1×9=「知るためには」
「いっぱいきく」と、言ったは良いものの。
この無愛想な細面の男性に、どう声を掛けたら良いものか考えあぐねているというのが現状で。
《カルテット》の屋敷を出てかれこれ十分、彼の後ろを追っておおむね十分。あたしと艫居さんは、ずっと沈黙を保ったまま淡々と歩き続けていた。
「(何を話しかけたらいいんだろう……買い物も面倒くさがってたし、なんかあからさまに『話しかけるな』って感じだよね)」
綺麗に伸びた大きな背中に、結った長い髪が垂れている。それは艶やかな黒を下地として、毛先だけが染み出すような明るい緑に覆われている。不思議な色彩は、横合いから照る夕暮れの中でも沈みきらずに鮮やかさを放って、黒を基調とした制服? 軍服と見事なコントラストを描いていた。
ふと、毅然と前を向いていたその双眸が、ちらりと肩越しにこちらを見やる。碧く光る湖面の緑青と、ばちり、と眼差しが重なった。
「……速かったか?」
一拍置いて、それが歩く速度のことであると思い至る。ぶんぶん、と首を横に振って、あたしは慌ててその隣に追いついた。その間にも彼は立ち止まってくれていて、あたしが追い付くと同時に再び歩調を刻み出す。
それは心なしか、先よりもゆっくりなもので。
周囲に、あたしたち以外の人影は無かった。足元の道路もところどころ罅割れていてやや心もとない。それでも歩いていれば慣れてくるもので、次第に海を眺める余裕も出てきた。
右手に広がる大海原────この場所は、どうやら高台にあるようだった。見渡す限りの輝きは全て夕日が水面に反射して散ったものだ。暗い青に橙色がきらきらと飛び込んでは飛び散って、丸い陽がその向こう側で赤く輝いている。何にも遮られることのない光景は、ただ言葉にすることも難しいくらい、見惚れてしまうような美しさを湛えていた。
「海は、好きか」
ぶっきらぼうな声が、左隣から降り落ちてくる。ゆっくりとそちらを振り仰ぐと、明るい緑青の瞳が夕日の色と混ざって静かに見下ろしていた。少し考えて、あたしは頷く。
「嫌いでは、ないと思います。初めて見ましたけど……」
「敬語は要らん。……この海、本当は、ここにあるべきものじゃなかったんだとよ。《再編》のせいで地形が歪められて、本来岸じゃなかったはずのここが海岸になった」
彼の視線の動きにつられて、あたしもまた再び海の方を見やる。歩いている道路には手すりも何もなく、崩れかけた端からは剥き出しの岩肌を眼下に望むことができた。まるで無理矢理千切られたかのような不規則の地形の上に、絶え間なく波が打ち寄せている。
これらは、自然に形成されたものではないのだという。《再編》────ここまでの変化をもたらす「災害」、先の説明の中にも出てきたそれを、しかし頭の中で上手く思い描くことができず、あたしはもう一度艫居さんを仰いだ。
「《再編》って、つまりどういうこと?」
「あー。世界中の地形、地層、あらゆる場所という場所が裁断され、ぐちゃぐちゃに再構成された……っていう、百年前の災害のことだよ。俺が答えられるのはその程度だ。詳しいことはエーデルシュタットに聞け」
「レオさんに?」
どうやら艫居さんはあまり詳しいことを知らないのか、ざっくりとした概要を口にして、そのあとをごまかすようにしてレオさんの名を挙げた。首を傾げれば、ああ、と相槌が返ってくる。
「彼奴の所属してる《天文台》は、そういうことの研究に一生を捧げてる奴らの集まりだからな。博打の一つも打たねえ、黴臭え連中だよ」
博打。よくわからなかったが、まあそのことも含めて帰ったらレオさんに聞けば良いだろう。別に艫居さんはあたしと喋りたくないというわけではないらしい、と分かって、少しだけ胸を撫で下ろす。
鮮ちゃんと同じで、多分あまり表情に出ない、出さないタイプなのだ。特段怖がることも、怯えることもないのだろう。
道路は徐々に下り坂になっていく。緩やかに左曲がりのカーブを描いて、眼下にはちかちかと電灯の光が瞬いていた。
***
「買うものは……これで仕舞いか」
「うん、全部だよ」
街────《帝都》の一画、商業施設や娯楽施設が集められた商業区のあるスーパーにて、あたしと艫居さんは無事買い物を終えることができた。大小様々な建物が並ぶ中で、中くらいの横長の建物。そこには夕方も良い時間だというのに人がたくさんいて、皆夕飯のための食材を求めているのだろうか、思い思いの品物を見ていた。
商業施設とはいってもピンからキリまである中で、特にこの「スーパー」という施設は食料品や生活雑貨など、身の回りのものを多く、しかも格安で売っている場所らしい。艫居さん曰く、「少しでも安上がりに済ませねえとあの鮫女がうるさいんだよ」だそうだ。どうやら、この四人からなる《カルテット》というチームのお財布は、最年少と思しきあの鮮ちゃんによって管理されているらしい。
意外や意外と思いつつも、閑話休題。艫居さんに見せてもらったメモを思い返しながら買ったものを確かめ、袋に詰めて店を出る。艫居さんが重いほうの袋を二つ持ってくれたので、あたしは比較的軽い一つを持って帰ることになった。それはそれで空腹の身には荷物を抱えてのあの坂と思うとどうにもしんどいが、食わせてもらうからには我儘も言えない。働かざる者食うべからず、だ。
内心で気合を入れて帰ろうとしていた、まさにその時だった。
────────────ドンッ!!
天地がひっくり返った。
腹の底を揺るがす轟音が、夕闇に閉ざされつつある街を駆ける。爆風が瞬く間に走り抜け、背にしていたスーパーの硝子が風圧に弾け飛んだ。
破片が空を舞う中、あたしはいつの間にか艫居さんによって地面に引き倒され、覆い被さられていた。間近に迫った整った顔立ちと、さらりとした髪が零れる感触に、否応なく目が吸い寄せられる。爆風や衝撃から庇ってくれたのだと理解しながらも、突然の出来事に現実を忘れてぼんやりとすることしか、あたしにはできなかった。
街が、途端に混迷の坩堝と化す。爆発音がそれ以上続くことは無かったが、後を引き継ぐようにしてそこら中から響くようになったのは数多の人の悲鳴だ。口が裂けても、幸いとは言えない。
艫居さんが、静かに身を起こした。その視線は油断なく周囲を窺っていて、次いでそろりそろりと起き上がるあたしに目を留めると、彼は厳しい表情で口を開く。
「無事か? 怪我は無いか」
「だい、じょうぶ。ありがとう艫居さん……今の爆発は?」
「分からん。爆心地はおそらく此処より北側、『九竜街』のあたりだろう。み、……あー」
彼は一瞬だけ、あたしの顔から視線を彷徨わせる。不快、というよりは、瞬時に詰まった、という表現が的確だ。束の間宙を漂った眼差しは、すぐにまたあたしに留められる。
「手前、苗字は?」
「苗字……えと。……覚えて、ないの」
苗字。家族を表す名の一部。今のあたしには、あったのかどうかさえ不確かなものだ。とはいえ「あったものを喪った」わけではないから、感覚としては他人事のようなものだ。それでも艫居さんは一瞬「まずいことを尋ねた」とでも言いたげな顔をして、「すまん」と一言零す。
「御津、手前は此処に居ろ。じき《警察》の連中がやってくる。奴らに従え。俺と同じ制服を着てるからすぐ分かる」
「待って、艫居さんは?」
「俺が一番現場に近えんだ、行くに決まってる。手前は安全なところに避難して、どうにかしてエーデルシュタットに連絡を取れ。彼奴ならとっくに気付いてるはず────どうした」
考える前に、指先が艫居さんの服の袖を掴んでいた。彼が立ち上がりかけた半端な体勢からもう一度跪き、俯かせたあたしの顔を覗き込もうとして、
「あたしも行く」
バッと振り仰いだ視線とかちあって、その緑青が少しだけ驚いて見開かれた。虚を衝かれた、とでも言いたげな間を一瞬零して、すぐさま怜悧が思考を取り戻す。
「なっ……に言ってんだ、連れていけるわけねえだろ! 手前は一般人だ、また爆発が無いとも限らねえ。あれが事故ならまだいいが────もしロクでもねえことを企んでる奴らがいる場合、最悪鉢合わせする可能性だってあるんだぞ!?」
「分かってる! でも、知るためには、行かなきゃいけないから……!」
整った柳眉が烈火の如く吊り上がったのに対し、あたしもまた負けじと言い募る。そう、分かっている、分かっているのだ。これが事故ではなく、人為的に引き起こされたものかもしれないことも。よしんば事故であったとて、二度目がない保証などどこにもないということも。戦う力を持たないあたしが行ったとしても、何かができるどころか艫居さんの足手まといになる可能性の方が高いということも。
だとしても。この目で世界を見たい、見なければ、という衝動が抑えきれなかった。好奇心だとか怖いもの見たさとか、そんな甘っちょろいものではない。この身を内側から熱し燃やそうとするこの気持ちは一体何だ? まるで誰かにそう刻み込まれたかのように、危険を承知で、我儘を理解して、「それでもなお」という一縷に賭けている。自分を知らないあたしが、その空虚を埋めるためにせめて世界でも知りたいと願うのは、そんなに不思議なことだろうか。
我儘のリスクを全て艫居さんに押し付けていることに、申し訳ない気持ちが無いわけではない。いわばあたしは、あの時目にした彼の、彼らの「強さ」に甘んじているに過ぎない。だがあの時目にしたものは、それだけではなかったはずだった。
また何かが、“見える”かもしれない。あの時繋がった“何か”ともう一度繋がることができれば、その正体が掴めるかもしれない。
そうすればあるいは、「あたし」とは何なのか、たとえ欠片であったとしても────掴めるかもしれない。
「……、」
「……っ」
沈黙が、束の間を結びつける。遠くから悲鳴とサイレン、火の手が上がっているのか轟々という燃え立つ音も響く中、しかしあたしは彼の厳しい視線から目を背けようとはしなかった。
「…………はあ。分かった、分かったよ。放っておいたら勝手についてきそうだしな……其方のほうがよっぽど面倒だ」
鬩ぎ合いの末、折れたのは艫居さんの方だった。彼はがしがしと乱暴な仕草で頭を掻き、いいの、と問い返そうとするあたしを封じるように厳しく言い含める。
「絶対俺から離れるな、何が起こるか分からん。傍にいれば、まあ守るくらいはしてやるが……余計なことはするなよ」
「……うん!」
艫居さんが立ち上がったのに続いて、あたしもまた立ち上がる。一瞬だけさっと体に視線を巡らせ、目立った負傷もさしたる痛みもないことを確認して、あたしは艫居さんに一つ頷いた。
「行くぞ!」
火の手が上がる街。悲鳴と混乱が錯綜する中で、たった二人────あたしたちは、駆け出すのだった。
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