1×13=「傾きたるは、報いを以て侍るべし」


 『九竜館』、その二階・東側非常階段外側にて。

 屋外に漂う夜風が少し寒い。あたしたちが中であれこれしているうちに外の人がどうにかしてくれたのか、建物を封印するように回っていた火はすっかり鎮火されていて、ぷすぷすと小さな煙が立ち上るのみだ。あたしがいるところは風上だったため、その煙が届くことが無いのは幸運だった。

 ノブに手を掛ける。ゆっくり回す。引く。開かない。いくら引っ張っても、何かにひっかかっているのか素直に開いてくれる気配はとんと無かった。十中八九、外から侵入できないように閉鎖されているのだろう。とはいえそれも想定済みである、これまたレオさんの魔法? 魔術? で強行突破する予定だった。

 なんというか、わりと《カルテット》の人は脳筋なのかもしれない、と思ったり思わなかったりする。まあ、それはさておき。

 扉越しに、微かにドン、パン、ドン、という騒音と怒号が聞こえた。艫居さんが突入し、場を攪乱している音だろう。ここまでは手筈通りだ。

『敵の数は六、七……全部で十。艫居ならお遊戯のようなものですわね』

 蠍の尾を持った妖精の少年は、今あたしの肩に乗っている。その小さな唇が紡ぐ麗しい声に、あたしもまた同じように声を潜めて返した。

「艫居さんの目も借りているの? レオさん」

『ええ。艫居だけでなく鮮と遥の視界も借りていますわ。もちろん、“仕事”の時だけだけれどね。────わたくしたちも行きましょう。覚悟はよろしくて?』

「もちろん。びっくりする準備はできてるよ」

『ふふ、未知を歓ぶ姿勢は好きよ。それでは、少し離れていてくださいまし』

 あたしが二歩下がると同時に、少年があたしの肩からふわりと漂い前へと進み出る。蠍の尾がちょん、と扉の中心に触れて、


『来りて冒せ、星の凶槍────《蠍座スコルピオ》」

 ジュ、と。

 滲むような音を小さく響かせて、目の前の鉄扉が一瞬にして溶け消えた。地面には、鉄の塊だったそれがすっかり液状になって溜まっている。


「……、わあ」

『溶けたものに毒性はありませんわ。ただ足跡になりますから、踏まないようにだけ気を付けてくださいまし』

 星の輝きを溶かし込んだとろとろとした液体を、細心の注意を払って踏み越える。艫居さんといいレオさんといい、やることのスケールがいちいち大きく毎回度肝を抜いてくるせいで、逆に驚かなくなってきた。驚きはするが、反応に出るほどではない、というような。多分、順応したということだろう。

 中は一階と異なり、あちこちに点在するランプ――おそらくは黒衣の男たちが設置したものだ――によってそれなりの明るさが保たれていた。とはいえそれがなかったとしても、艫居さんが繰り出す技の数々によって、目の前の光景はある程度明らかになっていたはずだ。

「《警察》だ、神妙に御縄につけッ! とっとと降伏しねえと罪状が増えるぞ!」

 パン、パン、と断続的に響く銃声と、その合間を縫うようにして這い回る黒い手のようなものが、多方から艫居さんへと忍び寄る。そのうちの一つが艫居さんの纏うロングコートの裾を掴みかけて────しかしあっさりと宙を舞う光の槍に貫かれ、呆気なく散っていった。

 光の乱舞の中、あたしもまた潜みながら術式へと近づいていく。床には服が吊るされてあったキャスターが乱雑に引き倒されていて、押し退けられたようにしてできたスペースには薄く発光する紋様が描かれてあった。その中には、おそらく中に閉じ込められた買い物客や店員だろう人間たちが十人ほど、怯えた表情をして蹲っている。手を後ろに回した状態で動かないことから、きっと逃げられないよう縛られているのだろう。

 あれだ。あたしが壊さなければならない術式とは、きっとあれに他ならない。今ならば黒衣の男たちはみんな艫居さんの方に集中しているから、あたしの方に砲火が及ぶことはない。あったとしても、きっとレオさんが防いでくれる。

 鉄火場に、巻き込まれたわけでは無く今度は己の意志で足を踏み出す────その恐ろしさが今更のように心を捕えようとしてくる。それらを全て振りほどくようにして、あたしは思い切って物陰から術式に近付き、跪いた。

『解析を始めます。構築と破壊が完了するまではここから動かないこと。艫居は貴女の位置も把握した上で全ての攻撃を引き受けてくれていますから、下手に避けようとしてはいけません』

 動揺して動けば、その分不測の事態で流れ弾を喰らう可能性が高くなってしまう、ということなのだろう。あたしが倒れてしまえば、妖精の誘導までもを艫居さんが行わなければいけなくなる。絶対にそんなことになるわけにはいかないと、あたしは無言で頷いた。

 艫居さんが引き受けてくれているからといって、何もないとは限らない。あたしもまたできる限りで周囲を警戒しようと面を上げれば、そこでは華麗な光を従えた艫居さんが圧巻の立ち回りを披露していた。

 発砲も怒号もものともしない。四方八方から伸びてくる黒い手を軒並み払い退けているのは、艫居さんがその指先で撃ち出す多種多様な形を模した光弾だ。わずかな光源のみが在る暗闇の中では、その輝きは一際強く目に灼きつく。赤に青に黄に緑に紫に、ちかちかと瞬くそれらは星というよりは光そのもの、閃光の迸りだった。色彩けざやかな瞬きは、ずっとこの中に閉じこもっていた黒衣の男たちの眼には何よりも強烈に映ることだろう。

「どうしたどうしたその程度か? 世界を終わらせようってえのに、そんな体たらくでいいのかよ手前ら!」

 その精悍な細面には、見る者を圧倒する挑発的な笑みが刻まれていた。いや、その企みをぶち壊してるのは今まさにあなたなんですけどね、というツッコミは言葉にせずに呑み込んでおく。

 彼の言葉と騒音に、うなだれていた人質たちも徐々に正気を取り戻し、不安そうに周囲を見回している。その中にはまだ十にも満たないだろう子供もいて、中空を疾駆する光に照らされたその幼顔には流された涙の痕が残っていた。小さな手が、どうやら親らしい女性の服を懸命に手繰って縋りつく。

 その恐怖を慮れば、胸が詰まるようだった。《怪物》などと意味の分からない化物でなくとも、人は簡単に人を害することができるのだ。それを向けられたときの恐ろしさは、きっと胸に深い爪痕を残す。

 だから、止めなければならなかった。

『────構築完了』

 レオさんの声に、あたしはすぐに少年の妖精へと視線を戻す。紅い瞳がこちらを真っ直ぐに見返していて、いよいよ貴女の番です、と言外に告げていた。

『術式とは、血管のようなもの。星力を滞りなく巡らせることで、望んだ結果を得るためのものです。破壊することは比較的容易く、しかし、ゆえにリスクが伴います』

 艫居さんの光弾も、レオさんのこの妖精も、突き詰めればそれらは星力だ。「力」である。力が溜められたところに不用意に罅を入れれば、暴発したそれらがどうなるかは分からない。だからこそ、レオさんが行ったように「解析」が必要なのだろう。

 そしてそれは完了した。あとはレオさんが示す手順に従って、あたしが壊すだけだ。少年が指差すところに従順に、あたしは淡々と手順を進め続ける。

 物陰に隠れながら所定の位置に移動し、しゃがみこむ。騒動のどさくさで零れ落ちたものだろう、あらかじめ拾って手に入れておいたペンを握って、妖精が指差す位置を確認し、────すう、と息を吸い込んだ。


「天に在り、地を引き裂く緑白りょくはくの爪。眼にならし、手にたいらげ、其は真を量る無窮むきゅうの天秤。傾きたるは、報いを以て侍るべし────!」

 ペンを、振り下ろす。頂点は寸分違わず文字の一辺を抉り取り────その瞬間、爆ぜ散るようにして雷が噴き上がった。



 バヂイッ!!



 暗闇を裂き床と天井を繋ぐ、紫色の稲光。それはたった一瞬の閃きだったけれども、術式が破壊されたと黒衣の男たちが知るには十分だった。

 術式に灯っていた光が急速に失われると共に、一斉に黒衣の男たちの視線がこちらに集まる。あたしの姿は彼らには見えていないはずだが、それでも十何対もの眼が同じ方向を向けばたじろいでしまう。早い幾人かは血相を変えてこちらに向かってくるのが見えて、今はもう掠れて読めなくなっている術式の痕にこのまま立ち往生をしているわけにはいかないと思いつつも、咄嗟のことに体が動かない。

「(まず────どっちに逃げれば、)」

 派手に動けば影であたしの存在がバレてしまう。あたしが逡巡している間に────艫居さんの行動は、既に完了していた。


 ぱちん


 光弾が闇の帳を引き裂き、残光のみを引き連れて全ての黒衣の男たちを打ち据える。先までの応酬などまるで児戯だとでも言わんばかりの物量が、正確無比に飛来した。一人につき三本から四本、それだけの質量にぶん殴られれば、大の男とて昏倒は免れない。一つ二つと頽れていく影は、まるで糸を切られた操り人形のようにも見えた。

「じき後続の部隊が突入してくる、其奴らが来るまでは下手に動くんじゃねえぞ。怪我が嫌なら手前らはここでおとなしく待っとけ。心配しなくとも、其奴らは当面起きん」

 艫居さんの言葉を聞き、人質にされていた彼らはひとまず安心したようだった。今まで自分たちを脅かしていたものが意識を喪ったことに加え、突然現れ圧倒的な力を振るった精悍な男性が助けに来た側であると分かった彼らに、しかし立ち上がるまでの余力は無いらしい。艫居さんが何も言わずとも、暴走が起きるような気配は無かった。

「あ、あの、あなたは……あなたはどうするんですか」

 その中でもいくぶんか気丈なほうらしい女性の店員が、おずおずと艫居さんに問いかけた。取り残されることになる彼らのためにだろう、明かりとなる光の球をいくつか配置してやりながら、艫居さんが答える。

「俺らは上に行く。とりあえず一つは潰したが、まだ複数個同じようなものがないとも限らねえからな。全部潰す。客や店員、取り残された連中はこれで全部じゃねえだろ」

「はい……私の見ていた範囲では、他の階に連れていかれた人はいませんでした。他の階も同じなら、多分まだ、上にも人がいるはずです」

「分かった、情報助かる。────エーデルシュタット、連絡は頼んだぞ」

 彼にはあたしたちの姿は見えていないのだろうが、虚空に投げかけられた声をレオさんはしっかりと受け取ったらしかった。応えるように、少年の尾がゆらりと左右に揺れる。

 艫居さんが服の裾を翻して移動を開始するのと同時、あたしもまた来た方の非常口へと走った。その途中、レオさんがぽつりと零す。

『……彼ら、衰弱していましたわね。あまり悠長なことはしていられないみたい。一つ壊しても気配が消えないということは、案の定、術式は複数あるのでしょう』

 術式に囚われていた彼らは、動かないのではなく動けなかったのだと理解が及ぶ。儀式が進むにつれ、きっとその体力までも奪われていったのだろう。関係のない他人の命を奪ってまで、世界を滅ぼそうとするその魂胆が、あたしには分からない。

 分からないけれども────知ることを、止めてはいけないと思うのだ。

「────あたし、できることを、やります」

 足元の融解した扉の残骸を一足で飛び越え、階段を駆け上がる。せめてやるべきことを、やらなければならなかった。

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