1×4=「星」

「もう一人の方は、どういう人なんですか」

 道中、合流する直前のことだ。特段危ないことはなかったし、この全く方向性が異なる三人にあたしが提供できる話題といえばそれくらいしかなかったから、興味もあり尋ねてみたのだ。 

「私たちのリーダーさ。さっきも《怪物》の出現を教えてくれただろう? ああいう力があるから、基本的に私たちの指揮は彼女が執っていてぬぇ」

「女性なんですよね?」

「あァ、めちゃくちゃ美人だぞ。多分見たら驚くんじゃねェかな」

 妖精越しに聞こえた声を思い出す。それから想像したのは、おっとりとした女性の姿だ。しかしながら、そういう人にこの人たちが従っているという事実のほうにこそ、あたしは驚いていた。

 これは偏見だと理解してはいるのだが、どうしても先頭を行く強面のお兄さん――――艫居さんが女性に従っている、というのがどうにも想像できなかったのだ。とはいえ、先ほどの出現予告に真っ先に反応し、殲滅したのは艫居さんだ。実感こそ伴わなくとも、事実として彼らの関係性は「そういうもの」なのだろう。

 でも、指揮を担当している、ということはその女性は戦えないのではないだろうか。あの化物がどんなモノなのか深く知らないが、それでも女性が立った一人でぽつんといては全くもって危険である、ということくらいは分かる。

「――――ああ、彼奴のところにも出てたのか」

「え?」

 あたしたち三人の会話には加わらず先頭を歩いていた艫居さんが、ふと立ち止まる。つられるようにしてあたしもまた歩くのを止め、その見やるところを覗き込めば――――そこには。


 真っ先に目に入ったのは、少し離れたところに在る美しい女性の後ろ姿だった。

 艶めく桃色の髪が、緩やかな曲線を描いて背を覆っている。後ろ姿だけでもその華奢とたおやかさは香るようで、すらりと伸びた背筋には溢れる気品が感じられた。自然体で仰向けられた右手の上には不思議な装飾に覆われた水晶玉が浮いており、それは重力を無視してふわりふわりと揺蕩っている。傍には不思議な色彩の獣が静かに傅いていて、その趣は我こそが百獣の主であると言わんばかりに堂々を誇っていた。

 戦場などよりも、劇場のほうがよほど似合いの豪奢。しかしてそれは、



 先の化物の群れと、真正面から対峙していた。



 息を呑む。巨大な翼持つ剣の化物の前に、その矮躯はあまりにもか細く思えた。助けなければ――――そんな思いだけが先行して、無謀にも飛び出しかけたあたしの体を、留めるようにして腕が進路を遮る。

「……艫居さん……?」

「問題ねえよ」

 端的で、揺らがぬ言葉。遮った艫居さんを見上げる間にも、事態は動こうとしていた。

 化物たちは既に女性にあと一歩というところにまで届いていた。その手の剣を振れば、先が彼女の肌を裂き、体を薙ぎ、無残な死体へと変えてしまえる距離。そんな未来を幻視して、目を背けたいという衝動が突き上がりかけて――――それよりもなお、『何故彼女は泰然としていられるのか』という疑問が、衝動を押し退ける。

 その背に、慄くところは感じられなかった。動揺も、焦燥も。ただありのまま、あるがままで事足りるとでも言わんばかりの不動ぶりは、巌のようというよりも大空の如き寛容さを思わせた。彼方に在るがゆえに、あまねく此方を睥睨する王者の気風。

 けれども無機質極まる化物たちにとって、そんなことなど知ったことではないのだろう。複数の剣が振り上げられ、異なる方向から叩きつけられる――――



「甘くてよ」


 ――――――――コン



 鈍く澄んだ音を立てて、刃が紋様に阻まれる。宙に浮かんだそれはしかと剣を受け止め、複雑巧緻な模様を描き出していた。よく見ればそれは彼女と彼女の腰かける獣を覆う半球状の膜のようにして展開されているらしい、よく目を凝らせば、女性の周囲にきらきらと薄い輝きが瞬いているのが見えた。

 弾くでなく、受け止める。さりとて牙を向けたのだ、報いが無かろうはずもなく――――大質量をその身に受けたとは思えぬほど軽い音の余韻を、まるで指先で絡め取るようにして、彼女は手元の水晶をゆるりと回転させた。

 そして、祝詞が紡がれる。


「空に満つるは星の天蓋、返し照らして満たすは夜の鏡面。サダルスウドよりサダクビア、繋いでアルバリへ。来りて呑み込め、星の湧水――――《水瓶座アクアリウス》」


 女性の傍らに、水瓶が現れる。それは担ぎ上げる少年を伴い、ぼんやりとした淡い光を纏っていた。水瓶はゆったりと傾げられ――――夜空の津波が、全てを飲み込んだ。

 天空に煌めく星々のあらん限りを写し取ったが如く、幾多の輝きが暗色の水面の中で光を放っていた。さほど大きくはないはずの水瓶から次々に溢れ出したそれは、指向性をもった奔流となって化物を打ち据え、呑み込んでいく。

 あれだけ恐ろしく思えた化物が、まるで玩具でも片付けるかのようにしてあっさりと打ち倒されていく光景というのは、一周回って現実味を感じられない風景だった。それはきらきらと眩い星の光のように、遥か彼方にあるからこそ強く惹かれるものだ。綺羅星の中に悠然としている女性もまた、あたしには星の如き美しさに思われた。

 ぼんやりと感嘆していたからだろうか。ふと女性が少しだけ振り返って――――渦潮の中心、獅子を侍らせたその紅玉の眼と、一瞬だけ視線があった気がした。

 その直後。

「――――ぅわぷっ!?」

 突然、目の前が水流によって覆い尽くされた。反射的に目を閉じてしまいながらも頭の上に乗っていた帽子を胸元に引き寄せ、流されまいと慌てて手近なものを掴んだところで――――ふと、違和感に気付く。

「……御津、御津。目ェ開けてみろ。大丈夫だから」

 ぽんぽんと、宥めるようにして肩が叩かれる。鮮ちゃんの声に促されるようにしておずおずと目を開けばそこには、


 ――――満天の、星の海が広がっていた。

 視界一杯を覆う水流の中に夜空が揺蕩い、ささやかな光を放って揺れている。水流とはいっても息苦しさも濡れている感覚もなく、ただただ心地よい冷たさが優しく肌を撫でるのみだった。

 くしゃりと帽子を掴んだ指の隙間から砂粒のような光がきらきらと零れ落ちて、色とりどりの残光を残しながら流れ流れていく。それらがあの化物たちを全て押し流したなどと、にわかには信じられぬほど優しい――――優しい光だった。


 けれども夜は永遠ではない。束の間の夢のようにして徐々に徐々に水位を下げていくそれに伴って、星の煌めきもまた少しずつ小さくなっていってしまった。日の出のように、隠されていた太陽が顔を出す。

「……おい」

 夜が明けるようにして視界が開けていく、その様にさえ見惚れてしまっていたからだろう。不意に上から投げかけられた声に反応をしそびれて、次いでそれが微妙な顔をした艫居さんだということに気付いて、

「……あっごめんなさいっ!」

 慌てて掴みっ放しだった彼の服の袖を離す。水流に呑まれかけた時、咄嗟に掴んでしまったのはどうやら艫居さんの服だったらしい。その直前のやり取りを思えば当然も当然だが、結構強く握ってしまっていたので皺になったかもしれない。艫居さんには悪いことをしたかも、と考えていると、おもむろにこちらに近付いてくる影が見えた。

「楽しんでいただけたかしら? 迷える子羊さん」

 甘やかな響きはこちらに歩いてくる女性のものだ。足元から目を上げれば、その全貌が目に入る。

 ハイヒールに包まれた小さな足に、細やかな脚を覆う紅いロングスカート。その流線形を包むようにして広がる薄手のマントの裏側には、まるで星空のような煌めく意匠があしらわれていた。細かな刺繍を裾に引き連れ、存在感を持った胸を肩にかけて覆うのはマントと同色の黒のケープだ。

 そして、その上。在ったのは、驚くほど鮮やかな紅玉の瞳だった。丸い耳朶を包む耳飾りは薔薇を模っている。星の色に瞬く獅子を傍らに侍らせながら美しい立ち姿で歩んでくるその姿は、鮮ちゃんが言った通りの目も醒めるほどの白皙。滑らかな曲線を描く肢体は艶めかしくも凛としていて、華奢な肩を覆う豊かな髪はまろやかな桃色を湛えて波打っていた。

「貴女が、鮮が助けたという子ですわね。怪我はない?」

「あ……はい、大丈夫です。その、とっても綺麗でした。……ちょっとびっくりしたけど」

 最初流れに呑まれたは面食らったが――――鮮ちゃんに促されて目を開けた先の光景は、とてもとても美しかった。それと同じだけの輝きを秘めた紅玉の瞳が真っ直ぐにあたしを見下ろして、思わずたじたじになりかけつつもそう返答すれば、美貌が「良かった」と零しながらふんわりと微笑む。

「ったく……いきなり過ぎるんだよ、エーデルシュタット。流石に焦った」

「ふふ、でも綺麗だったでしょう? わたくしの星空は」

「綺麗だったけどよ……それで姐御、もうこの辺りの掃討は終わったのか」

「ああ、それならばね、」



 美貌がゆるりと後ろを向く。

 その正面。空が縦に割れ、亀裂からは暗黒がこちらを覗き見て――――――――そして、“嗤った”。



 怯えが体を貫き、震えが心を劈いた。今まで見てきた化物などとちゃちな玩具にも劣る、それが撒き散らす異様さは群を抜いていて、だからこそ本能でその強大さを理解してしまう。

 嗤ったと思ったのは、恐怖するあたしの心が見出した幻に過ぎないのかもしれない。だが大きな裂け目からどろりとした形容し難い「淀み」が地面に零れ落ちる様は、その幻を芯から真実だと思い込ませてしまうほど醜悪で、悍ましいものだった。

 それは自ら蠢き、ほどなくして形を取る。先の化物と同じように翼と剣を持っているが、その数は一対ではない。六枚三対の翼に、六本の腕――――そのいずれにもあたしの身の丈を優に超える剣が携えられていて、切っ先が触れただけで命など簡単に消し飛んでしまうだろうことは容易に予想がついた。

 顔貌に宿る眼もまた三対。それらは各々独立した意志を持つかのようにぎょろりと辺りを睥睨し、しかして無機質な眼差しがあたしたち五人に収束する。

 恐ろしさに身が竦む。心も体も凍り付いて、言葉を喪って――――しかしあたしの傍にいたのは、この程度の脅威など何度も味わってきたと言わんばかりに泰然さを崩さぬ、“最強”の四人だった。


「今回は一段と大きいぬぇ。殺し甲斐があるというものだ」

 呵々と笑う山吹色の麗人が、その糸のような眼からぎらつく刃そのものの戦意を覗かせ。


「『汝、神の敵を討て』。教義を代行させてもらう――――夕飯の仕込みもあるンだよ、こっちは」

 気怠げな紺碧色の美形が、閃きのうちに鋭利な光を瞳に纏わせ。


「つべこべ言うな、これも仕事だ。……御法の番人たるは、この俺が“正義”を執行仕る」

 憮然とした緑青色の精悍が、けれども確固たる意志を伴って前を見据え。


「準備はよろしいかしら? さあ、それでは閉幕フィナーレと参りましょう――――」

 そして、淑やかで美しやかな薔薇色の美貌が、華麗に幕引きを告げる。



「――――終末を退ける者、我らの名は《カルテット》」

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