1×11=「俺らの仕事は」


 艫居さんが真っ先に走っていったのは、当然ながら崩壊した正面入口ではなく、その裏手────スタッフが出入りするための、職員用の出入り口だった。

 当然、そこにももう火の手は上がっている。建物を燃やすのではなく、その周囲を塞ぎ、何人たりとも出入りができないように。

「不思議だよね……こうやって周囲を覆っちゃったら、自分たちだって逃げられないのに」

「逃げる必要がねえんだろ。儀式が完遂されれば、中にいる人間を贄として“何か”が起こる。其奴ら諸共な」

 終末を望む奴らってのはそういうもんなんだ、と艫居さんは続けた。終末────この世界の終焉。それが一体どういった形を以て訪れるのか、そもそも人間にそれだけの事象が引き起こせるのがあたしには全くピンと来なくて、さりとて彼が今までの間に目の当たりにしてきたであろう数々の「事例」を尋ねられるような状況でもなく。一応の納得を示して、火の手の様子を観察しているらしい艫居さんを黙って見守る。

「まあ────この程度なら、いけるか」

 ぽつりと、目の前の惨状を見つめていた艫居さんが呟く。何がいけるのだろうか、まさかこの轟々と燃え盛る炎の中にそのまま突っ込んでいくとか言い出しやしないだろうか。そこについていくというのは流石にあたしには、


「《盾》」

 パチンッ


 ────────ドンッ!!


 指先が音を立てた瞬間、巨大な氷の盾が炎の上に落下した。

 それはまるで、燃え盛るものを押し潰すが如く。浸食しようとする焔に圧倒的な質量と存在感でのしかかりながら、巨大な結氷が素知らぬ顔で地面に屹立している。懲りずに燃え上がろうとしていた炎は、しかしやがて火種の方が力尽きたのか、ぷすぷすという音を立てて鎮まっていった。

「……ええ……?」

「何だよ。文句あんのか小娘」

 文句というか。

 あまりにも力技すぎる鎮火の仕方に、返す言葉が無い。そんなあたしの様子を気に留めた風も無く、彼は再び「パチン」と指を鳴らし、氷を水へと変幻させた。ばしゃりと飛沫を上げて盾は崩れ落ち、ちょうど扉の周囲の鎮火だけが完了する。

「他の火は、鎮火しなくていいの?」

「それは《消防団》の仕事だ。俺らの仕事はあくまで『終末の阻止』、余計なことにかかずらってる暇はない」

 なるほど、彼らが『終末の阻止』を目的として掲げている組織であるのと同様、もっと別の目的を掲げる組織も存在するというわけらしい。負担の分担、あるいは適材適所、《カルテット》もまた、都市を維持するための歯車の一つに過ぎないのかもしれなかった。

 艫居さんが扉に手を掛ける。音を立てず、それは静かに回されて、暗闇が開かれた。

 中の電灯は残らず落ちている。艫居さんが周囲を探るようにしてゆっくりと歩を進め、それに倣い極力足音に気を付けながらあたしもまたそれに続いた。従業員用の通路には誰もおらず、その先の商業用のフロアもまた無人に思えるが────時間のことを思えば、そちらの方がこそ異様であるということは容易に理解ができる。

 息を潜める。暗闇に慣れていない目は黒の中を滑り、かろうじて艫居さんの背中だけを捉えることができて────だから、先頭を往く彼に迫る剣の一撃に、気付くことができなかった。

「艫居さッ、!」


「《盾》」

 轟ッ!


 呼ばう声と風の逆巻く音が、無尽の闇に反響する。無人に思われたその中に潜んでいたのは、紛れるような黒衣が二人────鈍い銀がちかりと瞬いて、しかしそれらは呆気なく宙を舞い。

 からんからん、と地面を転がる空虚な音が響く。

「侵入者ッ、」

 ぱちん

 黒衣たちの片方が何事かを叫び出す前に、艫居さんが指を鳴らす方が早かった。端正な顔立ちを闇の中に浮かび上がらせるが如く稲光のような光が線を描き、バヂリ、という音を立てて二人の人間に炸裂する。まるで光線のように、それは暗闇に残光だけを漂わせて消えていき────後には、声も無く昏倒する二人の黒衣だけが残った。

 目にも止まらぬ早業であり────あまりにも手慣れた、不意打ちなどされ慣れているとでも言わんばかりの動きだった。流れる水のように、そこには一瞬の驚愕も停止も存在しない。不意打ち自体に、というよりもそれに対する艫居さんの対応自体にあたしがびっくりしていると、不意に視界が二重にぼやけ────すぐにまた焦点を結んだ。

「……?」

「おい、どうした」

 立ち尽くすあたしの様子に違和感を覚えたのか、倒れ込んだ二人の人間の傍にしゃがみこんでいた艫居さんが、首を捻ってこちらを見上げる。何でもない、と返答しようとしたところで、凛とした声が響いた。

『今、御津の視界に接続しましたの。一瞬違和感があったのでしょう? すぐ慣れるから心配は要りませんよ。艫居も』

「……俺は別に」

「レオさんには、あたしの見ているものが見えているの?」

 だんだんと闇に慣れてきた目で、あたしはぐるりと周囲を見回す。服やアクセサリーの飾られたマネキンがそこかしこに立っていて、背の低いあたしからはまるで林の中にいるように感じられる。しかし先ほどの爆発の際の騒動で一気に人が動いたのか、床には引き倒されたマネキンや乱雑に散らばった服なども散見された。

 見回す目に、特に変わった感覚はない。先日の時のように異様な熱さが眼球に宿ることも、じりじりと焼き付いてしまうかのような焦燥感も無い。変化も無いのに本当にできているのかと問いかければ、いつの間にか艫居さんの方に腰かけていた蠍座の少年がくすりと小さな微笑みを零した。

 暗闇の中、その姿がはっきりと星の色を纏い、半透明にきらきらと輝く。

『ええ、十全に。ですが特に意識する必要はありませんわ。わたくしは他にも《目》を持っていますから、貴女は目の前のことに集中してくださいまし』

「分かり、ました」

 色んな《目》を持っている。その意味するところは非常に気になるが、じっくりと尋ねられるような状況でもない。この場で一番危ないのは、艫居さんよりはむしろあたしの方なのだ。先の一撃は、おそらくはこの騒ぎの主犯一味だろう黒衣たちが先頭の艫居さんを狙ったからうまく撃退できただけであり、後ろのあたしが狙われていたらどうなっていたか分からない。レオさんに聞きたい気持ちをぐっと堪えて、あたしは艫居さんと倒れ伏す黒衣の男の方へと意識を向け直した。

 黒い衣は外套のように彼らの体をすっぽりと覆っていた。彼らを手近なベルトで後ろ手に縛り上げた艫居さん――十中八九使ったのは売り物の一部だろうが、彼に気に掛ける様子は微塵もない――が乱暴にフードを取り去れば、出てきたのはまだ若いように見える男の人二人の顔だった。

 艫居さんの指先が「ぱちり」と音を立てた瞬間、宙に小さな電気の球が浮かび上がる。それはあたしの頭上くらいでひとりでに停止し、周囲の姿を明るく照らし出した。

「この紋章は……《教団》関係か? 夷隅の管轄だろ」

『おそらくは。特定はこちらで行いますわ。まずは儀式を止めてくださいまし』

「言われるまでもねえ」

 男たちが纏う黒衣には、よく見れば何か組織の象徴と思しき証が縫われていた。単に暗闇に紛れるだけならば不要だろうそれを、わざわざあしらっているのは掲げる“何か”があったからだろうか。鮮ちゃんが属する《教団》という組織についてはまだよくわからないものの、なんとなくそういう見当をつけてしゃがみこみ、証を覗き込む。

 十字に、蔦だとか葉っぱだとかが絡みついている。元々質素な意匠に、意図的にあれやこれやと盛り込んだ、という印象だった。隠密のための黒服だろうにわざわざこうして紋様を盛り込むというのは、主張をしたいのか姿を消したいのかいまいち分からない。

「小娘、手前は其奴らを見張ってろ。まあ起きねえとは思うが……俺はこのフロアを見回ってくる」

 蠍の少年をあたしの対面、意識を喪っている男たちを挟んで反対側に置き、彼はそう告げて立ち上がった。あたしがうん、と頷く前に、彼は似たような雷球をもう一つ指先で生み出して携え、てくてくと歩いていってしまった。

 後には、転がる男たちと、にこにことこちらを見上げる半透明の少年だけが残る。

「レオさん」

『なぁに』

「こういうの、よくあることなの?」

 手持ち無沙汰に黙りこくっているというのも居心地が悪くて、それならばと思い切ったのが、その問いだった。艫居さんは《再編》とやらについて、「詳しいことはエーデルシュタットに聞け」と言っていた。それに加えて彼らのリーダーでもあるのだし、きっと何か詳しいことが聞けるのではないか、という期待があったのだ

『ええ。よくあることですわ、わたくしたちにとっては。そしてこの世界にとっても』

 あっさりと返された返答は、おおむね予想通りではあった。しかしある程度想定していたとはいえ、直にその事実に直面するとなんとも言えない気持ちになる。こんなことが日常的に起こる中で、果たして安らかに寛げる場所などあるのだろうかという疑念と────それでもきっとこの世界を生きてきたはずなのに、何も覚えていないということに対する、後ろめたさが。

 あたしのそんな気持ちが、表情に現れていたのかは定かではない。レオさんはただ、淡々とあたしに問いかけた。

『《再編》については、もうご存知?』

「うん。ありとあらゆる世界が裁断され、ぐちゃぐちゃに再構成された現象……って、艫居さんから聞いた」

『……まあ、及第点、といったところかしら。その説明ではやや足りないのです。正確を期すならば────「土地も法則も概念も、全てが裁断され再構成された現象」こそが、《再編》です』

「法則も……概念も?」

『はい。艫居は……まだ、少し時間がかかりそうですわね。ここは一フロアが広いから。では、少しばかり講義としましょうか』


 曰く。

 およそ百年前────その訪れは、あまりにも突然だった。予測も予兆も予言も無く、突如、世界が「割れた」のだという。

 明日もその先も、ずっと続いていると思われていた地面が前触れ無く引き裂かれるという事象を前に、人類に成す術は無かった。しかし災いはそれだけに留まらず、千々に引き裂かれた大地の一部がある日突然消え失せ────別の場所に現れるという、不可思議な現象が続いた。転移した破片は、その傍に在った別の破片と引かれ合い、衝突を繰り返しながらも新たな大地を生み出した。

 まるで世界の編纂、再構築。神話の中でしか起こり得ない事象が、紛れもない現実として人類を襲い────結果、当時の総人口の約七割を飲み込んでしまったのだ。

 しかし、その未だかつてない天災が破壊したものは、大地だけに留まらなかった。法則────今まで世界の形を模り、世界の容を保っていたありとあらゆる「ルール」に亀裂が入り、その結果、不可思議な存在が各所で出現するようになった。


『その一つが、この間貴女が襲われた《怪物》ですのよ。法則とは輪郭、それが揺らいだところから溢れ出てくる意志無き化物たち……それらは、終末が近付けば近付くほど多く、頻繁に現れますの』

 法則とは、世界を規定するルールだ。「こう」と決められているから、「その」形が保たれる。そこに「何故」だとか「どうして」だとかを差し挟む余地はない。いわば「世界の定義」であったそれらが、《再編》を機にたわみ、歪められ、その隙間から《怪物》が零れ落ちてくるようになってしまった、ということらしい。

 彼らと一番最初に出会った時のことが脳裏を過る。冷厳の剣、翼を携えた無機質の異形。それは有機的な動機というものを一切感じさせない、殺戮のみを指向する機械にようにも思えた。外見的な造りは人に類似しているのに、ただそこに感情というものが存在しないだけで底冷えするほどの恐ろしさに襲われたことを覚えている。

 それは、終末が世界に近付くほどに多く、頻繁に現れるのだとレオさんは言う。しかし終末と一言に言いはするものの────それが一体具体的に何を示すのか、あたしにはいまいちイメージすることができなかった。

「“終末”って、どういうものなの? レオさんたちはそれを退けるための組織なんだよね。その化物……《怪物》たちを倒すことが目的なの?」

『それも一つですが、それだけではありません。この男たちは、一体何のためにこんなことをしていると思いますか?』

 問うたことの切り返しに、問い返された。ふわふわと浮いている蠍の少年が、その尖った尻尾で伸びている黒衣の男たちを指し示す。彼らがしていること────なんのために? 儀式、とレオさんたちは言っていた。供物を捧げて、そしてここまで大がかりなことをしてまで、叶えたい願い? 艫居さんやレオさんたち、《カルテット》が介入を選択するような目的?

 話の流れを考えれば、十二分に見当は付く。しかしそんなことを本気で、心の底から願う人たちがいるだなんて、にわかには信じられなくて。

 否、信じたくなかっただけなのかもしれない。自分が立っている世界が────死に蝕まれ苛まれるが如く、病んで堕ちかけているだなんて。


「分かりきった話だ。其奴らは、この世界を壊したいんだよ」

 何奴も此奴も、こぞってな。


 戻ってきた艫居さんが、淡々とそう述べて────がしゃりと、無造作に何かを放り投げた。

 それはいわゆる、「銃」と呼ばれるモノの形をしていた。

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