。

「おらおら、とっとと降伏しろッ! 手前らはもう賭けに負けてんだ、潔く掛け金全部出すのが筋ってもんだろうが、ええ!?」

 物陰に潜み、影に紛れるようにして近付く機を窺っていると、火花が散る音や銃声に紛れて艫居さんの挑発が頻繁に宙を舞う。

 傍から聞いている分にはすこぶる高慢で高圧的な物言いだと思うが、振るう数多の光は正確無比だ。まさしく魔弾、デタラメに思える軌道が弧を描き、寸分違わず闇をあるいは銃器を射貫いていくから、黒衣の男たちは一歩たりとも彼に近付けずにいた。

「往生際が悪いってんだよこっちはッ! こっから下の術式はもう全部壊した、手前らにゃ勝ちの目はもう一切残ってねえんだよ盆暗共!」

 ……が、本当に、聞いているだに柄が悪い。ある程度話してその人となりを知っていたから堪えられていたものの、彼のそのよく通る大音声はやはり少し威圧的で、分かってはいても響く度にびっくりしそうになる。

 それらはあくまでも、あの黒衣たちの気を引き、自分に向け続けるための「作戦」なのだと最初は思っていたのだが。

『前に出る時はいつもああですのよ、彼は。うちは皆それなりに口が立つ者ばかりですが、彼はいちだんと挑発に長けているんですのよね。駆け引きを、そうやって上手く運ぶんでしょうけれど』

「……ちょっと怖いなあ」

『否定はしませんわ。筋の通った真っ直ぐな方ですが、そこが瑕ですのよね』

 妖精越しにぽそぽそとレオさんと話していれば、ちょうど動く隙ができた。術式のすぐ傍の陰、項垂れる客たちを「もうちょっとだから」と励ましたくなる気持ちを必死に抑えて、あたしはペンを握りしめて近付こうとする。

 その時だった。

「ここまで来て、退けるものかッ!」

 黒衣の一つが翻る。魔弾を掻い潜るようにして大きく動いた一人は、しかし艫居さんの方に向かうのではなく────足元で光を放つ術式、その中へと踏み込んで。



「────主よ、堕ちよ、奏でよ、然らば此処はエデンの園となる────帳が下り、黒に包まれ、手繰る主のその御許に寄りて、我ら頭を垂れ傅き全てを捧げようッ!」

 四つあるうちの三つを破壊され不完全になったはずの術式が、しかし励起を強いられて周囲の闇を震わせた。

 それはまるで、振った指に絡めとられるが如く。立ち込めていた暗闇が、フロアの隅に蹲っていた暗黒までもが、術式を中心として吸収され、収束していく光景だった。



『────────拙い』

 轟、と渦を巻く奔流に慌てて帽子を押さえながら、あたしは傍らの妖精を見上げる。その小さな口から零れたレオさんの艶美な声は、今までの悠々でなく何処か張り詰めた雰囲気を纏っていた。

「まず、いの? でも四つの内、三つは壊したんじゃ」

『最大出力でなくとも、一つが起動しただけで破壊は免れません。しかもこれは、意図的に暴走させられている────何が起きるか、最早誰にも分からない』

 曰く、世界を滅ぼすために用意された破壊の術式────そのうちの一つが、不完全ながらに無理矢理叩き起こされ、稼働させられている。せめて何か一つでも成し遂げるためにと、あの男はその叫びの通り強引に計画を強行したのだ。

 その自暴自棄が一体何をもたらすのか、それはもう誰にも予想がつかない。

「くそが、厄介なことしやがって……ッ!」

 艫居さんが指先から光弾を撃ち出すも、それらは術式の中心点に届く前に呆気なく掻き消されてしまった。渦巻く闇はさながら台風、立ちはだかる壁としてこちらとあちらを隔て、光り輝いていた陣の輝きも取り残されていた客たちも姿を捉えることは出来ない。もちろん、この事態を引き起こしたあの男の姿も。

 びりびりと拒むような黒が全身を打ち、余波の圧迫感だけで息が詰まりそうだった。

 黒衣の男たちは銃をあっさりと捨て、剣を取り出して艫居さんが進むのを阻もうとしている。この視界の悪さでは互いを斬りつけてしまうのではないかと思うが、視界を確保するための手段を講じているのかもしれないし、あるいはそれすら厭わないほど……彼らは、追い詰められているのかもしれなかった。

 間近にいたあたしはといえば、引きずり込まれないよう踏ん張るので精一杯だった。艫居さんが応戦している以上、“儀式”を止めるために動けるのはあたししかいない。だが術式が見えなければ壊すべき箇所も分からず、そもそも今から壊したとて間に合うのかどうか。

 迷いが足を掴んで、惑いが胸を締め付ける。レオさんが向こう側で指示を飛ばしている声が聞こえたが、動揺と混乱が酷くてその内容までは汲み取ることができなかった。

「(どうしよう、どうしよう。あれに飛び込んで、無事でいられるのかどうかすらも分からない。でも、艫居さんは戦ってる……ここであたしが動かなきゃ、)」

 せめて────せめて、あの時のように、切り拓くための“何か”が見えれば。

 数日前の戦闘が思い出される。初めて《カルテット》の面々と出会った日、あたしはその戦い様を見た。抜きんでた力を持つ彼らのことを、「助けたい」だなんておこがましいかもしれないけれど……それでも、たった一助、ほんの少しのきっかけでももたらすことができたならと開いた視界は、眼を刺すように眩しくて。

 また、あの視界を得ることができたなら。

 きっと、突破口は開ける。


 できるのか? いいや、やるしかない。

 痛くとも? それでも、やるしかない。

 「知る」とは、「得る」とは、きっと痛みを伴うもの。なれば今こそ、押し殺してでも一歩を踏み出す時だった。


「────────お願い……っ!!」

 ぐっと目を凝らす。最早影に留まることさえ忘れて、ただただその黒く竜巻く旋風、壁のように立ちはだかる闇の帳へと意識を集中させる。

 早く、早くと急かす心を追いやって、ただあの時の感覚を記憶の彼方から必死に手繰った。

『……御津?』

 レオさんが妖精の向こう側で訝し気な声を上げる。集中を途切れさせないようにしながら、視界を通してあたしと繋がっているはずの彼女にぽつぽつと最低限のことを返した。

「レオさん……あたし、絶対見つけてみせる。だから、準備、準備────おねがい」

『……貴女』

 言葉は、続かなかった。やると決めたあたしの決意が伝わったのか、それとも単純にそれどころでなくなったのかは、一方的に告げて以降完全に集中を「視界」に回してしまったから分からない。

 艫居さんの方で交わされる戦闘の音さえ意識から弾き出して、吸えども吸えどもやむことの無い黒の突風をじいと見つめる。

 その流れの法則性。一見切れ目無く、飛び込めば粉微塵に粉砕されてしまいそうな強風の中でも、その乱暴な起動の仕方を思えばこそ、一寸の隙はあるはずだと信じて。

「(────まだ? まだ見えない? あの時の“罅”は……いや、それでなくても、なんでもいいから……ッ!)」

 でなければ、世界が壊される。

 そんなこと許せない、あたしはまだ、

 ────あたしはまだ、何もまだ見ていない!


 瞬きさえも厭わしくて、瞼が邪魔をする一瞬すらも苦々しくて、ただ焦燥が脳髄を灼熱させて。

 その瞬間。




 世界が、停まる。

 黒が濃淡を纏い、流動するその線の一本一本までもが色彩に描き込まれて。

 目が霞めば、それで逃してしまいそうなほどにわずかな隙間────黒に渦巻く壁に穿たれた一粒の砂にも満たぬ“穴”を、しかしあたしの瞳は、しかと捉えた。




 ────────見えた。

 捉えたのならば、。一か八か、ではない。たとえ可能性が一もなくたって、引き当てて握り込んで掴み取ってやると決めたのだ。

 徐々に徐々に速度を取り戻しつつある世界の中を必死に藻掻いて、影をまろびでて、ペンを固く握りしめて。もつれそうになる足を引き起こして、そして、叫ぶ。

「レオさんッ!」

『《蠍座スコルピオ》』

 怜悧な声が響くのと、時間が元に戻るのと。そして手にしたペンの切先が“穴”を貫くのは、ほぼ同時の出来事だった。

 突き立てた穴から引き裂くようにして、思い切り下に腕を振り下ろす。その間にも渦巻く闇の余波が手を、足を、肩を、頬を切り裂いて、灼けるような衝撃に痛覚を脅かされそうになりながらも────切り裂いたところを始点として、壁に更に大きな穴が開いた。ちょうど人一人分くらいならば通れるだけの、しかしすぐさま忍び寄る影が埋めんと欲するそこに、あたしはどうにか体を飛び込ませる。

「づッ……!」

 どさッ、という音を立てて、体が床に擦りつけられた。剥き出しの肩をしたたかに床に打ち付けたようで、打ち身の鈍い痛みと目の奥に残る焦熱の残滓に顔を歪めるが、状況が状況なだけに動きなど止めている場合ではない。

 取り残されたままだった客たちは意識を喪っているようで、皆一様に体を無造作に床の上に放り出して倒れ伏していた。ギリギリでその上に着地せずに済んだことを、あたしは幸いと見るべきだろう。

 中は密閉されているかのようにやや息苦しい。所狭しと敷き詰められた闇に慣れた目はびかびかと瞬きを放つ術式の光に一瞬眩んで────堪えてあげた視線に、映ったのは振り上げられる剣の切っ先だった。

「(────ッ、)」

 無理矢理に術式を起動した、黒衣の男だった。フードが後ろに飛び、露わになった顔には見開かれた瞳と剥き出しの歯が見えて、ああ、彼もまた必死なのだと理解して。

 間に合わない。想定して然るべき、しかしすっぽりと頭から抜け落ちていた可能性が、ただ現実感だけを置き去りに凶刃として現実に立ち上がる。ぎらつく銀が硬直する肉に突き刺さる情景を幻視して、恐れが疲労にまみれる体をきつく縛めた。

 凶刃が、ついぞこの脳髄に突き刺さる光景を幻視して────

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