1×12=「この足で往く」
世界は、滅びの淵に立っている。
そして世界には、その背を蹴り落とそうと試みる人々があちこちにいる。
艫居さんが言ったのは、つまりはそういうことだった。
がしゃん、と乱雑な音は二つ分。床に転がされたものに視線を合わせれば、それは煌々と光る雷球に黒光りする光沢を跳ね返した。金属でできた筒の真ん中、ぽっかりと空いた黒い穴は虚無を湛え、無言でこちらを見つめてくる。
『銃器ですか。彼らがそれを一通り揃えているとなると、面倒ですわね。旧時代の遺物とは言いますが、その威力はなかなかに侮れませんから』
「殺人、不法侵入、放火、武装蜂起に、これで違法取引だな。役満だ。これ以外にも余罪は掘ったら掘るだけ出るだろうが……問題ねえ。全部ぶっ潰して、逮捕するだけだ。小娘、それ不用意に触んなよ」
「触んないよ、流石に……見るだけならいい?」
「……だけだぞ」
しかし彼らに、依然たじろぐ素振りは無かった。あたしがまじまじと眺めるそれは、紛れもなく「人を殺すための武器」だ。ただそのためだけに特化された兵器。大昔────おそらくは《再編》前には多用されていたのだろうそれは「旧時代の遺物」である一方で、けれども艫居さんの言い分からすると未だに使う人間はいるらしい。目の前で伸びている二人の男もまたその一味だ。
少なくとも彼らは、人を殺すことに躊躇いはないのだろう。そうでなければこんな騒動は起こさない。そういう人間たちを前に、レオさんたちは毅然と、泰然とした態度を一切崩さなかった。
他方、記憶が無いはずのあたしが、何故「銃」を「人を殺すためのもの」だと断定できたのかは────不可解なままだ。どうしてかすんなりと零れ落ちてきた知識に、ますます記憶を喪う以前の己がどんな人間だったのか分からなくなる。しかしあたしのそんな気持ち悪さなど彼らが知る由も無く、レオさんと艫居さんはてきぱきと話を進めていく。
「電気は完全に落ちてる。エレベーターは使えねえし、エスカレーターは物理的に封鎖されてるから通れねえ。無理矢理ぶち破ってもいいが、人質に当たるリスクを考えるとあまり気は進まん」
『彼らのほかに人は?』
「いなかった。建物自体を炎で覆っているから、入ってくるには時間がかかると踏んだんだろう。見張りは此奴らだけだった」
「誰もいないってなると、その……儀式? をやっているのは上の階なのかな」
「十中八九そうだろう。大方、外から様子を窺われるのが嫌だったんだろうよ」
建物を外から見た時の光景を思い出す。炎に巻かれてはいたものの、確かにその隙間からは赤い色を照り返し焦げ付く透明な硝子の光が見えた。どうやら一階部分はショーウインドウとしての機能も兼ね備えているらしく、店内の様子を容易に窺える造りになっているようだった。いくら電灯が落ちているとはいえ、その中に動く影があれば目で追うことは簡単だろう。それをきらって、この黒衣の仲間たちは上階で物事を進めているらしい。
一階からでは、当然のことだが二階より上の様子は分からない。分からないが、こうして考えている時間もおそらくはあまり無かった。
『この建物は、東西に横長の構造になっています。その端にはそれぞれ一つずつの非常階段。エレベーターとエスカレーターからの侵入は望めない以上、そのどちらかから上がることが望ましいですが……』
「当然封鎖済みだ。まあ俺なら諸共吹っ飛ばせるだろうが……そうなると確実に目を引く。掃討している間に儀式が完了、なんてことになったら目も当てられねえ。できる限り、掃討と術式の破壊は同時並行が望ましい」
『貴方の蠍座を向かわせて……いえ、確実ではありませんわね。こればかりは人の手を使わなければ。……艫居貴方、二人に分かれることはできて?』
「無茶言うな、出来たら最初からやってる。夷隅や遥は」
『別で動いているところです。呼び戻すには厳しいですわね……』
ようは、人手が足りないということらしい。艫居さんがこの黒衣の仲間たちの掃討役、レオさんは状況の監視役と司令塔、あと他に足りないのは術式の破壊役。この場に必要なのは二人、この場に居るのも二人。
「あの」
悩み込む二人(傍目からすると艫居さんが一人で悩んでいるように見えるだけだが)に対し、遠慮は拭えないが、それでも確かな主張を込めて、あたしは小さく手を挙げる。暗がりの中でも明るく光る緑青の色と、半透明の少年のつぶらな赤が、じっとこちらを見つめた。
「その術式の破壊役って、ふつうの人間でもできるの?」
『……ええ。
「じゃあ、あたし。あたしがやります、それ」
こちらに向いた二対の瞳が見開かれ、艫居さんの眉間に皺が寄る。元々仏頂面だったそれが露骨に不機嫌になる様は少し怖かったけれど、それでもあたしに覆す気は無かった。
間違ったことを言っているとも、思わない。
「……一つだけ答えろ」
吊り上がった緑青色が、容赦なく高いところから降り注いでくる。暗闇の中でも炯々と光るその強い瞬きは、紛れもなくこの瞬間、あたしを対等な人間として扱っていた。多分彼は、生半な返事であれば容赦なく突っ撥ねることだろう。時間と人手の不足が本当であったとしても、きっともう容れることはない。
息を、意識して、吸う。間違ったことではないのなら────怖気づく必要は、何処にもないはずだった。
「手前が行くといった場所は、紛れもなく鉄火場だ。俺らが守り切れる保証もない。それでも手前は、命を“賭ける”ことができんのか?」
「────できる。ううん、しなきゃいけないの。でないとあたし、死んでるのと同じ」
無知はきっと、「死」と同じだ。何も知らず、何もわからず立ち竦むことの、死体と何が違うだろう。
己が「生きている」と証したいのであれば────あたしはこの世界の何たるかを知り、そして何かを刻まなければならない。
だからとにかく、この足で往く。
決意は、果たして緑青に届いたのか────その唇が、初めて明確な笑みを刻み。
ずっと不機嫌そうに「へ」の字に保たれていた薄い唇が描く弧は、不安定な光源の中でもやたらとはっきり浮かび上がり、眼差しに強烈に焼き付いた。
「応とも。小娘、いや、御津だったな。手前の気前の良さ、俺は大層気に入った。おいエーデルシュタット、手前の術の中に隠蔽があっただろ。それ使えねえか」
『……《
「性分なんだよ。もう時間も無え、作戦はこうだ。よく聞け」
艫居さんに曰く。
この建物は東西に伸びていて、その両端に一つずつ非常階段がある。エレベーターは電源が落ちていて使用不可、中央付近のエスカレーターは仮に障壁を強行突破できたとしても全方位から攻撃を受ける可能性があるため使えない。二手に分かれねばならない関係上、比較的障害物の積み上げ方が「雑」な東西の非常階段から侵入を試みる。
肝心の分かれ方だが、レオさんと艫居さんの相談の結果、艫居さんが西側から、あたしが東側から向かうことになった。理由としては、レオさんの見立てにより「西側の方が足音が多い」ためだ。人質にされている店員や客たちが自由に歩き回れるとは思えないし、であるからには今現在足音を響かせているのはこの黒衣の男たちの仲間と見て相違ない。艫居さんはわざと彼らの目につきやすいところから侵入し、できる限りその気を引き付ける。
他方、あたしの役目はといえば、起動準備中だろう術式の破壊だ。正確には、艫居さんたちの通信の要でありレオさんの「端末」である蠍の少年を、術式の場所まで誘導するための「足」である。この妖精たちはあくまで人間に“憑く”ことで維持されるものであるらしく、単独での行動はできない。ゆえに、艫居さんが男たちの目を引きつけている間に、術式の傍まで少年を連れて行く人間が必要だったのだ。
『ポリマよりザニア、繋いでスピカへ。来りて魅せよ、星の
少年がレオさんの声で呪文を紡ぎ、その人差し指があたしの額を指す。刹那、目の前で星の光が「ちかり」と瞬いて、体中が暖かな温度に包まれた。
まるで乙女が翻す衣の裾の如く、視界を横切ったそれにあたしが目を奪われている間に、どうやら術自体は完成したようだった。とはいっても、あたしから見える景色は一瞬前と何ら変わったところがない。
ふと思い立ち、周囲を見渡していた艫居さんの前に回って見上げる。
「どう? 見えなくなった?」
「ああ。……この辺りか?」
「本当に見えてない!? 大丈夫!?」
「見えてねえって、勘だ勘」
『こら、戯れるのは後にしなさいな。そろそろ始めますわよ』
姿を隠すことはできても、どうやら歩いた音や気配といった「痕跡」自体は隠せるわけではないらしい。掛けた声が艫居さんに届いていることからもそれは明白だ。……それにしたって、ちょうどピンポイントで頭の位置を当てられたのにはちょっとびっくりしたが。
レオさんに咎められ、あたしは反省しながらも東側へと向く。艫居さんは西側だ。ここからは別行動。通信機がわりの妖精さんはあたしが連れていってしまうから、いざ戦闘が始まってしまえば会話することはできない。タイミングだとかは全てレオさんが指示してくれるから問題は無いが、それでもやはり、素直に行くのは躊躇われて。
「御津」
ちょっと立ち止まった時────艫居さんが、あたしの名を呼ぶ。
その瞳は、向こうからは姿が見えないだろうに、不思議と真っ直ぐあたしの目を見つめていた。
「手前は賭けたんだ。なら精一杯、好きなようにやってみろ」
好きなように。
何を、とは、彼は言わなかった。何を賭けたのか。何をやるのか。その答えは、他人から与えられるようなものではない。
「────うん!」
頷いて、背を向ける。走る足に、もう惑いは無かった。
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