1×3=「それはまるで流星の如く」

「遅えぞ、手前ら」


 鮮ちゃんと遥さんに連れられてやってきたところにいたのは、ずいぶんと強面のお兄さんだった。長身の上の方から降り注ぐ眼光はいやに尖っている。緑と青、入り混じった不思議な色彩の瞳は鋭く眇められ、への字に曲がった唇からは不機嫌さを隠そうともしない低音が飛び出した。

 いやもう、正直ぶっちゃけめっちゃ怖い。

「遅い、と言われてもぬぇ。逃げ遅れの子を拾っていたわけだし。何もわからない子を、ただただ連れ回すというのも忍びないだろう?」

「それにしたってチンタラしすぎじゃねえのか。手前らならもっと手早く殲滅させられたろ」

「ンだよ、今日はいつになく気が短ェな艫居ともい。短気は損気だぜ、ンなカッカすんなや」

 しかし男性の剣呑な様子にも、遥さんと鮮ちゃんはほとんど動じた様子が無かった。単にいつものことなのか、彼女たちの肝が特別据わっているだけなのかあたしには判別がつかないが、それでもあたしがすっとろいせいで二人が責めを受けているというのは忍びない。あの、と意を決して声を上げれば、三人の視線が集中する。

「その、二人が遅くなったのは、あたしが足を引っ張ったから……あたしのせいなので、二人のこと、責めないであげてください」

 男性の眼光は、一際直ぐだった。まるで穿つような緑青の光。鋭利な氷が一筋、降り注ぐようにしてあたしを射貫く。容赦のないそれにたじろぎつつもどうにかこうにか最後まで言葉を絞り出せば、沈黙のうちに女性二人の視線が男性へと向いた。それらは心なしか、あたしに向いていたよりも一段と温度が低い。

「いたいけな女の子にそういうこと言わせるの、男としてどうかと思うんだけどぬぇ? 艫居くん」

「無ェわマジ、しかもコイツ『この後に麻雀が控えてるから』とか言うつもりだぜ絶対。なァ艫居、そこんとこどうなんだよ、えぇ?」

「よく分かっ……ってえな何しやがる手前ッ! 脛蹴んな、暴行でしょっぴくぞッ」

「おうやってみろやチンピラケーサツがよ。御津、コイツの言うことは気にすんな。大体いつもこんなん――――」

 半分ほど呆れたまま、鮮ちゃんがあたしに向かって言い含めようとする――――その時だった。


 ――――――――鈴鈴鈴鈴鈴鈴鈴鈴鈴鈴リリリリリリリリリリッ!!

『第二波、出現まであと十秒。位置直上、迎撃準備。数、五十三』


 鈴の音はけたたましく、間髪入れずに響いたのは先の女性の声。媒介するのは、艫居さんの頭の上にいつの間にか乗っていた蠍の尾を生やした小さな女の子だ。怜悧な声音は必要最小限にとどめられた言葉の羅列だけを伝え、それに釣られるようにして直上を見上げれば、そこには。


 空が割れる。

 繋ぎ目無く平らだった青空におもむろに亀裂が入り、そこを境として雲が歪む。絵画に対して刃を入れるが如く無遠慮に引き裂かれたそこから、染み出してくるのはやけにどろりとした異物だった。

 異物は雫のようにして紡錘形を模る。されども地面に墜落することは無く――――やがてそれは、先の化物の形を造り上げた。



 まるで、世界が侵蝕されていくようだった。



 怪物の姿はしかし一つではない。翼持つ冷厳の剣、あたしを二度も屠ろうとしたそれを呼び水に、空にはいくつもの亀裂が生じ、零れ、生まれては閉じていく。

 その数は十や二十ではきかず、声が予告した通り五十は下るまい。空の青を覆い尽くさんばかりにこちらを睥睨する白の群衆は、いずれも淡々とした無機質だけを浮かべて――――そして。

 嗚呼、その中の一つと、目が合ってしまった。

 顔から血の気が引いて、先の出来事が頭の中を過った。救われたとはいえ、痛みを前にした瞬間というのは容易に忘れられるようなものではない。どうしようもない、という絶望が体の中を犇めき合って、足掻こうとする心を凍る体がきつく縛める。

 しかし怯え虚空を彷徨うだけだった視線が、ふとあるものを捉えた。空に向かって伸べられる男性の腕。黒い軍服に包まれたそれは多くの飾りを鬱陶しげにぎらつかせ、――――やがて、一つの音を奏でる。


 パチンッ



 瞬間。

 色彩が放たれた。



 色とりどり千々に乱れる赤と青と緑と黄。無限の光彩を秘めながら、数えきれないほどの色が空を駆けた。

 ちかちかと眩い光が化物ごと空を駆け抜けた後は、残光と共に派手な爆発音が各所で巻き起こる。それはまるで流星の如く――――されども魔弾が如く、晴天に浮かぶ場違いな化物たちを貫き穿ち、身動ぎさえも許さぬまま塵へと変えていってしまった。


 彼のたった一つの動作だけで、あれだけ並んでいた化物たちが跡形もなく消え去った。ぽかん、としてしまっていたのを、同じく眺めていたはずの鮮ちゃんと遥さんのほうに転ずれば、彼女たちには特に動揺した風情は無い。まるで何もかもいつも通りだと言わんばかりに、先ほどまでと同様の極めて涼しい表情をしていた。

 あれだけの凄まじい光の暴力を目の当たりにして少しも心乱されないなどと――――むしろ、困惑しているあたしの方がこそおかしいのかとすら思ってしまう。

「殲滅した。エーデルシュタット、後続は」

『今のところありません。ご苦労様』

「苦労ってほどでもねえよ。一瞬だ」

『言葉の綾よ、気にしないで頂戴。では四人とも、わたくしはそこから北西のところにいますから、集まってくださいましね。よろしく』

 そう告げて、艫居さんの頭の上に現れた蠍の女の子は空気に融けるようにして消えて行ってしまった。先ほど鮮ちゃんが肩に乗せていた女の子と同種の妖精に見えたが、どういった原理で現れているのかあたしにはとんと見当も付かない。

「流石艫居くん、広範囲の殲滅は十八番だぬぇ。私と鮮ちゃんは出る幕無しじゃないか」

「だから遅えっつったんだ俺は。手前らだってあれくらいは出来んだろ、余計な手間かけてんじゃねえよ……だからまあ、小娘」

「……ひゃいっ!?」

 声が裏返った。まさかあたしに話が振られるとは思っていなくて、飛び出たのは素っ頓狂な返事だった。恥ずかしい、と思いながらもおずおずと視線を合わせれば、その緑青は意外なことにやや気まずそうな面持ちをしていた。一瞬だけその眼差しが虚空を泳ぎ、再び真っ直ぐにあたしへと注がれる。

「先のは別に、手前を責めたわけじゃねえ。……せっかく生き残ったんだから、しゃんとしとけ」

 俯くなと、その瞳は云っていた。引け目を感じることも、謝ることもない。だからきちんと前を向け、と。そこまで深い意味は無かったとしても、あたしにとってはまるで、雲を晴らすような言葉だった。

「いちいち言葉が足りねェんだよオマエは……それに小娘はねェわ、ありえねェ。デリカシーとか無ェの?」

「流石に小娘はぬぇ……」

「じゃあどう呼びゃいいんだっつの! 夷隅手前は覚えとけよ」

「なんで私だけなんだよシバくぞテメェ」

「……ふふっ。ご、ごめんなさ、……ふふふっ、」

「……今の、面白え要素あったか?」

「検討がつかないぬぇ」

 彼らのやりとりを見ていたら、つい笑ってしまった。三人が目をぱちり、と瞬かせ(遥さんは変化がよく分からなかったが)こちらを見るタイミングまで一緒で、それがよけいに面白く感じてしまう。

 何が面白かったのか、正直あたしにもうまく説明はできない。ただ張り詰めていた糸が緩んだかのように笑みが溢れてきて、収まるには少しの時間を要した。ようやく息が整ってきて、あたしは目尻の涙を拭いつつ彼らを見上げる。

「仲良しなんだな、って思って……つい笑っちゃいました。ごめんなさい」

「……私ら仲良しか?」

「さあ。でもまあ、女の子はしょげた顔より笑顔の方が似合うものだからぬぇ。何よりさ」

「よくもまあ、んな台詞がまあぽんぽんとでてくるよな、遥手前……あー、俺は字鳴艫居あざなり・ともいだ。手前は」

「あたしは、御津です。さっきはありがとうございました」

「感謝されるようなことじゃない、単なる仕事だ。……これ以上はエーデルシュタットが怒る、とっとと行くぞ」

 艫居さんが歩き出し、遥さんが続く。鮮ちゃんに促されるようにして、あたしもまた歩き出した。背丈も恰好も全く異なる背中だが、本来ならばここにもう一人が加わるのだろう。

 あと一人は、一体どんな姿なのか。どんな人なのか。声だけを届けてきたその人のまだ見ぬ姿を、いつの間にか心高鳴らせて待ち望んでいることに、あたしが気付くのはもう少し後だった。

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