1×10=「壊れやすくもこの目で」


「これは……酷えな」

 「九竜街」と銘打たれたアーケードの一画、群を抜いて大きな建物の前で、あたしと艫居さんは立ち尽くしていた。

 横長の建物の入口は惨たらしく爆破され崩れている。各所では火の手が上がっていて、混乱しきった場は悲鳴と熱の渦に飲み込まれつつあった。

 中は爆発の影響か灯りが落ちているが、時間的に店は営業中だったはずだ。ならば、きっと中には────まだ、人が。


「────店員か? 《警察》だ、状況を教えろ」


 あたしが呆けている間にも、艫居さんは冷静だった。少し離れたところにへたりこんでいる男性の傍に近付き、彼は顔を覗き込むようにして声をかけている。あたしもまた慌ててそちらに寄っていけば、店員さんは一瞬だけ怯えた表情を見せたものの、艫居さんの制服を認めた途端ほっとしたように顔を緩めた。お店のものであろう、彼が身に着けている淡い黄色のエプロンは、一連の騒ぎのせいか埃に汚れてしまっている。

「けいさつ……良かった、ええと、突然、入口が爆破されて……おれはたまたま、品出しで倉庫にいたから……」

「他の従業員や客は?」

「まだ中に……。爆音に気付いて慌てて飛び出したら、もう火の手が回っていて」

「……ふむ」

 艫居さんは言葉を切り、建物の方をもう一度仰ぎ見る。何を考えているのだろう────と思ったところで、彼は一つ頷いて再び店員さんの方に向き直った。

「情報、助かった。じき救急が来る、それまでは離れたところにいろ。いいな」

「は、はいっ」

 店員さんは慌てて立ち上がり、よろめきながらも離れたほうへと走っていった。それを見届けることもなく、艫居さんは「パチン」と一つ指を鳴らす。

 開いた掌の上に現れたのは、いつかの時鮮ちゃんの肩の上に乗っていた妖精さんに似た、半透明の男の子だった。大きさは艫居さんの掌よりも少し小さいくらい。微笑んでいるそれは、改めて見るときらきらと星屑のようなものを纏っているように見えた。簡素な服の下から覗いているのは、蠍の尾だろうか。

「エーデルシュタット、聞こえるか?」

『ええ、聞こえましてよ。あの子も一緒?』

「ああ」

 男の子からはそのいつかの時と同じように、見た目には似つかわしくない甘やかで艶やかな声が響いた。今ならばそれがレオさんの声だと分かる。この妖精さんは、きっと遠隔地にいる仲間に声を届ける端末のようなものなのだろう、と内心で当たりを付けるあたしを放って、彼らは会話を続ける。

「『九竜館』で爆発が起きた。これから中に入って犯人を捕縛する」

『こちらでも事態は把握しています。わたくしと遥も今そちらに向かっているところですが、おそらく間に合いませんので突入は貴方にお任せし、後方支援に回りますわ。やはり人為的なもので?』

「十中八九そうだろう。正面入口は爆発で崩れているし、入口となりうる道を片っ端から潰すようにして火事が起きている。狙ってやっているとしか思えん」

 艫居さんのその言葉に、あたしは今一度建物の方を振り仰ぐ。「九竜館」と呼ばれたそれは、アーケード街の名前を冠するだけあり一際巨大な建物だった。首を巡らせねば全長を把握できぬ巨大な建物、その正面入口は完膚なきまでに破壊され、瓦礫の山と化している。かといって他の入口を探そうにも、建物の周囲を囲うようにして火の手が上がっているから近付くこともままならない。

 だが、不可思議な点があった。少し離れたスーパーにまで爆風が届くほどの激しい爆発でありながら、建物自体に倒壊する様子は無い。構造を支える柱だけを的確に避けて爆破し、入口のみが封鎖されているのだ。火災にしてもそう。ビルの周囲は燃えているのに、ビル自体には火の手の上がっているところは今のところ見えない。

「……、」

 まるで。


「────ビルだけを、閉じ込めたがってるみたい」

『その通り。当たりですのよ、御津』


 考えて、ぽつりと、思ったことが零れ落ちる。独り言のようなそれすら拾い上げて、レオさんが柔らかな声で肯定した。まさか認めてもらえるとは思っていなくて、「え」と間の抜けた声が口から飛び出す。

『何者かが“儀式”を試みています。ビルは儀式場で、供物は────おそらく、まだ中にいる客と店員でしょう。これだけの大事を起こしておいて未だ声明の一つも無いというのは、主義信条を掲げた迷惑行為にしては不自然ですけれどね』

 さらりと、理解を超える言葉が次々と飛び出る。あたしは耳を疑うが、しかしちらりと窺い見た艫居さんの表情に何ら動揺はなかった。

 ……考え直す。彼らは、元より「世界の滅びを退ける」ために戦っているのだ。それが一体何ヵ月、何年に渡る戦いなのかはあたしには分からないが────それでも、これだけの大事をその程度の言い草で片付けてしまえるほど、彼らの戦場とはもっと途方もないものなのかもしれない。

 淡々と、会話が続く。

「こじ開けられるとしたら、非常口あたりだな。俺は中に侵入し、儀式を止める。手前らは」

『わたくしはすぐにでも貴方の支援を。遥は避難誘導、犯人の根城が分かり次第鮮と一緒に大元を叩いてもらいます。こういう手合いは、根から断たねばいくらでも湧いてくるものですからね』

「違いない。小娘、手前は、」

「行く。行くよ、艫居さん」

「…………、」

『おやおや』

 今度こそあたしを留めようと思っていたのか、艫居さんの顔が露骨に渋面になる。眉間に皺がびしっと入って、しかしあたしこそ引いてなるものかと真っ直ぐにその緑青の瞳を見返した。

 ついていくと言ったのだ。そして艫居さんはそれに頷いた。今更それを撤回するつもりはないし、させるつもりもなかった。

『艫居に着いていきたいのですね? 御津』

 睨み合いの間を、優しく解きほぐすように。レオさんの柔らかな声が響いて、あたしはそれに強く頷く。

「はい」

『彼の傍であったとしても、絶対に安全とは言い切れませんわよ。それでも行くと?』

「……はい。何でも、この目で見たいんです。あたしは、何も知らないから」

『なるほど。その意気や良し……艫居、連れて行っておあげなさいな。わたくしほどではなくとも、貴方だって防衛は得意でしょう』

 艫居さんと違って、レオさんは案外あっさりと許しを出してくれた。それだけでなく未だ渋い様子の艫居さんへの後押しまでしてくれるとは思っていなくて、あたしは目を見開く。

「そう簡単に言うけどな……」

『これくらいは“いつものこと”ではありませんか。女の子のエスコートができてこそ、立派な男性というものではなくて?』

 いつものこと。これくらいとは、目の前のこの惨状のことだろうか? 建物は爆破され、周囲は火事に包まれ、人々が取り残された建物の中では、得体のしれない儀式が進行している。それがまさしく彼らの「日常いつものこと」であるならば、きっと世界にとっても「日常いつものこと」であるのだろう。なにせ彼らは、「終末を退けるため」に戦っているのだから。


 この世界はきっと、見た目よりももっとずっと、不安定で穏やかではない。

 その脆さは多分、あたしと同じくらい。

 でもだからこそ────壊れやすくもこの目で、在り様を確かめるべきなのだ。


『ただし、です。一つだけ条件がありますわ、御津』

 艫居さんの掌の上、男の子がつぶらな瞳でじっとこちらを見つめる。その奥に紅玉が煌めきを放ったような気がして、あたしはぴんと背筋を伸ばした。あの力強い眼光が遠隔でとはいえあたしを注視しているのだと思えば、自然と姿勢も正されるというものだ。

『行動中、貴女の視界を貸してくださいな。わたくしは貴女の目を通じて状況を把握し、指示を飛ばします。……貸すとはいっても、特に痛いことや苦しいことがあるわけではないし、貴女の目が見えなくなるわけでもありません。ただ違和感はあるかもしれないけれど。如何かしら?』

「分かりました。どうぞ」

 逡巡すら挟まずに頷いたあたしに、やや意外そうに緑青の目が向けられる。目を『貸す』とはいっても、具体的にどうするとは聞かされていないのだ。普通は躊躇うところであるのを、考えるような間を全くとることなく首肯したのだから、驚くのも無理はない。

「……手前、ずいぶんと思い切りがいいな」

「迷う余地がないよ。信じるって、決めたもん」

 そう、決めたのだ。この目で、この言葉で見て、触れた彼らのことを。信じると決めたからには、いちいち尻込みしていては始まらない────そもそもが、彼らのスケールの大きさというのはとっくのとうに目の当たりしているのだ。

 他人の視界を借りるくらい、彼らならばきっと容易くこなしてみせるに違いない。

『さあ、そろそろお行きなさいな。よろしく頼みますわね』

「応よ。行くぞ!」

「はいっ!」

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