1×5=「目を背けたり、しません」

 現れた巨体の異形、先陣を切ったのは――――鮮ちゃんだった。いの一番に飛び出した彼女は、姿勢を低くして後ろを振り返ることもなく真っ直ぐに化物に突っ込んでいく。

「――――《月輪がちりん》ッ!!」

 裂帛の声と共に鮮ちゃんの周囲に浮かんだのは、蒼き焔で形作られた六つの輪だった。それは決して勢いを衰えさせることなく、火の粉を撒き散らしながらばらばらの軌道で以て化物へと飛来する。しかしそれだけではない、輪に気を取られていれば鮮ちゃんの姿が消えていることに気付いた。次に現れたのは――――直上。

「らぁああッ!!」

 ガギィンッ、という鋼鉄が触れ合う音と、炎が酸素を燃焼させる音が同時に耳朶を叩く。六つの輪と六本の剣、そして鮮ちゃんが持つ扇子が鬩ぎ合って都合十三の音が全く同タイミングで響き渡り――――けれども、斬撃はその兜に阻まれ直撃を免れていた。

 化物が剣を大きく振る。迫り合っていた輪は一様に弾き飛ばされ、宙へと融けて消えてしまった。次いで狙いを定めるのは当然、化物の直上で逆さのまま無防備な鮮ちゃんの肢体であり。

「鮮ちゃんっ……!」

 思わず名前を呼んでしまったのとほぼ同時。化物が持つ剣の一人が鮮ちゃんの胴を薙ぐ――――その直前に彼女の姿はまたもや突然掻き消え、あたしの隣へと現れる。まるで瞬間移動したかのような芸当だ。あたしは目を剥くものの、状況的に原理を尋ねられるような場合ではない。鮮ちゃんの視線はあたしを飛び越えてレオさんへと投げかけられ、その鋭い歯の奥からは忌々し気な舌打ちが零れ落ちた。

「やっぱ堅ェな、私じゃ貫通力に欠ける。剣は止められるが保って数秒だ」

「なるほど。では艫居、遥」

「「応」」

 揃う返答はどちらともに簡潔。レオさんに名前を呼ばれただけの二人が、しかし「やることなどとうに理解している」とでも言わんばかりに動作を取る。

 即ち、遥さんは身を沈め化物へと距離を詰め。

 艫居さんはおもむろに右手を真っ直ぐに前に差し出し――――そして、再び「ぱちん」と指を鳴らす。

「《槍》ッ!」

 都合六本。艫居さんの頭上、中空に浮かび上がったのは緑青の色を湛えた六本の槍だった。大気を搔き集めて形を成したかのような豪槍が、鋭い先端を真っ直ぐに化物へと向け、一路を吶喊する。六本の腕が持つ剣のそれぞれを狙って打ち出されたそれらは、寸分の狂いも無く鍔迫り合いを演じ――――だけでなく、続いて浮かび上がった次の六本が悠然とはためく翼めがけて迸った。

 突き立つ。槍が獣の咢のようにして化物に食らいつくその間隙、縫うようにして風がざわめき、奔ったのは山吹色の麗しい姿だった。

 握られているのは衒いも無ければ翳りも無い、純粋無垢なる白き刃。いつの間にかその細やかな手が取り出していたそれが、三つ編みを風にはためかせて計十二本の槍と鬩ぎ合う化物へと迫り――――音も無く、閃いた。


 カァンッ!!


「うそ、弾かれた……?」

 しかし、化物の鎧は遥さんの刃をいとも簡単に退けてしまった。鋼鉄の音が高く響き渡るが、彼の巨体に傷ついたところは見えない。どころか、翼と大剣を抑え込んでいた艫居さんの槍もまた、身を捻った動きだけで弾き飛ばされ霧散させられる。

 そして、差し合いの合間。束の間に張った静寂を無残に千切るかのように――――大音声が、響く。


『AAAAAAHHAAAHAAAAA――――――――――――ッ!!』


「うわ……っ、」

 反射的に耳を塞いでしまうほどの咆哮。物言わぬ冷厳の剣が、威を放つが如く絶叫を上げたのだ。

 本能を芯から揺るがす声だった。しかしそこには感情も意志も無い。大きいだけで空虚そのものの単なる“音”は、単なる人間の身を竦ませるだけならば効果はてきめんだ。

 とはいえ――――怯えてしまったのはあたしだけで、他の四人にはまるで動じた様子が無かったのだが。

「うぅん、硬いぬぇ。困った困った。上位種とはまた珍しい、どうするんだいレオちゃん」

 ぼやきに反してほとんど困った様子の窺えない声は遥さんだ。ザ、というわずかな音と共にいつの間にかあたしたちのところに戻ってきていた彼女は、刀を持たない左手でぽりぽりと頬を掻いてレオさんに顔を向ける。

「余波と衝撃はわたくしが防ぎましょう。翼と剣の相手は艫居と鮮が。できた隙に、遥があれの首を獲る。いかが?」

 レオさんの指示は端的だ。しかしその決して長くない言葉の中に、音などでは測りきれない信頼と信用が横たわっていることは、部外者のあたしでも容易に感じ取れる。いや、部外者のあたしだからこそ、余計強く感じられたのかもしれない。

 彼らは互いの力量を正確に把握している。何ができて、何ができないのか。だから目の前の脅威に対して誰をどうあてはめれば良いのかすぐに導き出すことができて、なおかつそれをもっとも正確にこなせるのが「レオ」という女性なのだろう。

 「何故あんなにも強い三人の男女が、こんなにもか弱く見える女性に従っているのか」――――その疑問は全くもって的外れだった。彼らの“強さ”は一律では無く、腕っ節や体つきというたった一つの側面で彼らを語ることそのものがまずもって愚かな試みなのだろう。彼らが口にした言葉がまるで異なっていたように――――彼らは、《カルテット》は、それぞれが異なるベクトルで抜きんでた能力の持ち主たちだった。

 問いかけられた三人は、頷くよりも認めるよりも速く、了承の意を行動で示した。即ち、吶喊と突撃、掃射である。鮮ちゃんと遥さんが同時に飛び出し、掻き消え、二人の合間を縫い、あるいは援けるようにして艫居さんの魔弾が化物に殺到する。それらを迎え撃つようにして、化物にもまた動きが現れた。

 翼がはためいて、大剣が振りかぶられる。颶風が刃となって逆巻き六振りの剣が勢いよく振り下ろされて、地面をひた走る遥さんに真正面から直撃する――――そう思われた瞬間。


 コン

 ――――轟ッ!!


「うわっ……!?」

 またも、弾いたのは複雑精緻な魔紋だった。遥さんを守るように展開されたそれが、化物の振るう刃を鈍い音と共に弾き返したのだ。恐るべき強度――――否、それよりも驚くべきは展開の正確さか。どちらにせよ、並大抵の力量でできることではない。余波でこちらへと飛んできた風の刃からあたしと艫居さんを守ってくれたのもまた、レオさんが展開した魔紋の壁だった。

「わたくしの傍にいれば、貴女に危害が及ぶことはありませんから安心なさい。……それよりも、目の前の光景は、あまり見ないほうがよろしくてよ」

 あたしを安心させるようにして投げかけられたその言葉は、続いていくばくかトーンを落とした警句として耳に届いた。

 警句というよりは、忠告か。目の前の光景は紛れもなく命のやりとりだ。そこにあるのは無遠慮な殺意であり、他を害することに躊躇いの無い純粋な暴力だ。

 そしてそれらを持っているのはあの機械じみた化物でもあるし、各々の武器を振るう彼ら四人でもあった。化物の剣と鮮ちゃんの輪が火花を散らして迫り合い、翼より吹き荒ぶ風の刃が艫居さんの魔弾と衝突して飛沫を散らす。遥さんの眼が切り込むべき隙を窺う様は、強大な獣がその喉を食い千切る時を今か今かと待ち望んでいるようにさえ思える。一様にして、彼らの顔に「恐怖」の残滓は欠片も浮かぶことが無い。

 互いの「死」を巡って、痺れ目が眩むほどの戦意が場に渦巻いている――――確かにそれは人が見れば恐れ、慄き、当てられてしまうほどの強烈さだ。それをして、レオさんは「見ない方が良い」と零したのだろう。

 だが。

「いいえ」


 眩いからこそ、惹かれたのだ。生命がぶつかり合い、火花を散らすような戦いにこそ――――その奥で胎動する”衝動りゆう”にこそ。

 あたしが求めた、“何か”があるような気がして。


「あたしは、目を背けたり、しません」


 轟く爆音の中、その声が届いたのかは定かではない。ただレオさんがちらりとだけこちらに視線をやって、そう、と頷いたように見えた。

 トントントン、と緩急をつけて断続的に、艫居さんが差した指の先から色とりどりの光弾が打ち出されていく。それは時に槍の形を取り、剣の形を取り、更には鈍器の形すら描いて巨躯へと殺到した。一つ一つはさして威力を発揮することができずとも、彩雨はただそれだけで化物の動きを制限する。

 その中を無尽に動き回り直接的に攻撃を加えていたのが、鮮ちゃんと遥さんだった。消えては現れ、現れては消えて、時に飛んでくる一撃を逸らし、跳ね返し、レオさんの魔紋が受け止める。決して膂力で劣るわけではない――――けれど、あの堅牢な鎧が邪魔をして有効な一打を与えることができず、このままではいずれジリ貧になるのではないかと思われた。

 その時だった。

 艫居さんの弾丸を掻い潜った大剣の一振りが、ちょうど着地際の遥さんの頭上に迫る。回避は不可能、鮮ちゃんは空中にいて間に合わない、艫居さんの二射目では弾くに足らない、レオさんの魔紋すら差し挟むにはもう遅い――――遥さんが現れる位置を予測したかのような攻撃に、あたしは知らず眼を限界まで見開く。


 轟――――――――ッ!!


「……ぐ、」

 半端に回避行動をとるくらいならばと、遥さんが選択したのは「自ら受け止める」ことだった。刃の部分を上に、クロスさせるようにしてその一打を真正面から受け止めた彼女の体には、一体どれほどの負荷がかかっているのか。渾身の力で以て踏ん張るその背中は細く、圧し潰されるのもまた時間の問題に見えた。

「遥さん……っ!」

 何か――――何か見えやしないかと、あたしは必死に目を凝らした。掌の中の帽子を無意識に握り締めながら、全ての意識を視界に回す。

 彼らがあたしを守るためだけに戦っているのではないことは、薄々理解している。それでも、その胸中にたったひとかけらでもあったのなら――――助けになりたいと、願うことは傲慢だろうか?



 ――――――――瞬間。

 “”と、繋がったような気がした。



 視界が一際騒ぎ始める。今まで絞っていた光量を途端に開け放ってありとあらゆる色彩で打ちのめすかのような、そんな暴力的なまでの鮮やかさがあたしの眼を打った。それらは速度を喪い奇妙にゆっくりと流れて、だからこそ、目の前の状況を克明に、その細部の一つ一つにまで目を凝らすことができた。

「(――――――――う)」

 だが、そうやってよく見ようとすればするほど、目の奥がずきりと痛む。痛みが走る度に視界にノイズが走って、それを除けようと集中すれば次第に眼球が熱を持ち始めた。じりじりと焼き焦げるような感覚に脳髄が悲鳴を上げる。このまま続ければあるいは、神経ごと焼き落ちて、火だるまになって燃え上がってしまうかもしれない。そんな恐れが胸を貫いて、目を閉じてしまえば解放されるんじゃないかと思って。

 それでもなお、あたしは見続けることを選んだ。

 だって彼らが命を張って戦っているのだから――――それを助けるなどという傲慢を成し遂げるためには、きっとあたしだって何かを――――差し出す覚悟を、しなければならない。

 そう、思うからだった。


 繋がった“”があたしの祈りに応えたのか、それは定かではない。

 けれどノイズがたった一瞬だけ収まって、その合間に見えたのは――――化物の右翼。一番上、そこに細かく走る赤黒い罅割れ。

 灰がかった真白の巨体、その一部に不自然に走る、無数の線だった。


「――――――――ッあ、」

「……おいっ!?」

 そこまでが、限界だった。瞼を落とせば、「ぶつり」と繋がりが途切れてその場に崩れ落ちる。無意識に詰めていた息を緩めた途端酸素が波濤のように流れ込んできて、未だ眼窩の痛みは拭えなかったけれども――――見えたものを伝えなければと、艫居さんの声に何かを返すよりも前に、あたしはぐっと顔を上げる。

「右の翼、一番上……ッ!!」

 肺の全ての酸素を使ってでも、届けと願った言葉。

 直ぐに視線を合わせ、受け取ってくれたのは――――鮮ちゃんだった。

「――――《青燐せいりん》ッ!!」

 化物の背後、直上。尖った歯を剥き出しに、波飛沫を思わせるその瞳がぎらりと瞬いた。青き焔が開いた扇子の先に大きく灯り、荒々しくも強く強く蒼が燃え上がる。扇子の刃先を鮮やかに彩るそれらを閃かせてしなやかな体が空で捻り、やがて白の翼の根本へと突き立つ。

「テメェの目障りな羽、私が落としてやるよ……ッ!」

 「轟」とけざやかなる焔が咆哮を上げると同時、突き立てられた扇子が咢の如く翼を食い千切る。それはあたしが示唆した右翼だけではない。同時に切っ先をひっかけた左翼もろとも、さらにはその下で震える残り四枚の翼さえ巻き添えにして、常に滞空状態を保っていた化物をついに地へと叩き墜としたのだ。

 さながら荒ぶる焔の化身、蒼龍が席巻するが如くの猛威。そうして生じた隙を、彼らがみすみす逃すわけもなく。

「《砲弾》ッ!!」「《獅子座レオ》ッ!!」

 二つの声が直ぐに迸り、それは異なる容をとって化物の剣へと殺到する。翼を喪い体制を崩したとはいえ、その手には依然としてまだ六本の剣があった。ふりかぶられたそれらをその身で以て留めんとしたのは、つい先ほどまでレオさんが傍らで侍らせていた巨躯の獅子であり、艫居さんの指先から放たれた巨大な礫の数々だった。直撃、次いで炸裂し、爆音と共に大地が揺らぐ。

『AHA――――』

 またも劈くかに思われた無機質の絶叫。


 ――――――――しかしその時には既に、雷光は閃き終わっていた。

 山吹色の痩身が音も無く白刃を鞘に納める。その背後、地を砕いた大剣の先から追って上半身へ――――視線が辿り着く頃にはもう、その首を真一文字が切り裂いていた。


 化物の体から動きという動きが消え失せる。静止した一秒間、その首が地面へと転がり落ちる前に――――全ては砂になって崩れ落ちてしまった。

 誰が零したものか。ふう、と息を吐く気配に、あたしは自分の体が大層強張っていたことに気付いた。鮮ちゃんと遥さんがやれやれといった風情でこちらへと歩いてくるのをぼんやりと見つめていると、快い声が耳を打つ。

「お見事。流石の刀の腕前ですわね、遥」

「ま、それもあるけどぬぇ。今回の功労者は私じゃないだろう? ……って、おやおや」

「おい、大丈夫かよ。どっか怪我でもしたのか」

「あっ、いや、ちが、――――」

 四人の視線が一気にへたりこんだままのあたしに向く。慌てて違うの、と否定を続けようとしたところで――――視界が急に真っ暗になって。

 目を開いているはずなのに、何も見えない。まるで照明を落としたかのように真っ暗な闇の中に放り込まれ、しかしそこに何も抗えぬまま、あたしは意識を手放してしまった。

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